3.純愛と茶番劇
魔王の城の前に魔方陣が光る。不用意に近づいた魔物たちは光の結界に触れ肉が焼けた。
魔方陣の真ん中には、たった一人の青年がいた。月と星の紋章を刻んだ鎧を身につけて、同じ紋章が入った剣を携えている。
「侵入者か」
レイフェルトがバルコニーから青年を見下ろす。
すると背後からユリウスが駆けてきて、バルコニーから落ちんばかりに身を乗り出し青年の名を叫んだ。
「クルルカ! どうしてここに?!」
青年は懐かしいその姿に目を細めた。ようやく大事な幼馴染を、愛しい者を迎えにこれた。
あの日、姫君の代わりに城に残るユリウスを護れなかったことをずっと後悔していた。魔王に挑むも片手であしらわれ、あっさりユリウスを掻っ攫われてしまった屈辱と怒りはまだクルルカの中で燃えている。
「ほう、あいつが」
「なんで?! 招待したんじゃなかったの?」
「クローバに任せた」
「私はきちんと書状を送りましたが。教会に着く前に乗り込んできたようですね」
「先に結界も緩めてしまったしな」
「ええぇタイミングゥゥゥ……」
「レイフェルト様、行ってください。あの者の結界が解ければ城の魔物たちに殺されてしまいますよ」
やはり自分はクルルカとすれ違ってばかりだとユリウスの心は沈んだ。会えた瞬間別れの予感がチラつく。
また会えたとしても、クルルカとどれくらい一緒にいられるだろうか。
そんなことを考えるのも、別れの時に怯えるのも、別離の悲しみを味わうのも、もう疲れてしまった。
「いいよ、……追い返して」
クローバはよろしいのですかとユリウスを案ずる。
「わかった、手加減はする」
「しなくていい。もう二度と会うつもりはないから」
「しかしそれではクルルカ殿が」
「いいからユリウスは下がっていろ」
バルコニーから身を乗り出すユリウスを労わるように引き戻す魔王を目に留め、ますますクルルカの闘志が燃え盛った。
「ユリウスから手を離せ」
声変わりをし、少し低くなった声で挑発する。魔王はただ嘲笑を浮かべてバルコニーから跳躍した。魔方陣の放つ光の結界をカーテンのようにかきわけ、黒い装束の裾を翼のように広げて驚くほど優雅に着地する。
光の結界は張られたままで、一対一の決闘の意思を示していた。
先に動いたのはクルルカであった。その動きに魔王は驚きを隠せなかった。魔物たちもざわついている。
レイフェルトはごくりと喉を鳴らしこう思った。
コイツ、めちゃくちゃ弱くね? と。
ほぼ足踏みしながら突っ込んできて、剣を振りかぶったかと思えば手からすっぽ抜けた。擬音に表すとドタバタ、ぶぉおん、スポッ、である。あろうことか敵である魔王に背を向けてサッと拾う。
そしてまた雄叫びを上げつつ年寄りのユニコーンと同じくらいの速度で走ってきてぶぉん、ぶぉん、と物凄い大振りで剣を振り回す。いや、重さに振り回されている様子である。ひとしきり振り回すが遅すぎて触手植物の幼生の方が俊敏だ。レイフェルトが何もしていないのに膝をつき剣を支えにして息を整えている始末である。
それでよく敵の親玉に向かおうと思ったな?! というのはその場にいる魔物たちの総意だ。
レイフェルトはふむ、としばし考える。ここは無言でちょっとした極大魔法を出してサクッと仕留めるのがスマートかつ魔王らしい振る舞いだろうかと思いつつ、チラリとバルコニーを見遣る。
ユリウスは青ざめた顔で祈りを捧げていた。その手は震えるほどきつく結ばれ、レイフェルトと目が合うと緑の虹彩の輪郭は涙で歪んだ。
「やっぱり嫌だ! 俺の負けでいい!」
ユリウスは階下に叫んだ。
「貴方の花嫁になるから、子どもも産むからっ……クルルカを殺さないで……」
クルルカは子どもって……と呆然と呟く。
「お前、ユリウスに何をした」
クルルカは剣を魔王に向けるが重さに耐えきれず先っちょがプルプルと震えていた。
「花嫁とすることなら一通り」
と含み笑いを浮かべてやれば
「そっ、それはキ、キス……とかっ……」
顔を真っ赤にするクルルカにレイフェルトは天を仰ぐ。間違いない、コイツ童貞だ、とはその場にいる全員の総意である。
「レイフェルトっ!」
完全に白ける空気の中ユリウスだけが真剣な顔をしてレイフェルトに懇願する。まるで神への祈りのように。
「お願い……クルルカを愛しているんだ」
レイフェルトはその瞬間、敗北を感じとった。動きはのろまで剣の腕は目も当てられない人間の若者だが、コイツに負けたのだと。
あのユリウスが、魔王に身を捧げると誓い首部を垂れている。レイフェルトは雷に撃たれたかのごとき衝撃を受け、そしてユリウスはまた泣いているなと呆れた。
