あなたの選択
次回は明日か明後日に投稿します!
「あ…っ」
私はその時初めて本当の意味でこの世界には触れてはいけないものが存在するという事を実感として思い知った。
ただ目の前に立たれて声をかけられた。
それだけの事なのに身体が動かない。
目の前の恐ろしい美しさをもった存在は何もしていないし…何も感じない。
すごく強い力を感じるだとか、背筋が凍るような殺気だとか、隔絶した存在の格だとか…そんなものは一切感じなくて…まるで普通の…何でもない人間と話しているような気さえするのに、全身が凍り付いてしまったかのようになって指先の一つすら動かせない。
私にそんなものが存在しているのかわからないけれど…言葉にするのなら本能が彼女に逆らうという行動を禁じているかのようだ。
何もないのに…恐ろしい。
ただ美しいだけの、私に対してほほ笑んでいるだけのこの人が怖くて仕方がない。
アリスはなぜこの人とあんなにも親しく普通に会話をできていたのだろうか。
「あれ?どうかしたの?聞こえなかったかな?もしもーし」
リリが小首をかしげながらゆっくりと腕を持ち上げて私の顔に触れようと伸ばしてくる。
キィ…キィィィ…とリリの身体が動くたびに何かが軋むような小さな音がやけに大きく聞こえてきて…。
「っ…!」
そこでふと思い出した。
以前アリスが困ったように笑いながら私に言っていたことを。
──もし話すことがあるのなら、挨拶だけはした方がいい。
そんなに深くは聞かなかったとはいえ、それ以外はリコリスの母親だという事しか教えてはくれなかったアリスがくれた忠告。
身体は動かない。
喉も変に硬直してしまっているのか喋るどころか呼吸さえままならない。
このまま何もせずに座り込んでしまいたいと私の全身が感じる恐怖に悲鳴を上げていたけれど、それでも私はアリスの言葉に従うことを選択した。
「こ、こん…!ばん…ゎ…!」
キィ…と聞こえていた音と共に伸ばされていた腕が止められ…それを引き戻しながらリリがにっこりと嬉しそうに笑う。
それと同時に私の全身を覆っていた硬直が霧散して身体が自由を取り戻した。
呼吸さえ止まっていたので新鮮な空気を求めて痛いほどに肺が収縮しているのが分かる。
「ねね、人と会話するの好き?」
「え…?」
「私ね、人とこうして直接会ってから話をするのがすごく好きなんだ~。せっかくこうして言葉を交わすことができるんだからお話をした方が得だって思わない?楽しいしさ、その人のことを知れる一番いい方法だよね。だからね?挨拶ってすごく大切だと思うの。おはよう、こんにちは、こんばんは…どんな時だって会話の始まりはまず挨拶から。それもできない人は会話もしてくれないってことだからね」
「…」
「だから挨拶もしてくれない人にはついつい「むかー!」ってしちゃうんだけど…ユキノちゃんがちゃんとしてくれる人で良かったよ!会話もできないと何も始まらないからね。うんうんよかったよかった」
それを聞いて私は心底アリスに感謝した。
そして同時に過去にいたかもしれないリリの不興を買った人に同情をした。
私がこの人の異常さの一端を事前に知っていたのもあるかもしれないけれど、それでもこの人に突然声をかけられてちゃんと返答できる人がこの世界に何人いるのだろうか。
挨拶は大事…それは私もそう思うけれど、それでも人によってはその大事なことすら理不尽になる。
それを思い知った。
そうしてなんとか一つの局面を乗り切ったけれど…まだ何も終わっていない。
なぜこの人は私のもとに突然現れたのか。
だってこの人と「私」は…何の関わりもないはずなのだから。
「あ、あの…どう、して…」
「ん?あぁなんで私がほとんど見ず知らずのユキノちゃんに会いに来たのかって?ただお話をしたかっただけだよ。時間あるでしょ?」
「え…いや…」
私は帰ってこないナナちゃんを探しに行こうとしていた。
もう別に一人で出歩くことを心配するような段階ではないけれど、それでもやっぱりこんな時間まで帰ってこないのは心配なわけで…だから正直な話、後回しにしてほしいのだけど…この人にそれを言うのは果たして許されるのか…。
いや、何かがあってからでは遅いんだ。
以前誘拐されたこともあるし、やっぱり心配だ。
「あ、あの…実は一緒に住んでる子が帰ってきてなくて…探しに行こうと…その…」
「あぁ大丈夫大丈夫。まぁまぁほら座って座って」
いったい何が大丈夫なのかわからないけれどリリは私の手を引いて外に置かれていた木を削って作った小さな椅子にお互いが向かい合うような形で座らせられる。
夜風に吹かれて冷やされた椅子は…とても冷たかった。
「さてさてユキノちゃん。改めて初めまして。私の名前はリリ。もう知ってるよね?」
「あ、はい…あの…えっと…ユキノ…です。はじめまして…?」
「うんうん初めまして。ところで早速だけどユキノちゃんはさ、もうすぐこの世界に大変なことが起こっちゃうのは知ってるよね?というかあなた自身の事とか私の事とかいろいろ理解できてるよね?」
「まぁ…はい…おそらくは…」
「そっかそっか。それでね一つ提案したいことがあってきたの」
「提案…ですか…?」
キィ…とリリが私に手のひらを見せるようにして差し出してきた。
その手は黒いレースの施された手袋に覆われていて、やっぱりこう話している間にも普通の人にしか見えないけれど、時折聞こえてくる軋むような異音がこの人の正体を主張してくる。
人形の姿をした人ならざる神…この世界を上から見下ろす、絶対的な存在。
そんな彼女が私に提案があるという。
それがとても恐ろしい事のように感じてしまうのは…私の怖がりすぎなのだろうか。
「別に大した話じゃないんだよ?ただね、あなたを安全な場所に連れて行ってあげようか?って話なの」
「え…?」
そう口にしたリリは…やっぱり恐ろしいほどの綺麗な顔で優しく微笑んでいた。
圧迫面接。




