感情の違い2
次回は水曜日までのどこかで投稿します!
ザー…と降り続ける雨がそれ以外の音のすべてを奪うほどにうるさい。
地面を打ち付ける水の中に氷の粒が混じっているのか、たまに地面を硬いものが反射しているような音も聞こえる。
静かなのにうるさくて…逆に私の心は煩くあらねばならないはずなのに、とても静かだった。
自分でもおかしいと思うほどに、とにかく静かだ。
不気味な色の包丁を手に私を見つめているナナちゃんはどうなのだろうか?…どうであれ私はここで逃げ続けたことから逃げるのをやめなくてはいけない。
「…何を言っているのかわからないよ。いきなり話を変えないでよ」
「変わっていませんよ。ユキノさんは私の事それほど好きではない…それはとても重大で大切なことです」
「嫌いな人と一緒に住んだりしないよ。喧嘩だってしたことないし…最近は少しだけギクシャクしちゃったりしたかもしれないけれど、それでもナナちゃんのことを嫌いだなんて思ってないよ」
「私も嫌われているとまでは思っていません。ただぶっちゃけ聞きますけどユキノさん…今この場で狼の力を封印する犠牲になってくださいと言われて頷くことができます?」
「…また話が飛んだね。私ナナちゃんみたいに頭がよくないから一個ずつ説明してもらわないとわからないよ」
さきほどからナナちゃんの話が行ったり来たりする。
でもきっとナナちゃんの中では全部がつながっていて…それが「それほど好きでもない」という事なのだろうけど…そこをまず理解しないと私も何も話を切り出せない。
なら…ここでお互いにきっと全部吐きだすしかないよね。
「答えてください。今ここで狼を…この氷の力を封印してほしいと言われてできますか?冷たい氷の中で永遠に眠り続けるという選択を取ることができますか?」
「…」
明確に投げかけられた質問について頭の中でよく考えてみる。
煩いほどの雨は意外と考え事をするには邪魔にはならず、むしろその煩さが頭を刺激してくれていつもより考えが回っているようにすら感じる。
(…お前が自分の答えを出せ。私のことは考えるな)
背後にいるスノーホワイトがそんなことを言ってきたけれど…言われるまでもなく、私はちゃんと私の事としてナナちゃんの問いについて考えている。
考えて考えて…そして答えた。
「たぶん今は無理…だと思う」
「…」
あまりに情けないし、物語の主人公みたいにかっこよくないかもしれないけれど…でもいくら考えても今の私にはできない。
そう言う結論しか出なかった。
「もう…それしかないって言うのなら…やらなくちゃいけないんだとは思うよ。でもこの場でって言われてもまだ覚悟が決められない。やり残したことがあるし、未練もあるから…それを済ませないとダメ…かなって」
「そうですか。でも…スノーホワイトは違ったと思いますよ」
「…どういうことかな」
「スノーホワイトはきっと…世界を救った勇者は悩まなかった。今のユキノさんとは違って」
背後のスノーホワイトは何を言わなかった。
この一か月、話し相手がスノーホワイトしかいないのもあってそこそこ会話をしていたけれど…そこで知った人となりを考えると確かに彼女は悩まなかっただろう。
いや…悩むことはたくさんあっただろうし、葛藤や苦しみもあったのだろうけれど、狼の力を封印するということに対しては悩みはしなかった。
…今の私とは違って。
「…そうかもしれないね。かっこ悪いって思われちゃうのかな」
「いいえ。別に犠牲になることは…その選択自体は尊いものだとは思いますが、その選択をしたからと言ってかっこいい、かっこよくないという話には私はならないと思います。失望したりもしませんし、ユキノさんはそれでいいと思います。私はあなたにそうしてほしくないからこそ、こうしているわけですしね」
ナナちゃんの手の中で包丁の刃が鈍く光った。
「じゃあ今の質問にはどんな意味があったの?教えてもらえるかな」
「スノーホワイトはなぜ悩まずに犠牲になると言う選択が取れたのでしょうか?リトルレッドはそのことにとても腹を立てていました。少しは悩めよ、と。それほどまでに彼女には迷いがなかった。そしてそれは…彼女には世界を救うことに身を投じるだけの理由があったから。もっと言うのならば…」
――たった一人、どうしても守りたい人がいたから。
ナナちゃんの言葉と私の心の中の言葉が重なった。
スノーホワイトが勇者であったのは世界のためじゃない。
一人の…大切な人がいたからだ。
そして…ナナちゃんが何を言いたいのか私はようやく理解した。
つまりナナちゃんは…。
「私がナナちゃんのために犠牲になれないから…ダメだって事なのかな」
「違います。ダメだなんて言っていません。あなたはダメなんかじゃありません…本当に心からそう思っています。でも同時にユキノさんが私に向ける気持ちは…スノーホワイトがリトルレッドに向けていた者とは違います。それは身を犠牲にできるほどの強い想いではないでしょう」
「…」
