姫と聖者の問答
一方その頃です。
「…すごいな」
時間と共に激しさを増していく二人の戦いを見つめてランはぼそりと呟いた。
誰に向けて放ったわけでもないその言葉だったが「そうだね」と求めてはいない返事が返ってきたのでゆっくりとそちらに顔を向ける。
「アリス様…」
「うむ。元気そうで何よりだランくん」
「おかげさまで。というのも変な話ですね」
「違いない」
ちらりとランがアリスの背後に目を向けるも彼女の護衛であるアレンは距離を取っており、少なくともすぐにランに手を出せるような状態ではななかった。
「いいのですか?僕を捕まえなくて」
「うん。逃げるつもりはなさそうだからな」
「ははは、というよりどうしようもないというのが本音ですがね。まさか僕をそっちのけでアトラさんが戦うとは思わず」
「見るからに血に飢えた戦闘狂みたいだからなぁ」
「違いない…ところでそれ重くないのですか?」
「重いに決まっているだろう」
アレンはアリスから離れている。
しかしリコリスはそうではなかった。
小柄な身体でアリスにしがみつき、抱っこされているような形でスヤスヤと寝息を立てており、時折アリスの首筋にちゅうちゅうと吸い付いてうっすらと痕を残していた。
「…まぁ別に僕には関係ない事なのでどうでもいいのですが」
「うむ」
二人の視線の先で異形の腕と異質な大剣のぶつかり合いは続いていて、時折楽しそうな少女の笑い声が重なって聞こえてきていた。
「…あらためてになりますが凄いですね。僕のような一般人にはどうやっても到達できない動きだ…それに恐ろしい。僕はこの後あの二人のうちどちらかに身を差し出さないといけないわけで…世の理不尽を実感しているところですよ」
「同情はしないぞ」
「ええ、してほしいわけではなありませんから」
「でも実は少し同情しているぞ。ただ…余にはどうしようもない。できる事はしたつもりだが」
「そこは感謝していますよ。ただまぁ…まさか裏の組織側から僕の身柄の安全を条件に提示されたのに対して国からは…さすがにそちらの方が条件的に酷い事になるとは想像していませんでした」
「うん…まぁすまないとしか言えない。ただ偉大な我が母にすればそれだけキミの持つ力は否定されなければならないものだという事らしい」
ランは自らの手に視線を落とし、力の限りこぶしを握り締めた。
手のひらに爪が食い込み、うっすらと滲んだ血がゆっくりと滑り落ちていく。
そして何事もなかったかのようにランは手を下ろし、アリスも見ないふりをしていた。
「ところでアリス様。一ついいでしょうか」
「どうぞ」
「一応今回の件は入念に準備をしていたのです。いったん彼女たちの組織アラクネスートに身を寄せた後に日を改めて今回の状況に持っていくつもりだったのですが…どうして僕たちの動きが分かったのです?」
「…」
「あれでもアトラさんはその筋のプロだ。素人目から見ても手際もよく、ミスなどもなかったように思えます。だというのにあなた方は僕が診療所を出てからすぐに僕たちの動きを掴み、こうして追い付いた…おかしいじゃないですか。この短時間で追い付くなんてそれこそ僕たちの動きを知っていないと説明がつかない。どうやって僕の動きが、居場所が分かったのです?…あなたは何者なのですか」
「別に大した話じゃない。それだけ余の周りに優秀な者が集まっているというだけの事だよ…そして余が何者か。それに関しては余はアリス・フォルレントだとしか答えられない」
「真面目に答えてくれる気はないと?」
「違う。余という人間を語るにおいて、このアリス・フォルレントという名前が全てだと言うだけの話だ」
そこでようやくアリスとランの視線が交わる。
どちらもその瞳からは感情が読み取れず…しかし気圧されたのはランの方だった。
(15歳…僕の人生が狂ったのと同じ年齢か…)
「何か言いたげだな、ランくん」
「あなたは凄いですね。その年で何でも持っている。地位も名誉も…首都から離れている僕の所にもあなたを讃える声が届くほどですからね」
「余が凄い事なんて何一つないさ。キミの言う地位も名誉も余のものじゃない。偉大な我が母の威光…七光りだ。母が積み上げてきたもの、成してきたことを一方的に享受しているだけだ」
「いえいえ、その若さでそれだけ達観しているのはやはり凄い事ですよ。正直…あなたを見ていると自分が惨めになります。僕があなたならきっとこんな力を持ってもおかしなことになることはなかった。教えてくださいアリス様。僕とあなた…何が違うのでしょうか?僕は人格面や血筋を除けば全てあなたに勝っているはずだ。力も身体も…頭脳だってあなたより優れている自信がある。なのにどうして…それほどまでにフォルレントという名前は凄いのでしょうか」
