忘れ物
前にいる女か後ろにいる女か、どちらを先に殺そうかと思案しているとリコちゃんを抱えたアリスに呼び止められた。
まただ…最近こんなのばっかりだ。
もうあと一歩で人の命を握りつぶせるのにその寸前で邪魔が入る。
…いや、ちょっと落ち着こう…さすがに飲まれ過ぎている。
アリスにまで暗い感情をこの場で向けるのはいくら何でもダメだ…落ち着け。
「…なに、アリス」
精一杯にいろいろなものを飲み込んだつもりだけど、口から出た言葉には自分でも驚くほどの不快感が滲んでいた。
仕方ないと思う反面、やっぱり私は惨めな女だと自嘲する気持ちもある。
それを知ってか知らずかアリスはいつもと変わらない声色で話す。
「いや、もういいだろ。こっちで話がついた。ランくんがキミからの欠片の破壊を受け入れるそうだ!」
「え、いやアリス様…僕はそんなこと言って、」
「というわけだから先にこちらを処理してもらえないだろうか!そしてもう帰ろう!」
「先にこの人たち殺してからでよくない?悪い人たちなんでしょ?」
「来る前に約束しただろう?優先はランくんだ」
「…」
確かにランさんの欠片を破壊することが優先みたいな話はしたけれど…こっちにだって事情がある。
「今すっごく「溜まってる」からさぁ…欠片どころかランさんを殺しちゃうかもしれないよ」
ギリギリ正気は失っていない。
自分を客観視もできている。
だけどこの限界近くまで溜まっている殺意を抑えられるかどうかは別の話だ。
スノーホワイトを使って戦い過ぎた…もう誰かを殺さないと止められない。
「うん、それならば仕方がない。また敵の増援が来たり逃げられたりしたら面倒だ。先にランくんを処理しよう」
「…どうなっても知らないですよ」
アリスが言ったんだ。
私はやらないほうがいいと言った。
だからランさんがどうなっても私のせいじゃない。
欠片に関しての事なら殺していいと皇帝さんにも言われている。
敵二人を無視して私は立ち尽くすランさんにゆっくりと近づいていく。
足元に転がる女の子も、アトラさんも動かない。
ランさんは私とアリスを交互に見て…やがて諦めたかのように一歩前に出た。
向こうから来たという事はそういう事でいいんだよね?
「覚悟は出来ましたか」
「…ええ、色々とやらかしてしまいましたからね。どうやらアトラさんも手を出すつもりはないようですし…最初の宣言通りあなたの選択に従います」
「そうですか…じゃあ死んでください」
スノーホワイトの爪を開いて振り上げる。
誰も私を止めようとしない。
アトラさんも謎の少女もアリスも…ただこの状況を見つめているだけ。
「あはっ」
ようやく殺せると私はスノーホワイトをランさんに叩きつけ…。
──僕はね、ユキノさん…復讐がしたかったんだ。
声が聞こえた。
それは記憶の中から聞こえた声。
昼間、ランさんと話していた時の記憶。
──僕を金稼ぎの道具にした両親、散々おだてておいて治療を止めた瞬間に手のひらを返した近所の人たち…それが転じてこの世界のありとあらゆる人が憎いとまで思うようになりました。
皆めちゃくちゃになればいいのにって…だけど何より僕は…こんな治すふりをして壊すことしかできない僕を終わらせたい。
ランさんはそう悲しそうに笑っていた。
「っ!ぁあああああああああ!!!」
スノーホワイトを伝って肉を切り裂く感触がした。
ランさんから血が噴き出し、私の顔を汚す。
そしてそのまま全てを受け入れたような顔で倒れていくランさんがやけにゆっくりに見えた。
「うん、きみはやっぱり優しいなユキノくん」
「…」
「アレンくん!来てくれ!ランくんはまだ生きている、はやく治療を!」
アリスの呼びかけに応じて少し離れた位置にいたアレンさんがまだ息のあるランさんを抱えてどこかに連れて行く。
