女神様のいうとおり
次回は木曜か金曜日に投稿予定です。
女神…その容姿を見たものは彼女の事をそう形容する。
どこまでも可憐で、一点の穢れもない清純さを感じさせ、この世の何よりも美しいと感じさせる容姿をしているからだ。
普段浮かべている柔らかく、無邪気さを含む笑顔を向けられれば老若男女問わずに見惚れてしまうだろう。
まさに人外の美。
条理に合わない美しさ。
通常ではありえないような髪色に、ガラス玉のような瞳と異常に感じさせる部分は見つけようと思えばいくらでも見つけられるのに、誰もが彼女の容姿は「そういうものだ」と受け入れてしまう。
今まさに女神に見惚れているリッツもその一人。
えぐり取られた肉と肉の隙間から絶え間なく血を流し続けているのにも関わらず、痛みも状況も忘れてただただ女神を呆けながら見上げていた。
「大丈夫?痛そうだね?痛いね?」
「あ、えっと、そりゃあもちろん…」
「そっか。痛いの痛いのとんでけ~」
女神がリッツの頬を優しく撫でる。
その途端に身体中にあった倦怠感や疲労感が消えて、流れ出る血も、足りなくなった肉も消えていた。
「すごい…あなたは本当に女神のようだ…」
「んふふふ」
リッツは立ち上がると頬を撫でてくれた手を取り、女神に詰め寄った。
「ああ女神よ…僕の女神…!助けてくれてありがとう!この恩は忘れない…僕の名前はリッツ・アルトーン。やがてはこの国をも牛耳る男です。そしてあなたはそんな僕の隣に立つにふさわしい女性だ」
「そっかぁ…凄いんだね、えーと…リッツくんだっけ」
「はい。僕の女神よ」
「リッツくんって好きな人いるんじゃなかったの?」
「あぁ、はははやはり僕くらいになると色々な人に素情が漏れてしまうのですね。しかし安心してください、あんな女の事はもういいのです。僕の事を放っておいてバケモノと立ち去るなど妻にあるまじき女ですからね。そんな低俗で愚劣な女とはもうこれっきりにします。だから僕と…」
「ねえ」
女神の真っ赤なは瞳がリッツの姿を映す。
ドクンと心臓が一度跳ねた。
高揚や興奮からではない。
まるで心臓を…命を乱暴に掴み上げられたような圧迫感を感じたから。
「め、女神…?ぐ…はぁ…はぁ…っ!」
突如として呼吸の仕方を忘れたかのように呼吸が出来なくなった。
冷や汗が止まらず、全身を身の毛もよだつような冷たさが貫く。
「ちょっと手を放して地面に座ろうか?ね?」
「え、な…」
動こうとはしていないはずなのにも関わらず、リッツの身体は何故か女神の言葉通りの行動をとった。
女神の手を離し、硬い地面の上で正座をした。
そんなこと自分がするはずないのにと困惑し、上から見下ろす女神を恐る恐ると見上げた。
「ねぇあなたは…目が見えなくなるのと音が聞こえなくなるのどっちが嫌?嫌かな?」
「なにを…」
「どっちが嫌かって聞いてるんだよ?聞いてるよね?」
有無を言わさない圧力のようなものがのしかかり、リッツは震える声を絞り出す。
「お…音…」
「そっかそっか~。じゃあ右耳でいいかな?いいよね?小指をね?ブスーって入れてみて?」
「え…?」
「右手の小指を右の耳のなかに入れて、鼓膜破ってみて?」
そんなことするわけがない。
誰かから頼まれてからと言って自分で自分の鼓膜を破るなんてマネをする人間なんているわけがないのだ。
そのはずなのにリッツの右手は勝手に持ち上がり、ピンとたてられた小指が一気に自らの右耳を貫いた。
「う、ぐぎゃああああああ!?」
ブツリと音が聞こえたのも一瞬で、すぐに世界の半分から音が消えた。
耳の奥からぬるりとした温かいものが流れ出る不快な感覚を味わいながら痛みに悶えながらうずくまる。
「ねえねえ~私は座ってってお願いしてたんだよ?うずくまってなんて言ってないんだよ?」
「はひっ…ひっ…」
痛くて痛くて耳を抑えてうずくまって痛いにもかかわらず、やはり女神の言葉通りに姿勢を正してしまう。
そんな様子に女神は満足そうに笑い、リッツの瞳を覗き込む。
もはやリッツは目の前にいる女神に恐怖しか抱いていなかった。
「面白い顔してるね。いい顔だね」
「な、なんでこんな…」
「なんで?あのね?私ねずっと見てたの」
「なにを…」
「あなたのしたこと。アマリはね?ご飯を食べるのが好きなの。知ってる?」
「あ、ま、り…?」
おそらく人名なのだろうがとリッツは記憶を探った。
そして一人の人物に行き当たる。
アマリリス・フランネル。
広大な帝国においても屈指の美を持つと言われる女性であり、つい先ほどまでリッツが言い寄っていた相手だ。
