茶番劇
次回は木曜日までのどこかで投稿します!
「にゃああああああああああ!!」
黒猫の爪が地面をえぐりながらスノーホワイトに迫り、とっさに腕で防ごうとしたそれごと切り裂く。
リトルレッドの魔法では傷をつけることのできなかった身体に、ようやくダメージが通った瞬間だった。
「いける…猫ちゃん!そのまま少しだけユキの相手をしてて!私がその身体からユキを引きはがしてあげるから!」
「うるちゃい!あちしに命令するなでし!お前みたいな変なにおいのメスの助けなんかいらないでち!」
「へん…!?…あぁもう!なんでもいい!とにかくそのままそいつを抑えてて!」
「にゃああああああああああ!!」
黒猫が振るう10爪は周囲の風すらも巻き込んでありとあらゆるものを切断していく。
ただ引掻いているだけ…だがその一撃一撃はまさに必殺のそれであり、スノーホワイトは回避を強いられていた。
「っ…飼い犬に…いや、飼い猫に引っかかれるとはね!」
「あちしは!ご主人に!飼われた!覚えは!ないでち!」
「たしかにね。私も飼った覚えはないよ…だがそれでも私はキミを産み落とし、そしてキミは私に産み落とされたという関係だ。そこでどうだろうか、大人しく私に協力はしてくれないか」
「いや!ご主人にやめてって言ったのに聞いてくれなかった!でし!それはあちしの遊び相手なの!返す!でち!」
振り下ろされた爪がスノーホワイトの右肩を切り飛ばす。
その下の地面すら抉り飛ばし、粉塵が舞い上がる。
「くっ、祈神マーメイド!」
「邪魔!」
小さな妖精のような見た目の神がスノーホワイトの肩の周りをゆっくりと旋回し、その腕を再生させる。
しかしそれとほぼ同時に黒猫が要請に噛みつき、食い破った。
「広い意味で考えるとキミの肉親だろうに、酷いことをする」
「知らんにゃ!」
「いやはやキミそんな性格だったんだね…少し戸惑っているよ。でもいつまでも遊んでいるわけにはいかないんだ。キミの主張はよくわかる、酷いことをしたのが私だということも理解している。でも譲るわけにはいかないんだよ。だから遠慮はしない。そっちが全力で来ているように、私だって全力だ。来い、我が手中の神たちよ」
スノーホワイトと黒猫を囲むように無数の小さな紙が空から落ちてきて一斉に折れ曲がって折れたたまれそれぞれの形をとっていく。
「にゃ…」
「ブーツキャット…確かにお前は強い。眠りについた私に最後まで寄り添っていてくれたそうで…なるほどそれほどまでに愛情深いお前だからこそ、それだけの力を持つに至ったのだろう。しかし愛という感情がこの世界において奇跡という名の必然を呼び寄せる力なのならば、私にこそ世界は味方するはずだ。オリガミ、イノリガミ!」
二人に周囲に無数に顕現する多種多様の魔神たち。
黒猫は確かに強い。
スノーホワイトとリトルレッドの未来において、最後までスノーホワイトに寄り添い続け、その力を写し取ったという事実は伊達ではないのだから。
しかし黒猫にリトルレッドのような事象を捻じ曲げるような力はなく、どれだけ力が強かろうが数には勝てない。
一対一では負けようがなくとも、囲まれればそれに対処するだけの力はない。
それが黒猫の限界だった。
「~!そんなの知ったこっちゃないでち!あちしの…あちしの遊び相手を返せでし!」
押し寄せる魔神を爪で切り伏せながら黒猫が叫ぶ。
脳裏によぎるのは無愛想で無表情な人形と過ごした日々。
毎日喧嘩して、怒り怒られて…あわただしくて平穏だった日々。
始まりは利用するために送り込まれたのだとしても…黒猫には感情が、意志が…何かを愛する心があったから。
ならばそれはきっと必然のはずだから。
ただ力の限り吠えて、力の限り爪を振るう。
何の変哲もない日常を取り戻すために…。
「…すまないブーツキャット。何もかもうまくいかないけれど、たとえ世界のすべてを踏みにじってでもこれだけはやり遂げなくてはならないんだ」
しかしそんな想いを上からスノーホワイトの力が無情にも踏みにじって押しつぶしていく。
黒猫の奇跡が想いの力によるものならば、それはスノーホワイトの持つそれこそが想像もつかぬほど大きなものだから。
ただの力比べではない戦いだからこそ、黒猫は届かない。
もし…もしもこの場でスノーホワイトが抱える思いに真正面から対抗し得るものを持つ者がいるとすれば…それは──。
「猫ちゃん!下がって!」
