存在意義
次回は金曜日までのどこかで投稿します!
皇帝が走り出し、男が展開していた陣を解く。その動きに反応して一瞬遅れて狼が足元から氷柱を出現させ迎え撃つ。
皇帝は肉の身体を持ち、血の通った人の身でありながらも人間という種を超えた存在だ。
しかしその身体はあくまでも人のそれであり、実のところその身体構成に一般的な人との違いはない。だが皇帝は人ではありえないほどに早かった。
なにか特別な手段を使っているわけでも魔法的補助を受けているわけではない…ただ走っているだけだ。
努力し積み重ねた…まさに人という種だからこそ持てる力をもって皇帝は狼に接近していく。
対する氷柱は狼の足元から連なるようにして襲ってくるために一度勢いがついて前に前にと進んでくる皇帝に一度躱されると方向転換しても追いつけない。
そうしていくつもの氷柱を潜り抜けて、ついに皇帝はその刃が届く位置に狼を捉えた。
「もう話をするだとか、様子を見るだとかまだるっこしい真似はしねぇ。ここで終わりだ」
「む…」
皇帝が手の中に作り出したのは剣ではなく小ぶりな刀だった。
早さを優先し、一太刀を叩きつけるためのものだ。
しかし狼は自らに振り下ろされようとしている光の刀を見て…不敵に笑った。
「馬鹿め。やはり地を這う下民なのだ。まっすぐ突っ込んでくるだけのそれが…この偉大なるワタシ様に見えないとでも思ったのか?」
たんっと狼がその小さな足で地面を踏むとその背後からわきの下をすり抜けるようにして氷柱が皇帝に向かって現れた。
それは不意を突いた一撃かのように思われたが皇帝の目にはすべてが見えていた。
――見えていて何もしなかった。
刀と氷柱…ほぼ同時に放たれたその刃と牙は、氷柱が一瞬だけ早く皇帝の身を貫こうとした。
その時…男が皇帝を押しのけた。
結果として氷柱は男の腹を貫き、穴が開いた男の腹からはパラパラと破片と真っ赤な血のようなものが零れ落ちていく。
「っ!てめぇ何を!!」
「あなたが言ったんだろう?私には…存在価値なんてなかったと」
戦いが始まるほんの寸前、男は皇帝から保留されていた男の存在価値についての答えを聞かされていた。
聞かせてくれるというのにもかかわらず、なぜか言いにくそうにする皇帝を促してもたらされたそれは「…たぶんお前は、お前には誰かが考えるような作られた理由なんてものはなかった」という男からすれば残酷にも聞こえるものだった。
「なぜ…そう思ったのかな」
「お前、レイリを知っているか?」
「もちろんだよ。リトルレッドはリフィル・フランネルにも接触していたからね。その過程で彼女の家族関係も調べたし…そうなれば必然とそこにも行き着くさ。なによりかつて彼女の時間軸でリトルレッドに差し向けられた刺客の中にいたらしいからね。機会があれば一度話をしてみたいと思っていたんだ。さすがにリスクがあるし、なにより喋れないそうだから遠慮をしていたんだ」
男と同じ自らの意思を持ち、自分で動くことのできる人形。
正確なところは分からないが、男の同族…と言っても否定するものは少ないだろう。
だからいつかは語り合いたいと思っていた。
そして問いかけてみたかった。
レイリは誰かに命令をされて動いているのか、誰かに存在意義を与えられているのか…もしそれらがないのならどうやって自己というものを定義付けているのかと。
「そうか。なら話は早い。あいつはある女が微塵も共感できねぇ世迷言の妄執を現実のものとするために作られた人形だ。曰く「肉の器を超える強い身体」らしい。てめぇでてめぇの身体を捨ててレイリの身体に乗り換えるつもりだったんだと」
「強い身体…ね」