ランは半ばやけになっていた。
そうでなければ独裁国家である帝国…その独裁権を握っている皇帝の一人娘をここまで侮辱できはしない。
眼前で繰り広げられる非日常的な光景が、もう後戻りできないという状況が彼の口を滑らせたのかもしれない。
ここで不敬だと処罰されてもそれならそれでいい…そう腹をくくっていたがアリスはただただ静かだった。
怒るでも呆れるでもなくただ静かにランの話を聞いていた。
そしてアリスは少しの間をおいてゆっくりと息を吐くと静かに話し始めた。
「キミの言う通りだよ。余は…いや私は誰かに何かで勝てるほどの人間じゃない。自分が恵まれているのは分かっている。この世で私より地位が高い人なんて一握りしかいない…それを恵まれていると言わずして何というのか…それが無くなれば私なんてただの穀潰しだ。身体が弱くて一人では何もできない。誰かに支えてもらわなければ日によっては歩くことすらままならない。健康に日々を過ごしている人が…毎日を何も考えず平和に過ごせている人すべてが羨ましいと卑しく思っている。だから私よりランくんが劣っているところなんて何一つないし全てにおいてキミのほうが上だ。頭だって悪いしね。必死に勉強したのに学園の入学テストは合格ラインぎりぎりだった」
「…そうですか」
「でもそれでも私は諦めたことだけはないんだ。どれだけ体調が悪くても体力をつける目的の日課の散歩は欠かしたことはないし、つい先日も恐ろしいほどに長い階段を吐しゃ物をぶちまけながらも登り切った。勉強だって物覚えが悪いなりに血反吐を吐くほど詰め込んで死ぬ気でやって何とか受かったんだ。コネじゃない、念入りに確認したから信じて欲しい。別に誰に誇れるわけじゃないし、結果的に他人には迷惑をかけているだけだ…でも、それでも諦めたことがないというのは私が私であることの証明なんだ。わかるかいランくん?諦めなければきっといつか望みや夢はかなうんだ」
「…馬鹿馬鹿しい話ですね。誰に誇れないとは言いますがその心意気はとっても素晴らしいと思います。ですが諦めなければ必ず夢はかなうなど今時子供でさえ口にしませんよ。頑張って夢がかなうのであれば誰も苦労なんてしませんからね」
「当たり前だ。夢は「必ず」は叶いはしない。どれだけ頑張ってもかなわない夢なんて星の数ほどあるだろう。でも頑張らないと夢はかなわない。どれだけ努力しても夢はかなわないかもしれないが、それと同じように夢を叶えた者は夢を掴むまで努力をした者だ。だから私は夢は「きっと」叶うと努力をするんだ。だからランくん…キミもそうするべきだった。自分の境遇を呪う前にキミは…燃え尽きるその瞬間まで努力をするべきだったんだ。私が言えるのはそれだけだ」
ランは何かを噛み殺すように唇をかみしめ…そして苦笑いを漏らす。
「あなたは努力ができる環境にいるだけだとは考えないのですか?それこそ帝国の姫という立場はあなたに好きなだけ努力ができる環境を与えているはずだ。何を強制されることの無い自由な時間に無償で手を貸してくれる者たち…それでお前も同じように努力しろなどおっしゃられても困りますよ」
ランはあえてこの時、極度の虚弱体質というアリスの事情を無視した。
ただ自分より恵まれた環境が産まれながらに用意されていたからそんな事が言えるのだと、優位な部分だけに言及する。
それはどういう理由なのかラン自身にも判別がつかない。
純粋な嫉妬か、この達観したような表情を崩したかったのか…はたまたアリスも自分達と何も変わらないただの人だという安心感が欲しいのか。
「他人を指差して自分が恵まれていないからと言い訳をしたい気持ちは良く分かる。むしろこの世界で私がその気持ちを一番理解しているとさえ傲慢かもしれないけど思うほどに」
「あなたにもそんな気持ちを向けてしまう相手が存在していると?」
「そうだね。いたと言うほうが…いや…ごめん、ちょっと適切な言葉が思い浮かばない。ただ私は「以前」にほぼすべての人間を羨ましいと思っていた時期があった。白い部屋の白いベッドの上で身動き一つとれずずっとずっと眠ったまま…泣いてほしくないのに家族や大切な人を泣かせ続けた」
「…それはいつの話ですか?」
皇帝の一人娘が虚弱で病弱だという話は有名だ。
