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9月17日

 教室での騒ぎから三日が経つ。陽翔はすっかりクラスで孤立してしまっていた。仲の良い男子が何度か話しかけてきたが、明らかに以前よりよそよそしい。特に奈緒のあからさまな無視が、陽翔には痛かった。


 孝弘はといえば、以前と変わらずニコニコしている。特に怒っている様子では無さそうだったが、陽翔には話しかけられるはずもなかった。謝るとか謝らないとか、そういう次元の問題ではない気がしていた。


 一生許してもらえない


 そのくらいのことをしたのだという自覚が、陽翔にはあった。


 ましてや、遊びに誘うなどもってのほかだった。あれから二日、学校以外では誰にも会わないよう家にいた。だが、体を動かすのが好きな陽翔にとって、家に(こも)っているのは苦痛だった。三日目にはさすがに気が滅入ってしまって、一人で空き地に来たのだ。


 思えば、誰も来ないこの空き地で遊んでいたのだって、孝弘と遊んでいるところをあまり他人に見られたくないと思っていたから……なのかもしれない。


――最低だな、俺……


 いつもは得意なリフティングも、全然上手くできない。ポロポロと足の甲からボールが逃げるたび、心が重たくなっていった。


 はあ、と大きなため息をついて、その場に座りこむ。


――これからいったい、どうしたら良いのかな……


 後ろ手を地面について空を見上げると、陽翔は目を閉じた。秋の柔らかな西日が、瞼を通して目に染み込んでくる。なんだか、少しだけ心が癒されていくような気がした。と……


 突然、瞼の裏に顔が浮かんだ。

 あの男の顔。

 それも、クッキリと、鮮明に……


 陽翔は思わず小さな叫び声を上げた。目を開けてグルグルと周りを見渡す。もちろんあの男がいるはずもない。しかし、陽翔は確かに、誰かに見られているような感覚を覚えていた。


――まさか、あの男がいるのだろうか……?


 気が付けば、陽翔の視線はフェンスに釘づけられていた。


――そうだ。全部あの男を見てからだ。あの男を見てから、俺の生活はおかしくなったんだ。


 陽翔は殆ど無意識に立ち上がると、フェンスに向かって歩き出した。


――あのオッサンをどうにかしなきゃ……もう一度ちゃんと見て、生きてるかどうか確かめて、警察に通報して……そうすればオッサンのことなんか考えなくてよくなる……


 陽翔はフェンスをよじ登り始める。彼の考えに根拠など無かった。ほとんど正気を失っていたのだ。ただただ本能的に、そうしなければならないと感じていたのだ。


「何をやっとるんじゃ!」


 陽翔の背中に、しわがれた怒声が浴びせられた。不意打ちにハッと驚いて、陽翔はフェンスからほとんど落ちるように着地した。


 陽翔を怒鳴りつけたのは、見知らぬ老人だった。老人は恐ろしい剣幕で陽翔のことを見据えながら、ずんずんと近付いてくる。禿げあがった頭には青筋が浮き上がっていた。


「坊主、お前いったい何をしようとしとったんじゃ」


 老人の皺深い顔が茜を帯びた西日に照らされ、異様な迫力を放っている。突然のことに、陽翔は「い、いや、別に何も……」とどもった声で返した。その様子を訝しげに一通りねめ回すと、老人はほんの少しだけ口調を緩めた。


「お前、ここがどういう場所か知っとるのか?」


 陽翔の脳裏に一瞬だけ「茂みのオッサン」という言葉が(よぎ)ったが、それは言わない方がいい気がした。


「いえ、知りません」

「なんじゃ、もしかして坊主、他所者か?」

「い、いえ。この町に住んでます。一年ほどですが……」


 陽翔がそう言うと、老人は深いため息をついた。


「はあ…… このオッサチ町に住んどって知らんのか? これだから最近の若いもんは困るんじゃ。新参者にはちゃんとオッサンのことを教えないかんとあれだけ言うとるに。若いもんはそういう伝統や風習を馬鹿にして、すぐ(ないがし)ろにする。そんなんじゃあこの先このオッサチ町はどうなることやら。だいたい、若いもんというのは……」


 老人は話すうちに本題を忘れたのか、くだくだと若者への不満を並べ始めた。ともあれ怒りの矛先が自分からほんの少し逸れたことに、陽翔は少し安堵を覚えていた。だが、その安堵は束の間のものだった。老人は愚痴の途中でハッと我に帰ると、とんでもないことを言い出したのだ。


「坊主の家はどこじゃ?」

「え? 家、ですか? どうして?」

「貴様が知らんということは、お前の父ちゃん母ちゃんも知らんということだろう。知っていれば必ず教えているはずだからな。(わし)が家に行って、親子ともども直々に教えてやるんじゃ」


 陽翔は一気に青ざめた。


――ダメだ。こんな変なことにパパやママを巻き込むのは嫌だし、危ない場所に入ろうとしていたなんてバレたら、きっと叱られる。


 陽翔の中で事態が大きくなる妄想がどんどん膨らんでいく。気が付いたときには、陽翔の足は独りでに駆け出していた。


「ああ! 待たんか坊主!」


 背後から老人の声が聞こえたが、陽翔は振り返らなかった。

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