私は出来なかった…こんなに殺したくてたまらないのに…最後の瞬間でランさんを殺すことが出来なかった。
私の中の殺意はもう私自身を食い破るのではないかと思うほどに暴れまわっていて、今すぐにでも誰かを殺したい。
殺さないとまずい。
獲物を求めて先ほどのナイフの少女の方を振り返ると、少女はアトラさんに抱えられていて、何が楽しいのかアトラさんはふわふわとした笑顔を私に向けていた。
「逃げるつもりなの…?ここまでやっておいて…?」
「ええ残念ですけどそうさせてもらいますぅ。お仕事もここまでみたいですしぃ~なによりユキノさんとはもっと万全の状態で遊びたいですからぁ~。うふふ!きっとまた近いうちに伺いますねぇ~またたぁ~くさん遊びましょう?ユキノさんとなら仲良くできそうですからぁ~」
一方的に言いたいことだけ言って、たんっ!とアトラさんが後ろに跳んだ。
丸で闇の中に飛び込んだかのように姿が見えなくなって、気配すら感じられなくなってしまった。
あぁ…まずい。
誰もなくなってしまった。
もう…私は私を抑えられない。
「アリス」
「ん?」
「逃げて。殺しちゃう」
「ふむ…今から逃げたとして間に合うのだろうか?普通に追いつかれて終わりそうな気がするのだが」
「じゃあ…大人しく殺されて」
再びアリスの方を振り返ると唇が触れてしまいそうなほど近くにここに居るはずのないリフィルさんの顔があった。
「!?」
「やっほやっほー。いい顔してるね?怖いね?お届け物だよ」
混乱する私をよそに笑うリフィルさん。
そして何か柔らかいものを貫いた感触と…心地のいいヌルリとした感触が同時にスノーホワイトに伝わった。
ニコニコと笑うリフィルさんから視線を外して、右腕に目を向けると…スノーホワイトに串刺しにされたナナシノちゃんの姿があった。
「な…ナナシノちゃん…?どうして…」
「ごぷっ…あ、え?…なんで…わた、し…ユキノさん…?」
視線の先でスノーホワイトの爪に貫かれたナナシノちゃんが痙攣をしながら血を吐き出す。
私には何が起こったのか理解できていないけれど、同じようにナナシノちゃんも何が起こっているのか分からないと言いたげな顔をしていた。
「んふふふふ!せっかく私がちょうどいい子を用意してあげたんだからさ?ちゃんと使ってくれないと~ダメだよ?ダメなんだよ?」
リフィルさんがその独特な色の髪を揺らしながら血に染まるナナシノちゃんの頬を撫でながら私に笑いかける。
もしかしてリフィルさんがナナシノちゃんをここに…?私がこの殺意を抑えきれないのを知ってナナシノちゃんを連れて来たという事…?
「そう!そういう事!いやぁすぐにお話を理解してくれる子は好きだよ?ほんとだよ?」
まるで私の心を読んでいるかのように話を進めたリフィルさんが怖いくらいの無邪気な笑みを浮かべたまま今度はスノーホワイトの腕を撫でた。
「というわけだからね?ほらほらもっとやっていいんだよ?この子はね?あなたの殺したい~!って気持ちを受け止めるためにいるんだから。ほらだからもっとしよ?ぐちゃぐちゃにしてザクザクにして…いっぱいいっぱい気持ち良くなろ?ね?」
優し気なリフィルさんの声が耳から入ってきて私の中の何かを溶かしていく。
自制心とか罪悪感とか…そんなものが全て溶けて流されて…。
「ゆき、の…さ…ん…こぽっ…」
吐き出された生暖かい血がスノーホワイトにこぼれた。
赤くて綺麗…。
私は右腕に力を入れると、ナナシノちゃんをくし刺しにしている爪を一息に引き抜いた。
巨大な爪に引きずられて肉や内臓が血と一緒に飛び散って月明かりに照らされる夜空に舞った。
そこで戦いのダメージからか私は意識を失ってしまった。
とても心地のいい満足感に包まれながら。




