姫の立ち位置
「ど、どうしようかアマリリスくん」
アリスはユキノが乱暴に開いて行った扉に手を伸ばしたまま固まっていた。
ギィィィィイと軋むような音をたてながらひとりでに閉まっていく扉が謎のもの悲しさを醸し出しており、アトラもユキノを追って行ったのかすでに姿がなく、三人だけが取り残されていた。
「どうするかを考えるんでしょ。ひとまずはこのままユキノちゃんに勝手にやらせるか、いい機会だと思って便乗するかを決めないと」
「だがまだ人手が足りていない。これからさらに有志を募って一気に魔物退治に打って出るつもりだったから余の計画が…」
「アリスちゃんはたまに頭が固くなるというか決めちゃったらそれを実直にやり遂げようとしちゃうことが玉に瑕だねぇ」
「む…?」
「もうナナシノちゃんがさらわれた時点で色々と無理でしょう。ユキノちゃんの目を見なかった?もう邪魔をするなら敵味方関係なく殺してやるぅって顔してたよ。そんな子に規定通りの動きをしろなんて言っても無駄な血を流すだけだよ」
「…そうか…うん、そうだね」
肩を落としたアリスにリコリスがゆっくりと近づき、よしよしと頭を撫でる。
「まぁそんな落ち込まなくてもそれがいいところでもあるからね。ただ何事も…そう、世の中にはどれだけ正しく見える事柄や正論を提示してもどうしようもない人がいるって事。というか周りそんな人ばっかでしょ?」
「うむ…うむ…」
アリスはアマリリスにリコリス、そして穴の開いた図書塔の一角で何故か四足歩行スタイルで子猫を追いかけまわしているレイリを見て再び肩を落とした。
「とにかくユキノちゃんを追うかどうかを決めよう」
「…ユキノくんを見捨てるという選択肢はない。彼女は現状欠片問題に対する唯一の解決札なのだから。無理を承知で聞いてみるのだけどアマリリスくんは…」
「前も言ったけど無理。今回は私は手伝わないよ。流石にこの首都の辺りまで魔物が進行してくるなんて事態になったら動くけど、それも個人的にだよ。アリスちゃん的にも私が色々と手続きを通さずにアリスちゃんの私兵として動くのは困るでしょ?」
アマリリスの立場はかなり複雑だ。
一応建前としては現皇帝の友人兼客人と言う体になってはいるが問題なのはその能力。
桁外れなどと言う言葉では言い表せないほどの魔力量に、ありとあらゆる魔法の知識…そしてそれらを完全に扱う事の出来る技術。
どれをとっても野放しにしていい存在ではなく、あらゆる国、組織が勧誘をかけている。
しかしそれらにアマリリスが頷くことはなく、客人と言う立場で帝国に身を置き、その事で帝国は周辺国からは非難を受けている状態にある。
正式に帝国所属とはなっていないため、なんとか批判程度で済んではいるが決して見過ごすことは出来ない爆弾…それがアマリリスだ。
そんな彼女が帝国に肩入れしたと知られればそれがどんな状況であれ無駄な火種を今後残すことになる。
それ故にアリスも下手な真似は出来ないでいた。
「だがそれでもいつもはコッソリ手を貸してくれるじゃないか。どうして今回に限って?」
「んー…いつもは手伝ってあげない理由が特にないからだけど、今回は手伝ってあげられない理由があるから?」
「その理由を教えてくれたりは?」
「知らないほうがいいと思うよ」
「そうか」
アリスが残念そうに肩を落とした傍らでリコリスはジトっとした目をアマリリスに向けていたが、向けられている当人は気がついていないふりをした。
「それに私に頼らなくてもアリスちゃんには充分手駒になってくれる人がいるんじゃないの?」
「んん?いや…知っての通り騎士や軍隊はまだ動かせない。ようやく先日住人が皆魔物に食い殺された疑いのある集落に向けて調査隊が派遣された段階なんだ。その状況でさすがに個人的に国の兵を動かすわけには…」
「そっちじゃないよ」
「む?そっちとは?」
「アラクネスート。アリスちゃんなら動かせるんじゃないの?」
一瞬だけ空気が固まった。
アリスとアマリリスの間で張り詰めた糸のような鋭い何かが奔る。
お互いの呼吸音すら聞こえない静寂の中で子猫が「しゃーっ!」とレイリを威嚇し、それに対してレイリが身体を広げて更に威嚇のポーズをとる音だけが聞こえていた。
そんな凍り付いた空気の中で先に口を開いたのはアリスだった。
