第10話 D面-2裏
配信を始める時間が迫っていた。5thライブツアーファイナルの感想回となる。
通信端末が電話のコール音を鳴らした。
――配信が始まる直前にかけてきたのは誰だ。
「星屑13号」を演じる彼女は心の中で文句を言うが、コールしてきた相手を確認すると「仕方なし」と苦笑を浮かべた。電話の向こう側にいるのが彼女の幼馴染であり、「ココロスター」と双璧をなす推しでもあるから。
今では住む世界が隔絶してしまったが、それでも幼い頃の共通の記憶が幼馴染としてのつながりを保たせている。
頭の回路を日本語から英語に切り替えると、電話に出た。
「やあ、キャシー。どうしたの?」
海を越えて世界のどこかから電話を掛けてきた幼馴染の声が聞こえてくる。ニューヨークかロサンゼルスかロンドンか。それともシドニー、シンガポール、南アフリカのどこかか。世界中を飛び回っているから、全世界どこから電話がかかってきてもおかしくない。
「今、時間? ごめん、配信があと10分で始まるんだ」
共通の友人の何人かは、幼馴染と自分を比較して心が折れてしまった。何人かは心を歪めてしまった。
なにせ、その幼馴染、キャスリン・リー・キャンベルは幼い頃こそ自分と同じ世界で暮らす普通の女の子だったが、ある時、けた違いの夢の階段を一気に駆け上っていった。今ではSNSアカウントのフォロワー数4億人の世界的スーパースターだ。
「コメントに書き込む? そんなことをしたら、君がロージーに怒られるよ。それ以前に、本物だとは思われないだろうけど」
でも、彼女は「星屑13号」を演じる自分に誇りを持っている。配信を見て応援してくれる視聴者たちと、なにより「ココロスター」の存在が、彼女の誇りを強く支える。だから、スーパースターとなった今でも、昔と同じように、キャスリン・リー・キャンベルをキャシーと呼ぶ。幼馴染としての想いを一杯に込めて。キャスリン・リー・キャンベルを幼い時の愛称のキャシーで呼びかける人はもう彼女の周りには10人もいない。
ちなみに、ロージーとはキャスリンの代理人の愛称。キャスリンの仕事の全てを献身的に支えてくれるパートナー。スーパースターゆえにがんじがらめの窮屈な世界で、一緒に喜び、時には一緒に泣き、時には怒ってくれる、数少ない存在。
「うん。で、『ココロスター』のライブ見てくれた?」
電話がかかってきた理由を察して、言葉をかける。
キャスリンには「ココロスター」を布教済み。「ココロスター」が日本市場に特化したドメスティックな内容ではなく、初めから世界展開も見据えた内容で、かと言って普遍的過ぎて毒にも薬にもならない薄っぺらな内容ではなかったことが、生粋のアメリカ人のキャスリンへの布教を可能にした。
だからこそ、さらに、深い沼の奥底に誘い込もうとしている。
「凄かったでしょ。美羽姉も江莉姉も、あ、ステージに立っていたキャストの人の名前なんだけど、彼女たちだけでなく、12人全員、スゴイでしょ。これまでも上手かったけど、今回はもっと上手くなってた」
スーパースターで自ら作詞も作曲も手掛けるキャスリンの目にかなうかどうかは、半ば賭けだった。ゲームのキャラクターと演じる声優は別、リアルイベントなんか無駄、なんて否定される可能性もあった。
でも、電話の向こうから聞こえる声音は賭けに勝ったことをはっきりと伝えてくる。
「そこらの歌手より歌がはるかに上手くて、そこらのダンサーよりダンスがメチャクチャ上手い。ステージ上での振る舞いも慣れてとても上手い。あれで本職が声優なんだよ」
賭けに勝ったことと電話の向こうから聞こえる声音が、相乗効果で彼女のテンションを上げる。
「推しになった? ようこそ、この奥深い沼へ。底は深いよ」
けれど、続いて聞こえた言葉が彼女の興奮を一気に冷まさせる
「は? 曲を提供したい? 美羽姉たちに歌ってもらいたい? マジ?」
自分が引き起こした事の大きさが、彼女を興奮から現実に叩き落とす。
「ちょ、本気!? キャシー、あんた、自分の立場分ってるの? フォロワー数4億人の世界のスーパーシンガーソングライター、世界が認める歌姫でしょ」
冗談を言っている可能性に賭ける。
「曲を自分で作っているから、逆に歌ってもらいたい? チョーマジ?」
電話の向こうから聞こえる声は本気がヒシヒシと伝わってくる。
「だからって、アタシが『ココロスター』に伝手を持っているわけないじゃない。キャシーと比べたら、一般人にほんのちょっとだけ毛が生えただけの存在だよ。それこそ、ロージーに運営の『シンクスフィア』の玄関をノックしてもらうのが真っ当じゃないの」
ガチの本気が伝わってくる。その本気を聞かされている彼女の心にも火がつきはじめる。
「偽物呼ばわりされる。何時になるかわからない。それはそうだろうけど」
火が点き始めた心に、水をかけることで、冷静さを保とうとするが、
「もちろん、アタシもキャシーの曲が『ココロスター』で使ってもらえるなら使ってもらいたい。美羽姉たちに歌ってもらいたい。そうしたら、尊死するどころか、リアルに卒倒するだろうけど」
ありえるかもしれない未来を想像してしまった。幼馴染のキャシーが書いた曲を「ココロスター」のキャラクターが歌っている未来。キャストたちがリアルのステージで歌っている未来。彼女にとって双璧をなす推し同士の夢のコラボ。
夢を見てしまったゆえに、本当は口にすることは許されない情報を告げてしまう。
「うん、わかった。今度、『ココロスター』とコラボできる機会がある。まだ公になっていないから秘密にしておいて。その時に偉い人に紹介してもらえるように、キャシーの話が本物であることを伝えられるようにする。それで、いい?」
夢を実現させたい欲がプロ意識をねじ伏せてしまったことに、少しだけ後悔する。
「キャシーもそれまでにロージーを説き伏せるんだよ。あと、曲もお願い」
配信の開始時刻が迫ってきたから、電話を切らないといけない。けれど、
「え? 曲はもう何曲か出来ている? 早っ! え? ちょっ、待っ……」
電話越しに聞こえてきた歌声に絶句してしまった。
親友の愛を感じたから。「ココロスター」への深い深い愛を。
「ココロスター」が彼女に与えた影響の大きさにも。それをもたらしたのが自分であることにも。
なにより、「ココロスター」のキャラクターが歌う未来を、キャストたちがリアルのステージで歌っている未来を、自分の全てをかけて手繰り寄せたくなった。
「……うん。とても良かった。ありがとう。もう時間だ。それじゃあ、またね」
名残惜しくも、電話を切る。頬を伝っていた熱いものを手のひらで乱暴に拭うと、ひとつ深呼吸をする。
意識を「私」から「星屑13号」に切り替える。
でも、ドキドキが止まらない。これからの「ココロスター」の未来への。