レイフェルトは頭をかきながらクローバに視線を向ける。クローバは何かよからぬことを考えていると察知し、首を横に振った。だがレイフェルトはニヤリと笑い、クローバはもう止める術がないなと頭を抱えた。
ガチャガチャと鎧を鳴らしながら、ヨタヨタとクルルカが剣を構えて向かってくる。魔王はクルルカに向かい合った。不動の構えで堂々と立ちはだかる。そしてクルルカは大きく振りかぶって、袈裟斬りした。
魔王はすうっと目を閉じる。そしてパタリと地面に倒れ大の字になった。そのまま動かない。
クルルカは一呼吸おいて勝利の雄叫びをあげた。輝く笑顔でユリウスを見上げる。
ユリウスは混乱していた。剣は明らかに当たっていなかったし、なんならクルルカは切る瞬間目を瞑っていた。
「我輩の負けだ」
負傷したにしてはやけにいい声が響き渡った。
クルルカはユリウスに向かって手を広げる。ユリウスは突如ふわりと身体が浮き、バルコニーからクルルカの胸に飛び込むように向かっていった。ユリウスは何もしていない。レイフェルトの手の下で魔法陣が微かに光っているのを見つけた。
クルルカの腕の中で、ユリウスは呟く。
「いいの・・・・・・?クルルカと一緒に行っても」
「もちろんだ、これからはずっと一緒だ」
クルルカはそう答え、魔王は沈黙している。
「クルルカと、ずっと一緒にいてもいいの?」
「ああ、結婚しようユリウス」
クルルカはユリウスを力いっぱい抱きしめ、魔王はピクリとも動かなかった。
ユリウスはポロポロと涙を零し、そして幸せそうに笑った。
「ありがとう」
レイフェルトにも聞こえるよう、喉の震えを抑えはっきりと発音した。そして興奮して叫んだり罵ったりしながらもまったく手出ししてくる気配のない魔物たちに見送られ、魔方陣に足を踏み入れ光の中に消える。
それきり、ユリウスは魔界に二度と足を踏み入れることはなかった。
それから数年後、魔界には冒険者や騎士が度々やってくるようになった。魔王が弱体化しているというこの機会を逃すまいと、毎日のように。
この日は階級を上げたばかりの騎士と従卒だった。革の鎧を纏い、荷物は剣と二、三日分の食糧と寝具という軽装備だ。
「本当に大丈夫なんですか?」
「あのクルルカが倒せた相手だぞ。俺たちにできないわけがないだろ」
「でも最近力を増していると」
「ほう、クルルカか。懐かしい名だな」
空気がずしりと重く、また冷たくなった。氷の塊を両肩に乗せられているような重圧だ。
「どうだ、その奥方は息災か?」
声の降ってきた方を見上げると、黒い翼をはためかせる美丈夫が空中に浮いていた。秀麗な顔の中に地獄の業火を思わせる紅い目が爛々と輝いている。その眼に騎士と従卒が映された瞬間、稲妻が走ったように身体が震えた。それから冷や汗と震えが止まらない。この人物が魔王だと、肌で感じる。
「クルルカの奥方は、息災かと聞いている」
ビクリと肩を跳ね上げたあと、従卒が恐る恐る口を開いた。
「はい、あの、大変仲睦まじく過ごしておいでです。お子様もお産まれになって・・・・・・」
魔王は柔らかく目を細めた。その一瞬威圧感が緩んだ。その隙を逃さず騎士は剣を抜く。と同時に、真ん中からぽっきりと両断されていた。目を剥くがハッと顔を上げると秀麗な顔がすぐ近くにあり、それがニヤリと歪んだ瞬間騎士と従卒は魔界の外まで吹き飛んだ。
死なないよう加減しておいたので、人間界の見張りの兵が見つけるだろう。そしてあの二人は魔王の恐ろしさを語るだろう。
侵入者の排除は暇つぶしにはなるが、すでに飽きてきた。
魔物たちとも一悶着あったが、逆らうものを潰していけばすっかり大人しくなった。クローバにも魔王の威厳が地に落ちたと嘆かれ、尻を叩かれレイフェルト自らその後始末をしている。
しかしそう悪くない気分だった。ユリウスは去り際に笑顔を見せていたし、今も幸せに暮らしているというのだから。
一仕事終えたレイフェルトは城に戻り、怠惰にベッドに寝そべる。
その部屋には月と星の刺繍が施されたベールが、ひっそりと揺れていた。ユリウスの私室はまだ片付けられていない。
レイフェルトは、それを鷲掴みビリビリと破いて窓から捨てる。スライムが触って溶けてしまったものだが、指先は擦り傷一つできやしなかった。少しは手を出しても罰は当たらなかったかななどと考える。ユリウスに触るなと叱られてからは指一本触れていない。
美しいベールは花弁のように風に運ばれてゆく。
花嫁探しは数十年はしなくてもまだ安泰だろう。すくなくとも、当代の神子が生きているうちは。
完