帝国という世界を統べている大国には表向きはともかく裏向きには敵対心を抱いている国や人も多く存在し、それが理由で起こった事件は一つや二つではない。
それがアリスの側に騎士が常に配置されている理由にも繋がっているのだから。
しかし他国に知れ渡っているほど有名な情報に、いくらなんでも歩けないほど身体が弱い時期があったという話は存在しない。
うまく隠されているにしても不自然だ。
しかしランに言葉を尽くすアリスの表情に嘘はないようにも見えた。
「以前としか言えない。しいて言うのなら…ここに来る前の私だ。そしてそんな私だからこそたとえ数秒走っただけで疲れ果ててしまうこの身体に生まれたとしても…嬉しかった。手足が動かせることが、自分の足で立ち上がれることが…努力をすることが出来るという事実が泣くほど嬉しかった。そして母の七光りのおかげだとしても親切に、大切にしてくれる人がたくさんいたんだ。私はそんな人たちが…私を慕ってくれる人が慕う価値のある人間でありたい。何も成せなくても、なにも叶わなくても、全て無駄だとしても…私は努力しているんだと自分と、私を見てくれている人に誇れる私でありたい」
顔と視線だけ向けて会話をしていたアリスが、そこで身体ごとランに向き直る。
優しげな印場を与える顔のつくりをしているアリスだが、ランはその時、見事に飲まれていた。
「もちろん私の生き方を押し付ける事なんてしない、誰かに偉そうに自分から説教なんてする価値は私にはない。でもキミからの問いに答えるのなら…キミが努力をしなかったからだ。逃げて閉じこもることを選んだ。だからランくんは今こんな状況にいる…だからこそランくんは今を後悔して泣いているんじゃないのかい。キミは…自分の足で立てる、言葉も話せる、なんだってできる…頑張ることが出来る人間だったのに」
「実に…痛い言葉ですね。でもそうだな…あなたが言うのならきっとそうなのでしょうね。私の心の奥底に突き刺さった後悔という棘…はぁ…。どうなんですかね実際、私があの時…逃げ出さずに両親と話す努力をしていれば何か変わったのでしょうか?」
「変わったかもしれないし、変わらなかったかもしれない。やっぱり結果は同じでキミは今と同じような未来を迎えたかもしれない…だけどきっと「あんなに頑張ったのだから」と諦めはつけられたのではないかと思うよ」
「ははは…確かにその通りだ」
ランはアリスから目を反らした。
目の前にいる自分の人生が狂った瞬間と同じ年齢の少女があまりに眩しかったから向かい合う事から逃げた。
もう自分の人生…こうして逃げ続けることしかできないのだろう。
それが今のランが出した答え。
でも…それでもほんの少しだけ、逃げ続ける人生を受け入れる前に一つだけ目を反らしていたことに向かい合ってみようと思った。
「アリス様…もう一つだけ」
「なんだい」
「僕が以前いた場所…僕の家族や近所のハンターのおじさんたちはあの後どうなったのでしょうか」
「キミがいなくなった後、あの地域に住んでいた者は暴徒となりキミの行方を捜していた…それこそ手段は選ばず。そんな彼らがまずキミをかくまっていると疑うのは…」
「僕の両親…ですよね」
「うん。そして帝国は彼らの鎮静化は不可能と判断した」
その先をアリスは語らなかった。
直接的な事は何も言っていない。
だが何が起こったかは…考えるまでもなく明らかだ。
「ありがとうございます。なんだかスッキリ…はしていないですけど聞けて良かったとは思います」
「うん。そしてキミは覚えておくべきだ。あの診療所に通っていた者たちも…多かれ少なかれそれと同じ末路を辿るという事を。余がもっと早く…キミの目的に気づければ止めてあげられたというのは…意味のない後悔だね」
「ははは、しかし僕は実は性格が悪いのであなたという輝かしいばかりの人間に一筋でも傷が残せたのならまぁ満足ですよ。怒りますか?」
「いいや?しかしそうだな…うん、ようやく腹が決まった。やっぱりキミの欠片はここで壊してもらうことにするよ」
「できますか?アトラさんとユキノさんの力はほぼ互角のように見えますが」
「うん。たぶんそろそろ時間だから」
「時間?」
ランの目には捉えられなかったがその時、黒い人影が闇に紛れて戦う二人に忍び寄っていた。
真面目な話をしていますがこの会話の間ずっとアリスの前面にリコリスがセミの様にへばりついて寝ています。
ちゃんとした話をしているのに見た目がおかしいという皇帝の娘要素です。
身体が弱いアリスがリコリスをずっと抱えていられる理由はそのうち出てくると思います。




