赤い眠り姫3
この世界には魔法と呼ばれるものが存在する。
ほぼすべての人間は生まれながらに大なり小なり体内に魔力と呼ばれるものを持っている。
それはただ持っているだけでは何の意味も持たないが、指向性を与えて体外に放出することで世界にありえない現象を起こすことが出来る。
それが魔法。
火を起こし、水を湧き上がらせ、風を吹かせて、土を作る。
まさにできないことはないというほど多彩な種類がある魔法だが、個人がどこまで使えるかは才能によるところがほとんどだ。
生まれ持った魔力量はほとんどの場合で増やすことは出来ず、魔法を使うにはその魔法を使うのにどう魔力を使いどう動かすのかという理論を理解して実行できなくてはならない。
どれだけ魔力量が多かろうが魔法の理論を理解できなければ意味はなく、どれほど理論を理解できようが魔力がなければ役に立たない。
故にどれほど便利なものに思えようとも、魔法はそれほど世界にとっては必要とされてはいない。
一部の研究者に、才能あふれる魔法使いが少数いるくらいだ。
そしてアマリリス・フランネルはその数少ない魔法使いの一人…そしておそらく現存している魔法使いの頂点に立つ存在だ。
「ユキノちゃん魔法を見たことはある?」
異形の爪を身軽に躱しながら、アマリリスは語りかける。
「さっきの人みたいに雷でも出すんですかぁ?」
「そうだね。リッツくんのは魔法ではないけれど、私は正真正銘の魔法使い…そしてこの世界に存在する…記録上に残っている魔法で私に使えない魔法はない」
アマリリスが腕を振るうと、どこからともなく突風が吹き荒れユキノの身体を吹き飛ばす。
しかしそれも一瞬で、ユキノが風を切り裂くように異形の腕を振るう事で魔法は霧散してしまう。
「…リッツくんの雷もだけど魔法も簡単に無効にされる。どういう仕組みなのかな」
「私も分からないの。だけど人を殺すのにとっても便利ですよね!」
「そうだね。だけど私を殺すには足りないかな」
魔法の使用にはタイムラグが産まれる。
魔力を流し、魔法を構築する…これらを総じて「詠唱」という。
これは魔法を使う上で避けては通れない問題の一つであり、使い慣れている魔法ならいざ知らず、戦いの最中ともなれば他の事にも気を取られ詠唱の難易度はさらに上がる。
つまりは一対一に魔法という手段は不向きだ。
しかしアマリリスはそれらすべてを克服している。
手に持った古びた本にはこの世にあるありとあらゆる魔法の構築式が記されており、本自体に魔力を通すことで瞬時に無数の魔法を使うことが出来るのだ。
だが仮に常人がその本を手にしても同じことは出来ない。
その本に描かれた千を越える魔法の正確な効果を把握する記憶力にその場で必要なものを巡視に選択する判断力…そして本全体に全ての魔法を起動できるだけの魔力を通すという馬鹿げた異常ともいえるほどの魔力量を兼ね備えたアマリリスだからこそ可能な芸当であった。
「どれだけ魔法を切り裂いても、火が出れば熱いでしょう?」
ユキノから数歩前の位置で爆発が起こった。
「っ!」
爆炎が上がり、それをユキノは異形の腕で払おうとするがその前に魔法の風が吹き荒れて炎を運び、飛び散った炎は腕をすり抜けてユキノの身体を焼いていく。
「あっつい…でもこれくらい!」
肌が焦げるのも気にせずにユキノはアマリリスに襲い掛かる。
「フランネルさん…いいえ、アマリリスさん!私ね「いい人」を殺したことないの!」
「うん?」
「いい人は殺せないから…ずっと我慢して…だけど本当はそういう人を殺したくて仕方がなかったの!綺麗な人の血を…内臓を見てみたいの!わかるかなぁこの気持ち!好きなの!好きだから…その人の奥の奥まで、その全てが私は見たいの!」
「ごめんね、わからないや」
パチンとアマリリスが指を鳴らすとユキノを覆うように数本の火柱が上がった。
続いて周囲に無数の拳大の土の塊が現れる。
「これはどうする?」
土の塊は火柱の中を通り抜け、火の玉となって全方向からユキノを襲う。
異形の腕がどれほど強大であろうとも、全ての火の玉を受けきることは出来ない。
そんな状況でしかしユキノは…笑った。
その瞬間だった。
異形の腕から青白い閃光が奔り、周囲を薙ぎ払った。
それは…雷のように見えた。
「それは…もしかしてリッツくんの」
「ふふふふふ、ふぁははははははは!!便利ですねぇこれ!」
アマリリスはちらりと後方で芋虫の様に地面を這いずっているリッツに視線を向け、すぐにユキノに戻す。
「もしかして…ついに見つけたの?お姉ちゃん」
「なぁにか言いましたぁ?」
「ううん、こっちの事。ねえユキノちゃん」
「なんですかぁ?」
「これから私がある魔法を…そうだな、だいたい10分の1くらいの威力で撃つからそれを受けてみてくれないかな?」
「はぇ?」
「もしそれを受けてユキノちゃんが無事だったなら…何でもお願い事を一つだけ聞いてあげる」
「あははははははは!なんですぅそれ?殺したいってお願いでもいいんですかぁ?」
「いいよ」
ニッコリとアマリリスが微笑み、ユキノも満面の笑みを見せた。
「いいですねいいですね!このままじゃあアマリリスさんを殺すの難しそうだし…その勝負乗りましたぁ!あははははははは!これで殺せる…殺せるんですね!」
「受けきれたらね。じゃあ早速行くよ」
アマリリスが本を掲げる。
パラパラとひとりでに捲れていくページがピタリとその動きを止めると周囲の空気が変わった。
ピンと張り詰め、今にでも崩れてしまいそうな…そんな空気に。
「地水火風に光に闇」
静かなアマリリスの声に呼応するように膨大な魔力の柱が複数上がり、瞬時に小さな玉の様に圧縮されていく。
その数は魔法を区分する属性の数と同じ6個。
「全てを混ぜ合わせて一つに」
アマリリスの手の中で全ての玉がぶつかり合い、崩れて混ざり合う。
そうして生まれたのは底の見えない深淵をの覗かせた真っ黒な…辛うじて球状に見える不定形の何かだ。
「オリジナル魔法、カオススフィア」
「そんな小さな玉みたいなので私をどうにかできるんですか?」
「どうだろうね。それを試してみたいの。威力はさっきも言ったけど本来の10分の1…戦ってみた感じと目算だけどギリギリ受け止めきれるかどうかだとは思ってる」
「わぁ怖い。じゃあいつでもどうぞ」
バチバチと雷を迸らせた異形の腕がゆっくりと持ち上げられ、アマリリスに脈打つ赤黒い掌が向けられる。
的とばかりに差し出されたそれに、アマリリスはその魔法を解き放った。