赤い眠り姫2
「殺す?殺すだって?この僕をか?」
リッツはフランネルから視線を外し、その手に正体不明の雷を宿したまま異形の腕を抱えて不気味に笑うユキノを睨みつける。
ドクンドクンと歪で巨大なユキノの腕の鼓動が闇夜に溶けて流れていく。
明らかに普通ではない…が、しかしリッツは身の危険をそれほど感じていなかった。
彼が雷の力に目覚めたのは数年ほど前。
リッツの家は代々小さいながらも商業を続けていた家で、最近帝国を中心に出回りだした「自動式の馬車」の事業に関わっていた。
誰が発明したものなのかは公表されていないが、それは画期的なもので馬が必要なく乗り心地も悪くない。
問題があるとすれば動力の部分で、安定してエネルギーを供給できる何かを探して連日会議が行われていた。
そんな中、リッツの家に強盗が入った。
一体何の目的だったのかは今はもう分からない…なぜならばリッツがその強盗を消し炭にしてしまったのだから。
刃物を突き付けられ極限状態に陥った時、彼は雷の力を覚醒させたのだ。
それからの彼はまさに絶好調だった。
無尽蔵に生み出される雷は彼の家に莫大な財を産み落とし、さらには武力という点においてもまさに最強の一言だ。
生涯を鍛錬に費やした剣士も、魔法が得意だと豪語する魔術師も彼の雷の前には等しく跪いた。
試しにと野外に現れる魔物を相手にしてみたが驚くほどにあっけがなかった。
最強の力を手に入れたリッツはまさにこの世界の全てを手に入れたと自覚した。
自分に敵うものなんてこの世界にはいない…いつかは皇帝さえも自分にひれ伏すことになるだろうと心の底から思っていた。
だからこの「お膳立て」されたような状況をおかしいとは全く思えない。
こんなことに巻き込まれれば困惑し、怯え、涙を流すはずのフランネルが冷静に二人から距離を取り、観察するような視線を二人に向けていることにすら気がつけない。
帝国に侵入した異形の化け物を倒せばさらに自分の地位は向上し、そうすれば帝国も有数の美しさを持つと言われるフランネルも喜んで自分の元に嫁いでくるだろうという根拠ない自信に駆られ増長していく。
今対峙している相手が一体何なのかを考えることもせずに。
「やれるものならやってみろ化け物が!僕の神の雷の裁きを受けるがいい!」
リッツの手から放たれた雷がユキノに襲い掛かる。
「あはっ!あはははははははは!!はははははははは!!」
自らの身の丈をゆうに超える大きさの腕を乱暴に引きずりながらユキノは雷を躱すように走る。
ユキノの走力は明らかに人のそれではなく、目で捉えられないほどではないが17のただの少女が出せるはずもない速度で闇を駆ける。
「意外とすばしっこいじゃないか化け物め!だが…」
リッツが雷の放出を止めた。
その瞬間、異形の腕を前面ににユキノが一気にリッツとの距離を詰めた。
「やはり化け物だな!僕に比べて知恵が足りない。目の前にエサをぶら下げれば疑いもせずに飛びつく獣が!」
リッツ差し向けた手のひらが完全にユキノを捉えた。
彼の雷に予備動作も準備も存在しない。
剣を使うのならば降らなければいけない、魔法を使うのならば詠唱が必要だ。
しかしリッツの雷は彼が望めばその場で瞬時に、何の消費もなく発生する。
「つまりは貴様の負けだ!感電…いや、真っ黒に焼け焦げろ!」
そうして放たれた雷がユキノを襲った。
確かな手ごたえをリッツは感じて、またいつものように勝利を確信してほくそ笑む。
だが…。
「あはははははははは!!!!」
「な、に…?」
ユキノの身体を貫くはずだった雷は異形の腕に防がれていた。
まるで腕と雷の間に壁でもあるかのように雷が反発して軌道を反らして霧散していく。
「そんなはずは無い…僕の力は…僕は最強なんだ!」
渾身の力を籠めリッツは雷を放つがユキノの動きを止めることは出来ず、異形の腕がそのままリッツの身体を掴んで地面に押し倒した。
強く叩きつけられ、肺から一気に空気が漏れでていく。
「ぐ、ぐそっ…!!放せ!僕を…誰だと思っているぅ!!!」
暴れようとするが身体をがっちりと巨大な腕に掴まれており、わずかに身じろぐことしかできない。
ならばと雷を放出し続けるが、雷はユキノの身体を傷つけることはなく軌道を反らされて拡散した雷が夜の闇を眩しく照らしていくのみだ。
(いや、違う…何かおかしい!この雷は僕が出しているんじゃない…無理やり引き出されている!?)
そこでリッツはようやく雷が自分の意志とは関係なく身体から引き出されていることに気がついた。
放出を止めようと試みてもまるで吸い取られるように止めることは出来ない。
(今までこんなことはなかった…僕の雷が僕に意に反することなんて…一体何が…っ!?)