「もう一度言わせてください。それをダメだなんてこれっぽっちも思ってはいません…悲しいとも思いません。そしてそれは仕方のない事だって思います」
今まで無表情だったナナちゃんがほほ笑んだ。
「仕方がないって…なんでなのかな」
「ユキノさんは一人ではありません。お母様もいますし…友達と呼べる人もいます」
「ナナちゃんにだって仲のいい人はいるでしょ?」
「…ユキノさんには私の代わりなんていっぱいいるから私に向かってそんなことが言えるんです。私がいなくなってもその穴を埋める人なんていくらでもいる…いいえ、私のことでそこまで穴すら開かないのかもしれませんね」
「どうしてそんなことを言うの。確かにお母さんは帰ってきてくれたし…お友達も私にはできたよ。でもずっと一緒にいたのはナナちゃんだよ」
「ユキノさん。私が気が付いていないと思っているのですか」
なにに?とは聞けなかった。
だってそれはきっと私がナナちゃんに言えなかったことだから。
伝えられなかった…私に起きた変化。
隠せているつもりで…ううん、隠せていたらいいなって逃げ続けていたこと。
「…」
「ユキノさんが私とずっと一緒にいたのは、そうする理由があったからです。でもそれがなくなってしまえば理由はなくなる…。ユキノさん…殺人衝動、消えてますよね」
告げられたその言葉に…私はゆっくりと頷くことしかできなかった。
「…いつから気が付いていたの」
「ほぼ最初からです。あのスノーホワイトとリトルレッドの戦いの映像を見せられた日…あなたの身体からスノーホワイトが出ていったことを知りました。そしてあなたの中の殺人衝動はスノーホワイトに封印されていた狼の力の影響…それが出ていったのなら殺人衝動なんて消えるはずですよね。ずっとその可能性は考えていて…そしてユキノさんのお母様をめぐってのアトラさんとの戦いを見て確信しました。あなたの中から、人を殺したいと言う衝動が消えていると」
ナナちゃんの言う通りだった。
私の中からスノーホワイトが出ていったその瞬間から私は右腕のスノーホワイトの力と、殺人衝動を失った。
あの力を使えなくなったけれど、同時に苦しいほどの…長年私の中で暴れまわっていた衝動がきれいさっぱりとなくなって…ずっと戸惑っていた。
言い訳になるかもしれないけれど、私の中でも急に起こった変化に整理がつかなくて…言葉にすることができなかったというのもある。
そして同時に…ナナちゃんにどう伝えればいいのかわからなかった。
「…黙っててごめん」
「いえ、謝られるようなことではありません。大切なのはユキノさんに私と共にいる理由がなくなったという事なのですから」
「…」
「私がユキノさんといれたのは…その殺人衝動の受け口になれるからでした。それがなくなった今…私なんてあなたの中での優先順位は大いに下がるでしょう。自分で言うのもなんですが関わっていい事なんて一つもない人間であると自負はしていますので。あなたの周りにはたくさんの人がいて…そして私はその輪の中に「入れてもらっていた理由」を失くした。だからあなたが私のことをスノーホワイトほど思ってくれないのは当然なんです」
一息で言い切ってナナちゃんは手に持った包丁の先端をついに自らの胸にあてた。
「あなたには私以外にも大切な人がいる…でも私にはあなただけなんです。誰もいなかった私の世界に初めて現れた人…初めて私を必要としてくれた人。私にいろんなことを教えてくれた人…私にはユキノさんしかいないのです。でもあなたは違う…なら、こうするのが一番だと思いませんか」
地面を跳ね返っていた氷の粒が辺りどころが悪かったのか勢いよく私に向かって飛んできて…頬にピリッとした痛みが奔った。
「思わないよ」
「思ってください。私にはあなたしかいない…でもあなたはそうじゃない。私にその事実は受け入れられません…だから私はこのまま氷の中で眠りにつきます。そうすれば私は私から去っていくあなたを見なくて済む。あなたも私の事なんかきれいさっぱりと切り捨てることができる。世界も救われる…誰にとっても最良な選択です」
そうでしょう?とでも言いたげにナナちゃんが笑う。
確かにナナちゃんがとろうとしているその方法は…ナナちゃんの言葉を聞いた今は最良なのかもしれないって思う。
(おい。どうするつもりだ)
(黙ってて。これは私とナナちゃんの問題だから口を出さないで)
(ふっ、わかってるよ。純粋にどうするつもりなのか楽しんでいるだけだ)
悪趣味な…。
とりあえずスノーホワイトを一睨みして…一度だけ深呼吸をする。
ナナちゃんのやっていることは確かに誰にとっても最良で正しい決断なのかもしれない…でもそれはナナちゃんの言葉が全て正しい場合の話だ。
「ナナちゃん」
「なんでしょうか。納得していただけましたか」
ナナちゃんは一つだけ…決定的に間違っていることがある。
だからその提案は最良ではない。
誰もが幸せに終われる結末なんかじゃない。
「馬鹿にしないでよ」
だから私は…いまそれを伝えるんだ。
めんどくさい女レベル99




