与えられない選択
「かつて聖女と呼ばれていた存在がいた事は知っているかなユキノくん。その聖女は二人組でそれぞれがどんな傷でも治す奇跡と、どんな病でも治す奇跡を行使できたそうだ。流石にランくんはそこまでの力はないそうだが彼はこの辺りの人からは神の遣いや聖者と呼ばれている。それくらい彼は素晴らしい男なんだ」
手元にあるお茶の水面が揺れている。
どうして?私の手が震えているからだ。
「キミは彼から欠片の力を奪わなくてはならない。しかしそれはあそこでたくさんの人々に慕われ敬われている聖者を殺すことに他ならない。そのことについて何でもいい、ユキノくんの考えを余に聞かせてくれないだろうか」
「わ、私は…」
正直甘く考えていた。
いやもちろん人を傷つけるという行為を自分の中で重く受け止めているつもりだった。
だけど…やっぱり殺さなくていいという事実が私の中に甘さだとか余裕だとか…そんなものを抱かせていたのだと思う。
そうでないとここまで言葉だけで動揺するはずがないのだから。
「私は?」
アリスはただ微笑んでいる。
柔らかく大人しそうな顔で…ただ微笑んで私を見ている。
それなのに何らかの答えを私が今この場で出さない限り絶対に逃がさないという意志を感じる。
少し落ち着こう、難しく考えるな。
そうだよ、私はいい人は殺さない。
殺さないという事は傷つけないという事だ。
「…ランさんがいい人なら…私は手を出しま──」
「それは許されないはずだ。我が偉大な母は欠片持ちの時点で殺せと言うようなことをキミに言わなかったかい?」
「いや…それは…でも…」
「いや、それは、でも。具体的な主語がないがユキノくんはランくんの欠片を壊したくないという事でいいのかい?」
「うん…だって悪い事をしてない人を傷つけるなんて間違ってるよ」
「ふむ。道すがらアレンくんに色々聞いたのだけれど…キミは母と取引をしたのだろう?出来る限りの支援と殺人衝動の解消…それを享受する代わりにキミは欠片持ちの対処をするという約束のはずだ。それを反故にすると?」
「で、でも私は欠片持ちはみんなリッツって人みたいな感じって聞いてて…それじゃ話が違、」
「何も違わない。ランくんがこの先もいい人である保証なんてどこにもないじゃないか。欠片に人の精神を増長させる効果がある事はすでに実証されている。ランくんが今この瞬間、患者たちを殺しまわってもそこまでおかしな話じゃあない。欠片は全部壊す…母はおそらくそう言っていただろう?そこに対外的にいい人に見えるからという理由は介在しない」
揺れに揺れるアリスの瞳に映る私に対して、私の目に映るアリスは一切視線を揺らさない。
私が何を言っても徹底的に潰す気なのかな…。
違う、アリスは待っているんだ…私が答えを出すのを。
聞きたいのはいいわけじゃなくて答え。
だけど…この状況で答えなんか出せない。
「無理だよ…今の時点でランさんをどうするかの答えなんて…」
「違う」
「え…?」
「ランくんをどうするかの答えなんて必要ない。母が欠片を全て壊せと言っている以上は壊すしかないんだ。それがキミに与えられた仕事だろう?母がユキノくんに便宜を図る代わりにキミがしなくちゃいけない事だ」
「そんなの…自分勝手だよ…あんなの半ば無理やりで…!」
「帝国は独裁国家だ。母が白と言えば黒も白になる。母が殺せと言えば殺人さえも許される。むしろ選択肢を与え、事前に話を持ち掛けるだけ母はキミに最大限の配慮をしている。そしてキミに与えられた家、これから受けるであろう援助…そして人脈。それら全てを享受しておいて「思っていたのと違った」という言い分が通ると思うかい?」
アリスちゃんの視線がとても痛くて、ついに目をそらしてしまった。
助けを求めるようにアレンさんを見てもゆっくりと首を振られ、やんわりと拒否され、リコちゃんは関係ないとばかりにお茶うけに出されていたお菓子を食べているだけだ。
この場に私の味方はいない。
当然だ、アリスの言い分に何も言い返せないという事は間違っているのは私なのだから。
人の命を奪わなくていいという事は何の安心にもならなくて、今度は命の代わりに尊い何かを奪えと言われる。
私はどうすればいいの…?
