姫の暴論10
次回は月曜日までのどこかで投稿します!
多大なリスクと、いろんな人に対して様々な迷惑をかけて入手したたった一冊の小さな古ぼけた手帳。
それをリコリスに耳を齧られながら読み解いていく。
手記、という形ならばよかったのだろうけれど、これはあくまで手帳…内容が順序だっているわけでもないし、誰かに読ませるようにも作られていない。
マナギスという人物の頭の中を本人だけがなんとなくわかるようにぶちまけられたメモ書きの集合体だ。
だから読み解いて理解するにかなりの時間を要した。
ただ時間をかけただけあってこの手帳から得られたものというのは私にとってとても大きなものとなった。
まずこの手帳の持ち主はおそらく私と同じ転生者…ではない。
ほぼ間違いなくこの世界で生まれてこの世界でその生涯を終えた人だ。
「だけど…いや、だからこそ興味深い」
魔法が発達し、私が前にいた世界とは違う文化、法則を持ったこの世界でこの手帳を遺したマナギスは科学にたどり着いていた。
私は前世でずっと寝たっきりだったから科学というものに正通していたわけではない。
ただこちらでの魔法よりも簡単に理解ができる。
当然こちらでの法則や魔法的要素が組み込まれたものではあるが、正真正銘の科学であり化学だ。
ではなぜ転生者でもないこちらの人間がそのようなものにたどり着いたのか?それもこの手帳からわずかながら読み取ることができた。
それはこのマナギスという人物が何よりも人の可能性というものを尊んでいたからに他ならない。
人を素晴らしい存在だと論じ、そして魔法や神と言ったこの世界に存在する「理不尽」に人として抗うことで人という種のその素晴らしさ、存在の価値を証明しようとしていたのだ。
私はこのマナギスという人物に…この手帳に多大な感銘を受けた。
内容からとてつもない執念…いや、努力を感じたのだ。
血のにじむようなそれを。
何度挫折しようとも諦めず、必ずできると信じて何度も何度も挑戦して0という無を1という形にしていく。
言葉にすれば簡単に感じられるそれは、この世界において間違いなく偉業とも言っていいもののはずだ。
目的に向かって決してあきらめず、前だけを見て進んでいく。
願えば、諦めなければ必ず夢はかなうのだと…ただ信じて。
「そうか…私に足りないものはこれだったんだ」
私はどこか満足していた。
病弱とはいえ自分の意志で動かせる身体に。
短時間とはいえ外を出歩けることに。
溝があるとはいえ両親がいるという事実に。
皇帝の姫という恵まれた環境に生まれ落ちたことに。
だから目的も見えていないないくせに、ただ努力していると自分に言い聞かせて、何かを成したいのだと漠然な夢を語るだけで何も行動には移していなかった。
でも違うじゃないか。
私の夢はそんなものじゃない。
私は…そんなもので満足できるほど満ち足りた生を過ごしたことはないのだから。
この手帳の主のようにどこまでも貪欲に諦めずにやりたいことに向けて邁進し続ける。
夢は願わなくては始まらない。
願った先を見据えなければ道はできない。
道は歩かなければ意味をなさない。
歩ききった先にこそ…本当に欲しいものがあるのだから。
「…諦めなければ夢は必ずかなう」
それが綺麗事だとさすがに理解はしている。
でも夢をかなえることができるのは夢はかなうと信じて夢見た者だけなのだ。
「私が…本当にやりたいこと…」
それを形にするために私はマナギスという人物のことを調べた。
この人物が触れるべき人物ではないという事は母の態度からわかる。
これだけ素晴らしい研究をしていた人が歴史にほとんど語られておらず、その痕跡を直接消すという動きを皇帝たる母がしているのだから。
だがやはり名前だけは歴史に残っていて、それによるとマナギスという人物はかつて世界を危機に陥れた…御伽噺に語られる空が白と黒に彩られた終末…「世界が終わると信じられた日」を引き起こした最悪の「魔女」らしい。
もしこれが本当ならば…いや、皇帝の行動からほとんど事実なのだろう。
ならばそんな人物に感銘を受けて行動を起こそうとしている自分はきっとどこかおかしいし間違っているのかもしれない。
でも走り出した心は…道がつながり歩くべき場所が分かった夢はもう止められない。
だから──
「俺様に帝国を裏切れと」
「うん。余にはにーねー様の力が必要なんだ」
