名無しの少女2
ナナシノちゃん視点です。
ユキノさんが出て行ってから丸一日が経過した。
長年暗い室内にいた経験からか、いちいち外を見なくても私にはだいたいの時間が分かる。
もう夜の闇が晴れて朝日が昇っている時間帯で間違いないでしょう。
「…久しぶりに何もご飯を口にしない日を過ごしてしまいましたね」
ご飯は毎日出来るだけユキノさんと一緒に食べる…そう約束していたはずなのにいつも私を心配そうに見ながら食事を差し出してくる彼女は未だに戻ってこない。
リフィルさんに見せられた映像のに映っていた人と一緒に今もご飯を食べているのでしょうか…そう考えると胸がぐるぐるしておかしな感覚に陥ってしまう。
気分が悪い…そういわれる状態を私はほぼ初めて経験しているのかもしれない。
私は死なない…それだけではなくてどうやら病と呼ばれるものにもかからないらしく、話にしか聞いたことがない。
故に体調を崩すという経験をしたことがなくて、いま私を襲っている胸のぐるぐるが気持ち悪くてたまらない。
「なんで…どうして…」
それは昨日も吐き出した言葉だ。
胸のぐるぐるが身体の奥からそのまま口から勝手に押し出してきた何を刺しているのかもわからない言葉の羅列。
それを聞いた時のリフィルさんはニッコリと笑っていて、そしてこの胸のもやもやが何なのかを教えてくれた。
「それはねナナシノちゃんがユキノちゃんの事を恋しく思っているから。嫉妬しちゃったんだね?ううん、悲しいのかな?」
「…?」
「分からないかな?わからないよね?」
リフィルさんが私と向かい合って同じような姿勢で丸まって座る。
特徴的なガラス玉のような真っ赤な瞳に素っ頓狂な顔をした私の姿が映りこむ。
「ゆっくり考えていこっか。あのね?ナナシノちゃんはさっきの光景を見てどう思った?」
「別にどうも…」
何を思ったとかはない…と思う。
ただ胸がぐるぐるして気持ちが悪いだけ。
「でも私には聞こえているし見えてるよ?「なんで、どうしてユキノさんは私のところに帰ってきてくれないの」って」
「っ!?」
まるで私が喋ったかのようにリフィルさんの言葉は私の中の言葉にならない何かに言葉をつけていた。
「寂しいね?悲しいね?」
「寂しい…悲しい…」
あらためて自分で言葉にしてみると良く分かる。
私は寂しいし悲しい…ずっと一人だった私に優しくしてくれたただ一人の人。
もう…帰ってきてはくれないのでしょうか。
でもそれが正しい形なのかもしれない。
私は普通じゃない…ユキノさんと話していても自分が常識だと思っていることのほぼすべては常識なんかじゃなくて…何も噛み合わない。
ユキノさんが外で頑張っている間もこうして部屋の隅で丸まっていることしかできない。
こんな私の側にあんな優しい人がずっといてくれると思うほうがおかしい。
それくらいは分かる。
「そうだね。そんなつまらない子のところにいるよりはちゃんとした他の人と一緒にご飯を食べたほうが楽しいもんね」
「…」
リフィルさんは人の心を読んでいるかのように的確に私の胸のぐるぐるをかき回してくる。
痛い。
刺されたわけでも斬られたわけでも殴られたわけでもないのに…身体の中のどこかが痛い。
「んふふふふ!だからねナナシノちゃん。ユキノちゃんに戻ってきてほしかったら…あなたも対等な人になればいいの」
「対等…?」
「そう。あのね?ナナシノちゃんは今、ユキノちゃんに与えられているばかりなの。貰うだけで何もあげてない。そんなのダメだよ?ダメだよね?そんな関係はダメダメなんだよ。与えて与えられて…愛して愛されないと全部嘘だよ」
「愛して愛される…?」
「そう。よく考えてみて、ね?あんまり私が手を出し過ぎるのもよくないと思うからこうして教えてあげるだけしかできないけれど…だけどあなたとユキノちゃんはきっと出会うべくして出会ったはずだから。きっともっともっと素敵な関係に慣れると思うの。だってそうでしょ?殺したいけれど殺したくない女の子と死なないあなた…びっくりするくらい噛み合ってるもの。神様にだっていじれない運命ってやつ」
「運命…」
リフィルさんの言っていることはほんの少しも理解できない。
だけど…まだなにかユキノさんを私の元につなぎとめられる何かがあるのなら…。
「んふふふふ…ほらナナシノちゃん、あーんして?」
「…?あーん」
言われるままに口を開けると、リフィルさんが小さく丸い何かをわたしの口の中に突っ込んだ。
突然だったからびっくりしてそれを反射的に飲み込んでしまった。
「ほらやっぱり!「あなたなら大丈夫」な気がしたからちょっとだけ手助け。頑張ってね?大丈夫大丈夫、あなた達がちゃんと愛を育めたのなら…なんだってできるのだから。そしてそれを私に証明して?」
それが昨日のリフィルさんとの会話。
そして私はユキノさんの帰りを待ち続ける。
探しに行ければいいのだろうけど…きっと私が外に出てもどこに何があるのかもわからないから。
こうしてたった一人で待ち続ける。
「…私には過ぎた場所だと思っていたけど…独りだと牢屋と何も変わらないですね」
やがて陽が落ちて…おそらく外も暗くなっているであろう頃に寝室の扉がゆっくりと開かれて…ユキノさんが帰って来た。
「おかえりなさい」
「…」
いつもなら私がお帰りなさいと言うよりも先にただいまと笑いかけてくるユキノさんが今日はどれだけ待ってもそれを言う事はなかった。
ただそこに立っていて…私の事を見下ろしている。
「…どうかしましたか?」
「なな…しのちゃん…わ、わた…し…」
ユキノさんは泣いていた。
明かりもつけていないからわかりにくかったけれど、よく目を凝らしてみると全身ボロボロで…瞳の端から水が落ちた跡がつーっと続いている。
とにかく尋常じゃない様子だった。
「ユキノさん…?」
「わたし…ひ、人を…」
そこでユキノさんの身体が崩れ落ちた。
受け身が取れなかったのか…とるつもりがなかったのか何の抵抗もなく床に身体を打ちつけて、虚ろな瞳のままで涙を流している。
私は驚いて慌ててユキノさんの元に駆け寄りその身を起させる。
「大丈夫ですか!?」
「私…人を…殺してしまった…わ、わたしが…」
ユキノさんはまるでそういう仕組みの魔道具の様に同じ言葉を繰り返していた。
前回書き損ねましたがカップル間でのすれ違いみたいな展開が実は好きではないので基本的には引きづらず終わらせたい所存です。