なぜ今彼女の事を女神は話し始めたのか、おそらくあだ名で呼んでいることから親しい間柄なのかと疑問は尽きない。
「私の妹なのアマリ。大切な大切な…私がこの世界でいっちばん大切にしてる妹なんだよ。あなたはね?そのアマリの、アマリが一番幸せそうにしてるご飯を食べてる時間を邪魔したの。それだけじゃないよね?じゃないよ?いやらしい目で見て、無理やり手を掴んで勝手に触って勝手に付き合ってるとか言い出して…死ぬしかないよね?」
世界が凍った。
リッツにはそのように感じられた。
何が起こったのか具体的な事は何もわからないし、何も起こっていないのかもしれない。
だがリッツにはその瞬間、致命的に何かが決定づけられたようにしか感じられないのだ。
「アマリはね私のなの。この世界でね?私が大好きな数少ないものなの。それに触っちゃったんだから死んでもしょうがないよね?死んでもいいよね?」
「い、いやだ…」
「いやなの?わがままだね?じゃあいいよ。死ぬはやめよっか」
「うぇ…?」
自分でも驚くほど間抜けな声がリッツから発せられた。
そうだ、いくら何でもこんなわけのわからない事で死ぬはずがないじゃないかと安堵する。
しかしそれもつかの間、女神はナイフをどこからともなく取り出し、リッツの手に優しく握らせた。
「これは…?」
「このナイフで自分の目を抉りだして」
「え…?」
「ねぇさっきからさぁ私が何かを言うたびに聞き返したりするのやめてもらっていいかなぁ?一回で言った事聞いてよ。何回も何回も言うの嫌だよ?そのナイフでおめめを取り出してって言ったの。ゆっくりやらないとダメだよ?勢い余っちゃうと頭まで傷ついて死んじゃうから。目だけをゆっくりゆ~っくりと、神経とか血管とかの繋がってる奴をちょっとずつちょっとずつ切っていって…丁寧に丁寧に痛い思いをして取り出すんだよ?」
リッツのナイフを持つ手はひとりでに動き出し、鈍い銀色の輝きがどんどん視界の中迫ってくる。
「いやだ!やめろ!止めてくれ!止まれ!やめろぉおおおおおおおお!!!!」
どれだけ叫んでも手は止まらず、自らの四肢ではどうすることもできない。
そしてナイフが眼球と瞼の間に滑り込み…。
────────
「ひっ…あ、あぐっ…ひっ、ひっ…」
「よくできました」
リッツは右耳と右目があったはずの場所からとめどなく血を流し、泣いていた。
突如降りかかった理不尽に涙するしかなかった。
いいや、ただの理不尽ならどれだけよかったことだろうか。
彼の目の前にいるのは理不尽んどという生易しいものではない。
それは──
「でもまだ片目残ってるよ?」
ビクッと肩を震わせ、リッツは地面にその額をこすりつけ嗚咽を噛み殺し言葉を絞り出す。
「ご、ごめんなざい…ゆるしてぐだざい…」
「私、座っててって言わなかった?」
上から投げかけられた言葉にリッツはようやく理解する。
自分が女神だと思っていた相手は人が思う女神ではない。
人間の言葉や、考えなんかどうでもよくて…ただただ人を虫けらだと踏みつぶす上位の存在。
そんな存在を前にして人はただ許しを請う事しかできない。
「ごめんなざい…ごべんなざあい…ごめんなしゃあ…」
「そんなに辛い?でも死にたくないって言ったのはあなただよ?「苦しんで」死にたいんだよね?」
「うぅぅ~!う、う、う、う…許して…ゆるじで…」
「うーん…まぁ私も飽きてきたしじゃあこれでおしまいにしようか」
女神がリッツの残った耳に息を吹きかけるように優しく、そしてぞっとするような声で囁く。
「キミがね死んじゃうとアマリが困るんだって。だからね人気のないところで死のうか。いまから自分で誰にも見つからなそうなところにひっそりと行ってからね?そのナイフでちょっとずつちょっとずつ身体を細切れにしていこうか。足の指先からちょっとずつ切っていって…残った鼓膜と目もザクザクしようね。でも簡単に死んじゃダメだよ?ショック死しないように頑張って頑張って…そして限界まで行ったところで自分で火をつけようか。誰にも見つからないところで、誰にも君と分からなくなるように…たくさんたくさん、出来るだけ長く苦しんできれいさっぱりと死のう?はい、行動開始」
フラフラとリッツは立ち上がり、女神に背を向けて歩いていく。
抗うことは出来ず、思考もすでにどこが人に見つかりにくい場所だろうかという事だけで埋め尽くされている。
この日を境に帝国でリッツの姿を見なくなり、彼の家からは捜索願が出されたと言うが見つかったのかどうかはさだかではない。
「ばいばい…えーと、名前なんだったかな?まぁいいや」
そんな無邪気な声が闇の支配する世界の中に溶けて行った。
リッツくんダメでした。