「なんだかなぁ…いくら何でもかわいい妹分だからって甘やかしすぎたかなぁ…俺様ただでさえかわいい女には弱いところあるからさ、身内ともなれば余計になって。でもそれがこんなことになっちまうなんてさすがに反省するよな。なぁ?まさかこの帝国で、それも皇帝の一人娘の姫という立場のお前が犯罪組織を作りたいだぁ?子供の遊びにしちゃ趣味が悪いぜ?なぁおい」
帝国内に立場を利用…悪用して犯罪組織を作る。
それが私が考えた末に出した私がやりたいことに対する答えだった。
「趣味が悪いのは分かってる。でも遊びじゃない。本気なんだ」
「なま言ってんじゃねぇよ。遊べよガキが。本気ってつけて真面目な顔をすればなんでもかんでも美談にできると思うなよ」
「美談にしたいとかそういう話じゃないよ。余のやりたいことをするにはそれが都合がいいってだけの話なんだ」
「やりたいこと…ねぇ?ろくでもない場所にばかり連れて行ったが…そこで変に影響されたか?俺様の姪っ子も幼いながら変なもんに影響され始めてるが、お前よりはましだよ。犯罪をしようとはしてないからな。結局何がしたいんだお前は」
「…にーねー様も知っているんだろう?邪神という存在を。リフィルという少女の形をした邪神を」
「…まぁ」
「余は彼女を…彼女のその力を抑え込みたいと思っている。だって危険じゃないか。存在しているだけで人という種そのものが脅かされるほどの危険だ。怖くて仕方がないよ」
これは建前だ。
口には出せないけど私がろくに話したこともない彼女に抱いている感情は…おそらくはそれこそ憐憫や同情と呼ばれる上から目線のものなのかもしれない。
でも…おせっかいや哀れみ、押し付けと思われようとも私はやっぱり彼女が悲しみ、寂しがっているように見えたから。
だから彼女の邪神という特性を何とかしたい。
まさに…神を殺す冒涜を犯したいのだ。
「…それの是非は置いておいて、なんでそれが裏に組織を作るって話になる」
「これが直接つながっているわけじゃないよ。まだやりたいことはあるんだ。いいや、まだまだたくさんあるんだ。数えきれないほどに」
「…あ?」
にーねー様に連れて行ってもらった先で私とは違う「恵まれていない環境」をたくさん見た。
そこではびこる崩壊と死。
それは自然の流れという抗いようのないものの一部なのかもしれない。
だけどそれを知ったからには力のある私は抗うだけ抗いたい。
摂理には無理でも…人が起こす悪意には抗うこともできるだろう。
「手始めに帝国の、手が伸ばせるようになれば世界中の犯罪組織を潰して回る。数が多く、そしてどこまでも悪質な人身売買を中心に。あと薬系も個人的には嫌だから潰したい」
「…まさかそのためにって話なのか?」
そう、犯罪組織を潰したいから犯罪組織を作る。
帝国の姫という過ぎた力を最大限使い、犯罪組織から「商売道具」を掠めとる。
表立ってやるには世界にはあまりにもしがらみが多い。
道徳に倫理、法律に民意と考えなければいけないこと、乗り越えなければいけない物、壁に課題が多すぎて現実的じゃない。
表立って誰もやっていないことには、それだけの理由があるという事だ。
それを諦めるなと言われれば反論の余地はないけれど、でもこちらも犯罪組織という土俵に立ったならばもっと確実に、もっと迅速にあらゆるしがらみを無視して行動することができる。
なら私のやりたいこと達成のために取る手段はおのずとこちらになる。
「それにやつらから掠め取った売買された人たちに組織という就職先を用意することもできる」
「…犯罪の片棒を背負わせるだけだぜ?」
「帰る場所があるものは返せばいい。でもどうしてもそうじゃない場合もある。こちらに連れてきているアトラくんにクイーンくんにカララくんもそうだ。どこにも彼女たちの存在を証明するものがなければ保証してくれるものもない」
いわゆる戸籍がないというものだ。
こちらで取ればいいのかもしれないし、できないこともない。
だけどやはり様々なしがらみがそこには生まれてしまう。
アトラくんなんかはおそらくまっとうな人間になってもらうための調べなどが進めば…大量殺人鬼という肩書がついて世の営みからははじき出されてしまうだろう。
他の二人も似たようなものだ。
もう取り返せないものはどうしてもある。