確かに自分のような特殊な人形の身体は普通の人間の肉でできた身体に比べれば強いと言えるのかもしれない…しかし男にはどうしても自分の身体が人間の血肉の通ったそれに勝っているとは思えなかった。
それはそうであってほしいという願望も混じっているのかもしれないが、それでもやはり否定したくなる考えだ。
「我はたまに出てくるあの女のかつての拠点を見つけては跡形もなく潰しているんだが…そこで得た情報や、アリスの…お前がアリスから奪って、そして返したあの手帳の情報も踏まえてみるにお前の正体は…レイリのプロトタイプ…いや…失敗作かもしくは偶然できた必要のないもの…だったんだと思う」
「…そうか」
「…意外と驚かないな?」
「そうだね。自分でも意外だよ。思ったより…なんだろう、衝撃…とでも言うのかな?うん、衝撃は少ないよ。なんでだろうね…というのは逃げかな。多分だけどきっとそんな感じだろうって自分でわかっていたのかな」
わかっていて…それを否定したくて、否定できるかもしれないという希望を求めて自分の存在理由を探し続けた。
もしかしたら現実は自分の想像よりも優しいのかもしれないという思いがあって…それがやっぱり幻想だと判明した。
でもそれは「最悪」ではなく、想像していた通りの「現実」で…だからこそ絶望するでもなくすんなりと受け入れられてしまったのだろう。
それが良い事なのか悪い事なのかの判別はつかずとも…少なくとも男が現実に打ちひしがれるという事はなかった。
「私が目覚めた時、側には何もなかった。ただ目の前にリトルレッドがいただけで私が眠っていた場所には私が何者かを示すものは一切存在していなかった。それもそのはずだね…私は何者でもなかったのだから。うん、驚くほどしっくりと来ている…失敗作ですらなかったんだ私は。レイリを作る過程でなんとなくできてしまったけれど…造物主にとって必要もなければ興味もない「モノ」だったから適当に捨てられていただけ…何もなかった…実に私らしい虚無だ」
何も持たされず、何も入っていない空っぽの器…いや、器としてすら選ばれなかったのかと男の内に悲しさではない…それでいて重たくのしかかるような不思議な感情が流れ出した。
きっとそれを人は虚しさと呼ぶのだろう。
「ちっ…決戦前にしょぼくれた表情するんじゃねぇよ。理由なんかなくて結構なことだ。いいじゃねぇかガラクタらしくなくてよ」
「え…?」
ガラクタらしくない。
そんな自分に向けられるものの中で最も適切ではないものを選んだかのような言葉を受けて男は目を見開いて皇帝を見た。
「作られた理由に、動くための命令…そんなものがあるのが人形だというのなら、なにもねぇお前は好き勝手やっていいガラクタじゃない命ってこった。どこに落ち込む部分があるんだよ。喜べよ。それはお前がなりたいと言っていた人間様の特権だぜ?」
「人間の…?」
「生まれた時から理由と命令を受ける人間なんていねぇんだ。誰だって最初は何もない素っ裸の状態で出てくんだよ。そして空っぽの自分の中に何を詰め込んで生きていくか…それが人生ってやつだ。だからてめぇも空っぽなのをグダグダと嘆くな。何かを抱え込めるスペースが開いてるだけなんだよそれは」
「…それはとてもいい言葉だね。いまの私にはとても耳さわりがいい。でもあなたのようにすべてを持っているような人に言われてもね」
「んな妬みだか嫌味だかわからん物言いができる時点で吹っ切ってもいいもんだと思うがな。あと我だって最初から今ある全部をもって生まれたわけじゃねぇ…むしろ逆だ。何も持ってなくて奪われるだけの存在だった。一番最初の身分なんか当時の金持ち権力者の性奴隷だぞ。見世物にもされたしな」
「え!?」
ケラケラと笑いながら聞かされた今からは想像もできない皇帝の過去に男はついつい間抜けな声をあげてしまった。
