聖者の心
協会の裏口ある少しだけ錆びついているドアをキィと開く。
するとすぐそばにランさんが飲み物片手に座り込んでおり、その表情は心なしか疲れているように見えた。
あんな数の患者さんを相手にしていたら当然か…。
そんな状態なのにランさんは私の姿を見つけると優しく微笑みかけてくれた。
「おや、ユキノさん。どうかなさいましたか?」
「えっと…その、少しお話でもと思いまして…」
「話ですか?いやぁははは、ユキノさんのような美人に誘われると緊張してしまいますね」
「あはは…」
お世辞なんて言われたことないから少し恥ずかしい。
私は了承を得てからランさんの隣に腰を下ろそうとしたのだけど、すかさずランさんは懐からハンカチを取り出し、地面に敷いてくれた。
「どうぞ」
「ありがとうございます…」
なんだかとってもモテそうな人だなと思った。
狙ってやっているのか、自然にやっているのか…どちらにせよいい人なのは間違いなくて…やっぱりそんな人にこれから私がしないといけないことを考えただけで全身が重く感じる。
本当にこの人が欠片持ちなのだろうか…。
「それで話でしたか。何か聞きたいことでも?」
「えっとその…ランさんはその…私の事を聞いていますか?」
「あぁ…そうですね、アリス様と国からの使者の方に事前に話は伺いました。その方法も」
「…すみません」
私の口から咄嗟に出たのは謝罪の言葉で、それを聞いたランさんは困ったように笑いながら飲み物を地面に置いた。
「謝らないでください。そもそも国にお願いしたのは僕の方なんです」
「え?お願いって…」
「この力を消す手段を知っているのならば提供してほしい…門前払いを喰らうか実験動物にでもされるかと思いましたが思いのほか真剣に受け取ってもらえましてね…特にアリス様にはいろいろと便宜を図ってもらいました」
「どうしてそんな…?」
ランさんの力は私なんかと違って世のため人のためになっている能力だ。
沢山の人がこの人のおかげで笑顔になっている光景を先ほど見たばかりで…だというのにどうしてランさんがそんな力を手放したくなっているのか、私にはわからなかった。
「…「いい人」。皆が僕を指差してそう評します。でもね…僕はいい人なんかじゃないんですよ」
ランさんは置いていた飲み物を掴み上げると乱暴にぶちまけた。
飛び散った液体が地面に吸われて染みだけを残す。
それをしたランさんの表情からは優しそうな笑みが消えていて、無表情の中に影が落ちている。
「始まりはどこからだったのか…。僕に不思議な力があると分かったのは15の頃でした。将来何をしたいとかもなくて漠然と日々を過ごしていた中で母が怪我をしたんです。今思えばそこまで重大なものでもなかったのですがいかんせん出血が多くて…そんな怪我を見たことがない人生でしたから驚いた末に取り乱して何とかしなくちゃとがむしゃらに願ったんです。すると僕の手が光り出して気がつけば母親の傷は跡形もなく消えていた。何が起こったのか分からなくて母と二人でお互いに顔を見合わせていましたよ」
ランさんの視線は手に持った空のカップに注がれていて、やっぱりその表情には無が張り付いていて、どういう感情なのか分からない。
「次は善意でした。力の存在を知った僕は近所に住んでいた父の知り合いのハンターの怪我を治してあげたんです。知っていますか?ハンター」
「えっと…すみません」
「いえいえ、ハンターというのは魔物の討伐を生業にしている方たちの事ですね。学問を納めていなくても腕っぷしに自信があればそこそこ稼げます。まぁこの国には軍隊と騎士の皆様がいるので他国ほどには重宝されていませんがそれでもいざという時に面倒な手続きなく動けるハンターという存在はやはりなくてはならないものですね」
「なるほど…」
「ええとそれで近所に住んでいたそのハンターの方は仕事で負った怪我が原因で片腕が動かなかったのです。僕がそれを治した…とても感謝されましたよ。それこそ涙を流すほどにね…たくさんのお礼と感謝の気持ちをいただいて…」