リッツは見た。
自分を押し倒している形になっている異形の腕を持つ少女を。
月明かりと雷に照らされて影の落ちた顔の中で三日月の形に裂けたような口だけが赤々と…血の色の様に浮かんでいた。
「最近見てなかったの…うふふふっ!見ていいかなぁ、見ていいかなぁ?」
「な、なんだ…何を言っているんだ!」
不気味に笑うユキノに不気味な何かを感じると共にリッツの身体を掴んでいる手に力が籠められ、その圧迫感を増した。
そしてひんやりとした冷たく鋭い何かが身体に当たっていて…それをリッツが異形の腕から伸びていた鎌のような指だと理解すると共に一気に異形の腕が引き抜かれた。
リッツにはその光景がやけにスローに見えた。
遠ざかっていく異形の腕に引き寄せられるように宙を舞う真っ赤な雫…鋭い刃のような指に削り取られた肉片。
それは一体誰の…?
「う…ぐぎゃぁああああああああああああああ!!!??!?」
脳が理解するよりも早く、身体がリッツに悲鳴をあげさせた。
そして遅れて想像を絶する痛みを認識する。
五指の刃が両腕と脇腹の肉をえぐり取り、噴水の様に血が噴き出す。
なぜ、いったいどうして自分がこんな目に?そんな意味のない思考に囚われながら痛みに泣き叫ぶ。
「あはっ!綺麗な血ぃ…赤くて朱くて紅くて…宝石みたい…ふふっ!うふふふふふふふふふふふふふ!!!!!!あはははははははは!!!!!!」
一人の人間を死の淵に今まさに追いやっている少女は楽しそうに笑い続ける。
不気味に脈打つ異形の右腕を抱え、月に照らされ血を浴びるユキノはある種の妖艶さを醸し出しているようにすら見えた。
これが先ほどまでフランネルの近くでびくびくしていた少女と同一人物なのだろうか?この光景を目撃したものはおそらく全員がそう思うだろう。
それほどまでに雰囲気が様変わりしている。
「お前ぇぇ…!おまえおまえおまえぇええ!!!僕を誰だっ…とおもっているぅううー!!!!殺す…殺してやる…!!!!」
涙と鼻水で顔を汚し、全身から血を流しながらもリッツはユキノを睨みつけ、そして雷を放とうとした。
今度こそは遠慮しない。
今までは油断していただけだ。
この女だけは必ず殺すと。
しかしどれだけ力もうとも雷が発せられることはなかった。
「な、なんで…」
「ふふっ!」
雷の力が使えなければリッツなどそこいらの一般人と何ら変わらない。
完全に無防備となったリッツにユキノの影が重なる。
「ひっ…!く、来るな!分かっているのか!僕がどれだけ世界に貢献していると…」
「ねぇ」
リッツの言葉を遮るようにユキノがゆっくりと異形の腕を持ち上げる。
「私ね人の中身が大好きなの」
「え…?」
「見たことあるかなぁ…お肉を割いて骨を砕いた先に真っ赤な血に彩られて…それでも鮮やかでプルプルなね内臓があるの。とーってもきれいでさ…それをずるずるって引き出すのが…たまらないの!」
「ひぃ!た、助け…!」
ぶんっと風を切り、異形の腕がリッツに振り下ろされ…それを遮るようにしてユキノを炎が襲った。
「きゃっ!」
炎は瞬く間にユキノの身体を覆い尽くすも異形の腕が炎を一撫ですると最初から存在していなかったかのように消えていく。
「いいところだったのに…誰かなぁ?」
ゆらりとユキノの首が炎の発生源の方を向く。
そこには古びた本を抱え、手のひらをユキノに向けているフランネルの姿があった。
「ふ、フランネル嬢!?ぼぼぼ僕を助けてくれるのか!は、はははいいぞ!さすがは僕の妻…」
「リッツくん静かにしてて。あと邪魔だから少し離れてて」
ユキノとフランネルの視線が交わり、空気が張り詰める。
「フランネルさぁん、どうして邪魔をするの?」
「リッツくんを殺されると少しだけ困るの。いろいろと忙しくなっちゃうから」
「ここまで来てそれはないですよぉフランネルさん…だってそれじゃあ私のこの行き場のない衝動はどうすればいいんですか?私は…殺したいんです!ずっとずっとずっとずっとずっと我慢してたのに…殺していい人がいるから!…殺させて?フランネルさん、ね?じゃないと私…あなたを殺しちゃう」
「いいよ」
「あえ?」
「殺せるものならやってみなよ」
パラパラとひとりでにフランネルの持つ本のページが開いていく。
「ただそう簡単に出来ると思わないでね。これでも私は人が思うよりも強いよ」
「あはっ!いいんだ?いいって言ったよねフランネルさん!今殺していいって!いいって言われたんだからいいんだよね!?あはははははははは!!」
「アマリリス」
「…?なんですかぁ?」
「私の名前。アマリリス・フランネル。殺したい相手の名前くらい知っておきたいでしょ?」
「ふ、ふふふふふふふ!綺麗な名前ぇ…」
「ありがと」
ドクンドクンと脈打つ異形の右腕がアマリリスに爪をたてようと襲い掛かった。
この終始あはあは笑ってる子が主人公です。