「…ユキノくん、そんなに難しく考える必要はないんだ。ランくんに関して悩んでいるようだけど先ほども言った通り母からの仕事である以上やらないという選択肢はない。そしてそれで今この光景が無くなってしまっても…ユキノくんに責任はない。責任も罪も全ては母が…この国が引き受けてくれる。たとえこの件で何が起ころうと、君がどうしようとキミは悪くないんだ。最もその心に負う傷まではキミが割り切らない以上はどうしようもないが…そこを踏まえてどうすればいいと思う?と純粋に何か解決策が出ないか話を持ち掛けているだけなんだ」
「…分からないよどうすればいいかなんて…一週間くらい前まで何も知らない田舎暮らしだったんだよ…?どれだけ頭をひねってもランさんの欠片をどうにかしないといけないのなら、ここに新しくお医者様を連れてくるってくらいしか…」
「やっぱりそれしかないよなぁ。いや、なんだ…追い詰めるようなことをして悪かったねユキノくん。でもキミが置かれた立場を少し確認してほしかっただけなんだ」
「…」
確かに私は自分の身が置かれている場所がどういうものなのかいまいち理解できていなかった。
アリスも言っていたように皇帝さんは随分と私の目線で話をしてくれていた…だからこそシビアな部分が理解できていなかった。
悪人がどうだとかじゃなくて…ただ人のために頑張っているだけの人にも危害を加えなくちゃいけない。
皇帝さん達が隠していたわけじゃなくて…私の考えが及んでいなかっただけ。
「しかしユキノくん。君はやはり優しいな。縁もゆかりもない他人の事でそこまで思い悩めるなんて」
「当たり前じゃない…だってやるのは私なんだよ…?」
「うむ、違いない。でもキミが欠片持ちに何をしようと罪には問われないんだ」
「そういう問題じゃ…」
「しかしキミはそういう自分の行為に言い訳をしていい理由がある。そして母が代わりにキミに持ち掛けたもの…とても大切で切実な願いや目的があるんだろう?それは他者の幸福と天秤にかけられるものなのだろうか?今一度よく考えてみておくれ」
私の願い。
私の意志とは無関係に私を蝕む殺人衝動の解消…普通の人間としての人生。
それを視界の向こうで繰り広げられている尊く映る光景と天秤に乗せることが出来たとして…私はどっちをとるのか。
その答えは──
「それでユキノくんが割り切ってランくんを襲おうと私はもちろん口出しもしないし、キミを迫害したりこれっきりで疎遠になるという事もしない。だがもしもやはり無理だというのなら…余が別の道を用意してあげられるとも思う」
「え…?」
それはどういう意味なのか、アリスに血追いかけようとした時、私たちがいるテーブルにお茶のお代わりが置かれた。
「難しいお顔をされてますねぇ~ここは深刻な病人さんもいるのでぇ~あんまり辛気臭いのはダメですよぉ~」
お茶を持ってきてくれたのはやけに間延びをした喋り方が特徴的な女性だった。
灰色の髪を三つ編みに束ねて肩から垂らし、大きな丸眼鏡をした控えめで地味ながらもおっとりとしていて安心感を感じさせるような人だ。
「む…」
アリスはなにやら驚いたような顔をしていた。
確かに病人がいる場所でする話ではなかったと気まずくなっているのかもしれない。
そんな話をしていたのも起因は私にあるのだから話を切り出したほうがいいのかもしれない。
「あ、あの!ごめんなさい…えっと…」
「あぁ~いえいえ~そんな謝ってもらおうと思ったわけではなくてぇ~見たところ病人さんでもないようですしぃ~人間、健康な時は楽しぃことだけしておいた方がいいですよぉって」
そう言って女性はにぱっとした笑顔を見せてくれた。
毒気を抜かれるようなほわほわとした笑顔だ。
「う、うむ違いない。キミの言う通りだ。え~ところでどちら様なのかな?」
「わぁ、私としたことがぁ~挨拶もせずにすみません~えっとぉ~数日ほど前からこちらでお手伝いをさせてもらっていますぅアトラと言いますぅ」
「ふむ…アトラくんか…さて…」
「アリス様、本日はそろそろ次の予定の時間が迫っているかと」
若干挙動が不審になったアリスにアレンさんが耳打ちをした。
なにやら忙しいのかな?
「そうか、すまないユキノくん。ちょっと余たちはこれで失礼させてもらうよ」
「あ、え?帰るのなら私も…」
「いや!そんなに時間はかからないから残っていてくれ。すまないな…そうだ、そろそろ休憩時間のはずだしランくんと少し話でもしてみてはどうだろうか?それがいい、アレンくんもそう思わないかい?」
「思います」
「ということだ!本当にすまないユキノくん!なるべく早く戻るから!」
慌ただしくアリスたちは席を立つと小走りで出口に向かって行き…足を滑らせたのかアリスは転んで顔面を床に叩きつけていた。
「ぽげっ」
「アリス様ーーーー!?」
「だからアリスちゃん走っちゃダメだって~」
目を回してピヨピヨしているアリスちゃんはリコちゃんとアレンさんに引きずられて行ってしまった。
「騒がしい人たちでしたねぇ~楽しそうなお友達がいて羨ましぃですぅ」
「あははは…」
「あ、ラン先生とお話されますぅ?ご案内しますよぉ?」
「あぁえっと…はい…」
本人と話せば何か掴めるかもしれない。
もう答えが出ているはずの天秤の傾きを見ないふりして、私はアトラさんについていくのだった。