「…なんだ、その、確かに今回かなりグレーというかほぼアウトなんじゃないかという手段でアラクネスートと連絡を取って協力をこぎつけたのは…まぁなんだ、大声では言えずとも頷くしかない事実ではあるが…さすがに彼らを顎で使うようなマネは出来ないな」
「他人ならそうかもね。でもアリスちゃんって関係者なんでしょ?」
「余が?決して協力者を侮辱するわけではないが彼らはどうあっても犯罪組織だ。そんな者たちに帝国の姫という立場である余が関係していると?」
「ユキノちゃんがアレンくんをアラクネスートの拠点がある場所で見たらしいよ」
「アレンくんを?人違いでは?」
「本当に?いつものアリスちゃんなら「なら調べてみよう」くらい言うのに、人違いっていきなり否定するね?」
「…確かにそうだね。わかった、後程詳しく話を聞いてアレンくんについてはちゃんと調べてみるよ。でも余はアレンくんを信用しているし余自身も関係者じゃない。それだけは言っておくよ」
再び二人の間に沈黙が流れ、子猫とレイリが我先にとボールを転がして弾き合っている音がやけに大きく聞こえてくる。
そしてその沈黙を破ったのは今度はアマリリスだった。
「そ。まぁただユキノちゃんからアレンくんに関しては相談を受けてたからちょっとカマをかけてみただけなんだ。あんまり大げさには捉えないでよ」
「いやさすがに秘密結社の関係者などと疑われては大げさにもなると思うのだが」
「あはは。じゃあお詫びに私は手伝えないけど人を紹介してあげようじゃないか」
「人を?アマリリスくんの知り合いか?」
「そうそう。うちのメイドさん」
「…ん?すまない。よく聞こえなかった。もう一度いいだろうか」
おそらく聞き間違えたのだろうとアリスは数度自らの耳元を軽く叩いて聞き返した。
「うちのメイドさん」
しかし聞こえてきた言葉には何の変化もなかった。
「いやぁ~…さすがに…メイドを貸してもらってもな…それで事足りるというのなら余の元にもメイドさん何人かいるわけで…そもそもここにメイドなどいたのかい?」
アマリリスは首を横に振った。
「図書塔じゃなくて私の家の事。私とリコの実家」
「リコの実家と言うと…」
アリスはリコリスを見つめた後に明後日の方向に視線を向けた。
アマリリスとリコリスの実家…それはどこにあるのか誰も知らず、存在しているのかも怪しい場所だ。
なんどかリコリスに連れて行ってくれないか?と興味本位でアリスは聞いていたのだが頑なにリコリスは首をたてには降らず、世界規模で有名人であるアマリリスであってもその「実家」の存在だけはどこにも漏れていない。
そんな場所に勤めるメイドともなればもしかすれば何か特殊な力がある可能性を否定できないが…ただ一つ別の問題があった。
「…一応聞いておきたいのだが」
「うん」
「本当に「人」を紹介してもらえるのだろうか」
アマリリスはその問いには答えず、ただ微笑んでいた。
──────────
「…心配ではあるが一応話はまとまったか…ならば余は一度戻る。色々準備があるからね。もしユキノくんが戻ってくるようなことがあればもう一度連絡をくれたまえ」
「ほーい」
「よし。じゃあ行こうかリコ」
「あーい」
「あ、待ってリコ。ちょっと渡したいものがあるの」
「じゃあ余は先に出ているよ。ちょっと猫ちゃんの毛が舞っているのか鼻がむずむずしてきたからな!」
アリスが図書塔から出て行くのを見届けてアマリリスはリコリスに飴玉を渡した。
「飴?これを渡したかったの?」
「そそ。おいしいよ」
「んー?まぁいいや~あいがとー」
ぽいと口に飴玉を投げ入れ、リコリスはアリスの後を追おうとした。
そんな背中にアマリリスは言葉を投げかける。
「で、実際のところどうなの?」
「う?」
「アリスちゃんとアラクネスート」
「教えな~い」
たたたたと止まることなくリコリスは図書塔の外へと消えて行った。
「教えない、ね」
キィィィィと重く閉まっていく扉の音に紛れてアマリリスはぼそっと呟いた。
否定ではなく黙秘。
「言葉の綾や揚げ足取りって言われたらおしまいだけどね。まーリコだしあんまり考えないほうがいいかな?…さて、それは置いておいて…いるんでしょ?お姉ちゃん」
いつの間にか図書塔の一階と二階を繋ぐ階段にニコニコと笑うリフィルが座っていた。