「嬉しかったですか…?」
つい聞いてしまった。
だって素晴らしいエピソードを聞いているはずなのに、ランさんの顔がどんどん苦渋に歪んでいくから。
誰かを助けて感謝されたはずの人がする表情だとは思いたくなかったから。
「その時はね…ですが今では心底後悔しています。あそこで僕は力を使わずに封印しておくべきだった。その後どうなったと思います?ハンターのおじさんに感謝されて…その後は」
「えっと」
「簡単な話です。その人がね僕の事を同僚に話したんですよ。するとどうでしょうか、僕は一気にみんなの人気者です。町中の人が僕に怪我を治してくれと毎日のように殺到した。僕はその頃には少しおかしくなっていたんだ…たくさんの人から感謝されて謝礼を貰って…調子に乗って天狗になっていたんだ。どんどんそれが快楽になっていって…誰かに必要とされることがとても気持ちがよかった…でもそれがいつからかおかしくなっていったんだ」
「おかしくですか?」
どうして…?おかしくなる要素なんて一つもないのに。
私と違って素晴らしい力を持ったランさんがどうしてそんなに…恨めしげな顔をしているのか分からない。
「まずはなんだったかな…確か両親だ。父親が働かなくなった。母も家の事を何もしなくなったんですよ…僕のおかげで何もしなくても莫大なお金が入ってくるようになりましたからね。働く必要もなくなるしお手伝いさんを雇う余裕もできた」
「あ…」
「それでも最初はまぁ今まで育ててくれたことへの恩返しだと気にしなかったのですけどね…働くことを辞め日に日に肥えていく父に、金で自らを着飾ることだけに一日を消費する母…違和感に気がついて焦りだした時にはもう戻れなくなっていました。勝手な言い分なのでしょうが僕は…僕は必至に汗水を流して働く父が…家族の事を考えてご飯を作ってくれる母がいる家庭が好きだった。でもそれは…僕のせいで消えてしまったんです。それが16になるかならないかくらいの事でしたかね…僕は両親に以前の様に戻ってほしくて子供ながらに反抗をした。治療を一切やめたんです。さてどうなったと思います?」
「…元のご家族に戻れた…とか…」
そんなはずない。
もしそうならばこんな話を今この場所でランさんはしているはずがないから。
だけど私は信じたくないんだ…人を傷つけることしかできない能力を持った私とは違うランさんが…私とは違って幸せなんだって…。
しかしランさんは私の言葉を聞いて自嘲するような笑み零す。
「だとよかったのですけどね。治療を止めてまず変わったのは近所の人たちの態度でした。どうして治してくれないのか、あの人は治したのに私は俺はダメだと言うのかふざけるな、それだけ金を出したと思っている。今までにこやかに僕に感謝を述べていた人たちがこぞって手のひらを返して僕を罵倒した。本来ならあるはずのない奇跡でどうしてそこまで怒るのか本気で理解できなかった…切羽詰まった病人というのならまだ理解できる…だけど僕に唾を飛ばしながら怒声をぶつけてきたのはただ身体の節々が痛いだとか指を切ったとか風邪気味だとかそんなのばかりだ…普通に正式な場所で診断と治療を受ければいいだけなのになぜか彼らは僕に詰め寄った」
「…」
ランさんのカップを握る手が少し震えていた。
ピシッ、ピシッと小さな音がしていてうっすらとカップにひびが入っていくのが見える。
「そこでようやく僕は自分の力の性質に気がついた。どうやら僕の治療には「中毒性」があるようなんです。受けた人曰く別に気持ちがいいだとかそういう感覚は無いそうですが…すぐに不調な部分が治るのとなんとなく薬や普通の医療より安心できる気がして僕の治療を受けたくなるのだそうです…馬鹿馬鹿しい話ですよ。そして一番馬鹿馬鹿しいのは僕の両親だ…ユキノさんは元に戻ったと言いましたがその逆でした。初めて父親に殴られて母には今まで見たこともない形相で怒鳴られました。どうして治療をしない、どうして親の言う事を聞かない、そんな子供に育てた覚えはない、金を稼げ…そこにいたのはもう僕の知る両親じゃなかった」