大地を覆いつくしていた魔神の海を貫いて巨大な腕が現れてスノーホワイトを掴み上げた。
「な…!?これ、は…」
それは確かに腕だった。
しかし大きさはさることながら人間のものではなかった。
限りなく人に近いと言えるが…しかし決定的に違う。
所々に球状の関節が埋め込まれた硬く冷たい無機質な…巨大な腕。その腕はスノーホワイトを掴み上げたまま周囲を一薙ぎして魔神たちを消し去っていく。
触れるだけでスノーホワイトが産み落とした神を無に帰すありえない力を持った腕…その腕がつながる先には腕に見合った巨大な人型の何かがいた。
「…巨大な…人形…?」
スノーホワイトにはそれ以上の表現ができなかった。
おぞましく、見るものすべてに不快感を与えるような見た目の歪で巨大な人形…そしてその頭の上にリトルレッドがいた。
「これはかつて神に挑んだ魔女が作り使役した神を冒涜する人形…その名も【人形兵】!たった一体残っていたこれを掘り起こして再起動したのよ!ユキ!アンタにこれをどうにかするだけの力がある?本物の…私も見上げるしかないほどの天才が作り上げた対神兵器に!」
「んっ…くっ…なんだこれ…力が、出ない…」
「人形兵はすべての魔法的干渉、神的力を弾く!このままアンタの全身を粉々に握りつぶすことだってできるのよ!それが嫌なら大人しくしなさい!」
リトルレッドは声高らかに勝ち誇った。
しかしそれは精一杯の強がりだ。
かつて存在し、そして歴史から存在ごと消された魔女と呼ばれた人物が作り上げた神を冒涜する人形…【人形兵】…それはすべての理不尽を否定する力を持つ。
だがそれを動かすには当然それだけの代償が必要だ。
今この瞬間もリトルレッドの魔力は尋常ではない勢いで消費されており、気を抜けば倒れてしまいそうなほどでこれ以上人形兵を動かすことは難しい状態だった。
でもそれを悟らせるわけにはいかないと、虚勢を張り笑う。
リトルレッドもまた何を捨てたとしてもここで負けるわけにはいかないのだから。
「…大人しくなどできるものか。たとえ全身をバラバラにされようとも…キミにだけは譲れないよ…カナ。ほかの何にもキミに勝てなくたって、こればかりは負けられない。私はキミが何をしようとも必ずそれを邪魔してあるべき運命を完遂する…そのためにキミについてここまで来たのだから」
そんな言葉にリトルレッドの中で何かが切れた。
抑えていた感情が、閉じ込めていた激情があふれて止まらない。
「っ!!!ふっざけんじゃないわよ!なにかっこつけてんのよ落ちこぼれで何もできないくせに!頭だって悪い癖に!なに私に逆らってるのよ!なんでいきなりわけのわからない力を振るいだしてんのよ!誰がそんなことしていいって言った!?誰がそんなことやれって言ったのよ!」
「…私のこれは世界中の人が望んだ。誰もが私に世界を救ってほしいと願った。それは知っているだろう?」
「私は言ってない!私は…私はユキに世界を救えなんて言ってない!なんで…なんでアンタが一人でそんなにに頑張らなくちゃいけないのよ!みんなみんな、アンタのこと落ちこぼれだって馬鹿にしてたじゃない!私だって何度も何度もユキとは関わるなって言われた!なのになんでそんな…そんな奴らの世界を守ってアンタが犠牲になるの!なんで…なんで世界が救われてどいつもこいつも笑ってる世界でアンタだけ冷たい氷の中で一人犠牲になってるの!」
「…」
「そんなの私は望んでない!…私の中にはユキしかいなかったのに…なのになんで…アンタは私を置いて、私たちを…私の好きなユキとその心を否定した世界なんて救うの…自分を犠牲にして…。ユキは…私よりも…世界のほうが大事だって言うの…ねぇ…答えてよ…」
リトルレッドの言葉に嗚咽が混じる。
今まで決して見せなかった涙が頬を伝って流れ落ちる。
「世界なんて滅べばいい…誰も救われなくてもいい…わた、しは…私は!アンタと一緒に死にたかった…一人で生き残ってユキが犠牲になって救われた世界でなんて生きていたくなかった!どうしてそれをわかってくれないの!!!ねぇユキ!なんでよ!!!」
それがすべて。
未来で魔王と呼ばれた世界の敵…リトルレッドの想い。
ただ大切な一人のために、その犠牲を許せなかったどこにでもいる少女の…たった一つの願い。
世界を滅ぼしたかったわけじゃない。
誰かに悲しんでほしかったわけじゃない。
大切な人と一緒にいたかった…それだけだ。
そしてその叫びを聞いたスノーホワイトは…まっすