死んでいい理由
次回は水曜日までのどこかで投稿します!
スノーホワイトの爪をゆっくりとフェルちゃんの胸に突き刺した。
ぬるりとした水気と、柔らかい肉に穴をあけていくなんとも言えない感覚…以前はたまらなく気持ちの良かったそれも、今は何も感じない。
ゆっくりと…ゆっくりと爪を進めていき、そこにあるであろう心臓に触れるか触れないかというところまでで止まる。
全身に血液を…生きているというぬくもりを贈る心臓。
フェルちゃんの力の源はここにある。
何もかもを凍らせる氷の狼…それは血に交じって小さな身体を巡回していて、だからこそこの子は傷を負ってもすぐに傷口が凍って血が止まってしまう。
だからこそこの子はどこを触っても冷たくて…血だけがぬるりと温かい。
そしてこの力が凍らせるのは世界だけじゃない。
もう一つ…大切なものを凍らせてしまっている。だからそれをこうしてスノーホワイトの力を用いて少しだけ弱める。
普段は力の差が大きすぎてできないけれど、今ここでなら出来る力技だ。
「あなたの目的は世界を喰らい尽くすことなんかじゃない…ううん、それは目的のための道筋…手段の一つ。フェルちゃん…本当は自分が一人だけ生き残る世界を作りたいんじゃなくて…死んでもいい理由が欲しいだけなんでしょ?」
「死んでもいい理由…?何を言って…ワタシ様は…生きろと…」
このことを私が我が物顔で暴いていいのか不安になる。
誰にも触れられたくないであろう心の奥底に…血まみれの土足で踏み込まれるはいい気はしないだろうし、私だって…進んでやりたいわけじゃない。
でもこれを今言えるのは私だけで…氷が包み隠しているそれを引っ張り出せるのは私しかいないから。
だから私が感じた心を…世界を喰らう狼ではなくて、ただそこで泣いている小さな女の子たった一人の願いをこの心の世界で言葉という形にしていく。
「あなたの家族はあなたに生きろと言った。それは最初「生きていていい」という言葉のはずだったのに…いつのまにか「生きろ」という呪いにすり替わっていた」
「…なに、を…」
ただ世界から死を願われ、押し付けられた愛しい娘を想ったはずの言葉は、周囲の刃によって傷つけられ…傷口が治らないまま、ぐちゃぐちゃに…形すらわからなくなるほどに歪められてしまった。
それをしたのは紛れもなく…彼女に死を願った世界だ。
「だからあなたは生きるために…殺すしかなかった。誰もが、何もかもが自分の死を望む世界…そこで生きるのなら世界のすべてを殺し尽くすしかないから。たった一つ…あなたを愛してくれた人たちが口にした生きていていいという言葉が正しいと言うのなら、それ以外のすべてを間違っているとしなければならなくなった」
願いはいつの間にか呪いになっていた。
いや…変えられてしまっていたんだ。
フェルちゃんの家族が間違ったことしたなんてことは絶対ない…ただ襲い来る理不尽から、愛する家族を守ろうとした、それだけだ。
責められるいわれなんて絶対にない。
ただ一つ…どうしても人が根本的には理解できないものがそこに挟まってしまっただけ。
正確には去りゆくものが…だ。
いつだって去っていく人たちは去っていく覚悟を決めて何かを残し、そして去っていく。
でも残されるほうは違う。
覚悟も何もできないまま、ある日突然と去られてしまうのだから。
埋めようのない穴のような孤独感が…叫んでしまいたいほどの寂しさが…残されてしまう者の心に生まれてしまうことをいつだって去っていく人たちは知らないのだから。
そして…氷の中の小さな少女はその空いてしまった心の穴を…世界に歪められきった想いで埋めるしかなくなった。
「それが世界を喰らい尽くす狼が生まれてしまった理由…そうでしょう?」
「…」
「寂しいから…寒いから、いなくなってしまった愛してくれた人たちの言葉を抱えてぬくもりを探すしかなくて…でもその言葉はすでに「生きていていい」ではなくて「生きろ」に歪められていた。だから…あなたは――」
生きるしかなかった。
ただそれだけ。
「ちが、う…ワタシ様は…生きるべき存在で…死ぬべきなのはワタシ様いがいで…わたしは…」
「うん」
「だってそうだって…わたしは…間違ってないって…おかーさんも、おとーさんも…おにいちゃんも…だから間違ってるのはみんなのほうだって…」
「うん」
「だから殺さないとって…わ、わたしが…いきないと…みんなが…だって…」
話はもっと簡単で…この子はただ…家族を「嘘つき」にしたくなかったんだ。
生きていていいという家族からの言葉を大切にして…それを嘘にしないために、自分に死を望むすべてを嘘だと証明しなくちゃいけなかった。
自分が生きることが正しいことで…死を望まれることが嘘。
だから殺した。
でもまだ足りなくて…まだ彼女の家族を嘘つきだとするものがなくならなくて…世界を喰らい尽くした。
「でも本当は…違うよね。フェルちゃんが本当にやりたかったことは…そんなことじゃない」
この子は生きていたいのではない。
家族を嘘つきにしたくなかった…それはつまり…どこまで言ってもやっぱり…ただただ寂しかった。
それだけなんだ。
「どこにも…どこにもいないの…おとーさんも…おかーさんも…おにいちゃんも…どこにも…ひとりはいや…でも…わたしはいきないとだから…でも…でも…う…うぇええええええん!わぁあああああああああん!!」
とうとうフェルちゃんは泣き出してしまった。
いや…今までもずっと泣いていたんだ。
ただ凍ってしまって流れ落ちていなかっただけ…生きたいだなんてこの子はこれっぽっちも思っていない。
本当は一人は嫌だって泣いていた。
ほんとうはずっと…「家族のもと」へ行きたかったんだ。
でも…生きろと言う呪いが彼女にそれをさせなかった。
だから…この子は私に勝つ気がなかった…ううん、誰にだって勝つつもりなんてなかった。
ただ死んでもいい理由を探していただけ。
全力で生きるために戦って…そのうえで誰かに殺してほしかった。
言葉通りに、家族が望む通りに最後まで生きようとしたけれど、自分より強い人がいてダメだったよって…死んでも仕方がないよねという理由が欲しかっただけなんだ。
「ほんとうにごめん…ごめんね…」
スノーホワイトの爪を引き抜いて…ゆっくりと腕を振り上げる。
この小さな女の子を狼に仕立て上げたのは間違いなく「私たち」だ。
この子が危険で…怖いからと排斥しようとしたものすべてだ。
そして私が望む世界は…この子を否定した先にあるモノだから…だから私が全ての責任を負う。
私だって加害者の一人だから…きっちりとこの子を殺す。
爪を折り曲げてその身体を捉える。
いつまでも悩んでたって仕方がない…これは私がやらないといけないことなのだから。
「――っ!!」
意を決して爪を振り下ろし…そして…。
「待て」
その声がはっきりと聞こえて…スノーホワイトが私の前に立ちふさがった。