「だけどそれは正論で飲み込んでちゃんと償わせて、そうおうの人生を歩んでもらうのが筋なのかもしれない。でも納得ができない。論が立っていなくても、間違っていても…彼女たちの事情を知った余の感情がそれを受け入れられない。だから彼女たちに居場所を作ってあげたいと思った」
そしてそれも理由の一つでありやりたいことの一つだ。
まだまだ口を開けばいくつものやりたいことが浮かんでくる。
どれか一つなんて選べない。
すべて実現したい。
何もかもを叶えたい。
全部を手に入れたい。
正真正銘、誰に言っても恥ずかしいただの欲望だ。
でも同時に私の抱いた夢の一つだ。
いくつもの夢というやりたいことに覆われた中心…その根幹にあるのは私のたった一つの願い。
「母は…皇帝は表の世界をまっとうに運営して頂点に君臨している。なら私は裏を支配して上り詰める。母の裏側で母と同じくらい大きくなってみせる。そうすれば母は私を負い目に感じることもなくなるかもしれないから」
「…クソほどキレられるだけかもだぜ?最悪婆さんと敵対することになるぞ」
「そうなる前に組織を大きく強くするんだ。余はどこまで行っても母の大きな背を追う娘だ。ならば母としては切り捨てるよりも認めたほうが利が大きいだろう?」
「…ちげぇねぇな。ははっ、なんだよ小リス…意外と考えてんな。発想はいくら何でも暴論が過ぎると思うがな」
「余は帝国の姫だよ?それにまだまだ子供だ。わがままを言うくらいがちょうどいいって言ってたじゃないか」
「ああそうだな、俺様が言ったことだ。なら…責任は取らねぇとな」
にーねー様は笑いながら立ち上がり、そして背を向けて歩いていく。
「にーねー様」
「少し時間をくれや。こっちでも考えることがあるんでな」
そしてそれから数日後。
にーねー様の協力を得られることになり犯罪組織あらため秘密結社アラクネスートが出来上がった。
アトラにクイーンにカララも話をした直後から前向きに協力してくれることになり、そこにさらにまた後日持ち上がった「欠片」問題も巻き込みながらひたすら組織を大きくするために努力した。
そして──
──────────
そして現在。
「ただ…今考えればおそらく最初から母には筒抜けだったんだろう。にーねー様はあの時、考える時間と言っていたが全部を皇帝に話したんだ。そして皇帝は…母はそれに対して許可を出した。自分の力で事を運べたと思っていたけれど…結局は守られていたんだ」
全部が手のひらの上…とは思いたくはないけれど、結局は子供だったという事だろう。
でもそこに後悔も悔いもない。
やれることを全力でやっていたのだから。
「…でも少しだけやるせないよね」
空回りしているとは思いたくないけれど、結局手を伸ばしたすべてが中途半端だ。
何かを成せているとは決して言えない。
欠片の問題も私が手を出す前に偶発的に解決してしまった。
リコリスの話によるとリフィルのことも何かがあったらしい。
母の背は追いつくどころかその高さを見誤っていたことを突きつけられた。
アラクネスートも自分の力不足のせいでカララの不信を招いて崩壊するところだった。
「さすがに少しだけへこんじゃうよ…」
「どーどーアリスちゃん。わたしがいるよー」
椅子に座っている私の正面からリコリスが覆いかぶさってきて…重みで椅子がギシッと軋む。
その小さな体を抱きしめるとどこまでも沈みこむような柔らかさと、ほのかな温かさを全身に感じる。
リコリスの触れた人たちは人とは思えないほどに体温が低いとか言うけれど、なぜか私にはぽかぽかとここちのいいものに感じられる。
こうやって彼女を抱きしめていると妙に安心感を覚えてしまうのがその証拠だ。
「リコは…ずっといるよね」
「うんーずっといるー…がぷっ」
首筋に歯を立てて噛みつかれる。
もう慣れたその行為だが、まるで吸血鬼の契約のようだと少し面白くなってしまった。
リコリスにそんな力はないけれど、それならそれでいいやと思っている自分もいる。
どんな時でもそばにいてくれる…そう言ってくれる人がいるだけで人というのはこんなにも安心できるのかと。
そんな心地よさに浸っていると「ごほん」と誰かの咳払いが聞こえてきた。
「…待たせたのは悪かったと思うけれど、それでも目の前でいちゃつかれるのはさすがの私でもいたたまれないな」
そう呆れたような声をガラスの壁越しに出したのは全身を鎖で縛られた…人形の男だった。
もはやケモミミ少女とペタペタイチャイチャしているという自覚がアリスからは消え失せております。