「そんな…」
「最後には両親も喧嘩を始めたんです。お前の教育が悪いと父は母を罵り、あんたが馬鹿だから僕に遺伝したと母も父を罵った。家の中はいつも両親の喧嘩する声と何かを殴りつけるような鈍い音に、何かが割れる音…さらに外には治療しろと押しかける他人の声で頭がおかしくなりそうだった…そしてしまいには住んでいた場所中の人が僕を魔族還りの化け物だと指をさして言い出した。今までそんなこと言われたこともなかったのに…両親は魔族還りじゃなかった…そのことから僕は自分たちの子供じゃないと両親にまで言われてさ…僕は住んでいた場所を逃げ出すしかなくなった」
同じだ…。
住んでいた場所にいられなくなって一人で出て行くしかなった私と。
いや…薄れかけた思い出だけど母には愛されていたという記憶しかない私よりも…。
「なにがおかしいって両親はさ…僕の治療の中毒じゃなかった事だよ。母は指の一件以降不思議なほどに怪我をしなかった。父もだ。…それなのに…ほんと馬鹿馬鹿しくて笑ってしまうよ」
ランさんの顔は言葉とは裏腹に笑みの欠片も浮かんではいなかった。
「…結局逃げ出した僕は…偶然アリス様と帝国に拾って頂いてここに流れ着いたというわけです。どうでしたか?つまらない話だったでしょう?そしてどうして僕がこの力を捨てたいと願ったのか理解していただけたかと」
つまらない話なのかどうか私が判断できることじゃない。
だけどひたすら…胸が痛かった。
「あれ…?ちょっと待ってください、じゃあどうしてランさんはまたここで同じことを…?」
「あはは、やっぱりごまかせませんでしたか。なかなかに思慮深いですね。一つは僕の危険性を帝国に知ってほしかったという事…存在してはいけない力だという事を示して手際よく処理してほしかった。変に有用な力だと思われれば利用されてしまうかもしれないと思いましたからね…まぁもっとも帝国としては僕のような力は効力がどうであれ排除対称なようなので必要なかったみたいですけどね。そしてもう一つは───」
──────────
それから私は半分ほど魂が抜けているような状態になっていたと思う。
治療に戻ったランさんに何も声をかけることもなく、アリスたちが戻ってきてもほとんど何も話さずに家まで戻った。
「ユキノさん…今日は暗い顔をしていますね」
ナナシノちゃんが寝室で座り込む私を心配するように覗き込んだ。
いつもならせっかく向こうから来てくれたのだから仲を深めようと何か行動を起こすところだけど今は何もする気が起きなかった。
「疲れましたか?お仕事はそんなに大変だったのです?」
「…」
「ユキノさん?」
「ナナシノちゃん。私に…痛いことして」
なんでそんな事を言ったのか分からない。
だけど今は…何でもいいから刺激が欲しかった。
少し不思議そうにしながらもナナシノちゃんは私の腕をいつものようにつねってきたのだけど…なんだか感覚がふわふわしていてあんまり痛みを感じない。
やっぱりそんな状態だとナナシノちゃんもつまらないのかすぐにつねるのを止めてしまった。
「今日のユキノさんは…あんまり綺麗じゃないです」
「…そっか」
何をやっているんだろう私…。
打合せ通りなら私は明日、ランさんの欠片を壊す。
だけどこんな状態でそれができるのだろうか…だけどやらないという選択肢は与えられていない。
考えるというのは沼だ。
考えれば考えるほど…抜け出せない泥の底に沈んで行く。
もっと私が何も考えない人間だったら楽だったのだろうか…。
「とにかく寝ないと…明日があるんだから…」
寝れる気がしないけれど目を閉じるくらいはしておかないと…そう無理やり眠りに就こうとした時だった。
家のドアがものすごい勢いで叩かれ、重い身体を動かし出てみるとアリスたちがいて…。
「ランくんがさらわれた」
そして夜が始まった。