本人は気が付いていないようだが、それはとても人間らしい反応のように皇帝には見えた。
「ま、当時から反骨精神だけは一人前だったからな。その権力者の首かっ切って立場を略奪…そこから紆余曲折あって今ってわけよ」
「紆余曲折の部分があまりにも気になりすぎるのだけど…後学のために聞かせてくれたりは?」
「はっ!てめぇが生き残れたらな。まずは死ぬ気で働けや…捨て駒くんよ」
「ははは…努力するよ」
自分は何もない人形だと知った。
なにも持たされないまま作られて、なんの意味も与えられないまま廃棄された人形だと理解した。
だからこそ余分なものを持つことができるという事を知った。
そしてそれこそが人間なのだと。
それが正しいのかはわからないけれど、人の世を統べている皇帝が言うのだから大きく間違っているという事はきっとないだろう。
ならば自分は…もう何にも捕らわれずに好きにふるまっていいのだと…あらたな衝動が男を突き動かす。
腹に氷が突き刺さったまま、男はさらに前に進み、呆然とした様子の狼の首を掴んだ。
「…不快だぞ人の模造品め。誰の許可を得てワタシ様に触れている」
「私が私の許可を得て触れているんだよ」
「てめぇ何やってやがる!」
「…皇帝。あなたは先ほど自分の身を犠牲にするつもりだっただろう?私に嘘の作戦を教えてまで狼と同士討ちに持ち込もうとした。そうはさせない…そうはさせないさ。私が望むのは完全な勝利だ。そして同時にあなたに対する嫌がらせだ。狼に何も奪わせず勝利し、あなたの目論見はいい感じに妨害する…ははは、これはきっとリトルレッドも満足してくれるだろう。いい仕返しだったと笑ってくれるかもしれない」
笑う男の身体が氷柱の突き刺さっている腹を中心に急速に凍り付き始めた。
いや…氷におおわれて完全に一体化していくと言ってもいいかもしれない。
身動きのできない冷たい牢獄の中に閉じ込められていく。
「それにあなたに何かがあればあなたの娘は泣くかもしれない。そうなればアレンだってきっと心を痛める。私はこう見えても友達には笑っていてほしいと思うタイプだからね。あなたは無傷で帰して見せるよ…そうして人形に救われたんだと笑いものにされるといいさ…さぁ狼よ、悪いけれど少しだけ付き合ってもらうよ」
「ふん、作り物がワタシ様と口をきくな。それにもはや動けまい?我が氷の牙にひとたび噛みつかれたものは内部から氷に飲まれていく。不遜にもワタシ様の首にかかっている目障りな指にもすでに力が入っていないのだ」
「動けなくても…できることはあるんだよ」
「なに?」
まだ見た目上は凍っていない男の腕から一滴…真っ赤なしずくが地面に落ちた。
しずくは狼の足元で小さな円を描き、赤く発光する。
「人の人生は美しきなれば…それにあこがれる私の生き方もきっと美しいはずだ。そして美しいとはすなわち芸術…それすなわち爆発だ。どかん…と華々しくいこう」
男と狼の間に描かれた陣がその小ささに見合わない程度には大きな爆発を起こした。
「ぐっ…!ちょこざいな!!」
狼は足元から瞬間的に生やした氷で何とか身を守ったが爆風でその身体がふわりと浮かび上がり…逃げようとしたところを男が最後の力を振り絞りその足を掴む。
「んぎぃ!!離すのだこのガラクタめ!!」
「馬鹿が…少しおだてたら調子に乗りやがって」
狼の頭上からそんな声が聞こえ、反射的に見上げるとそこに刀を振りかぶった皇帝の姿があった。
皇帝もまた、男が起こした爆風に乗って空高く飛び上がっていたのだ。
当初の予定通り、狼を地面から引きはがすことに成功した。
チャンスは今この瞬間、この刹那。
閃光となった皇帝の刃が完全に狼を捉え、そして…肉を絶つ音と共に真っ赤な血が吹き上がった。




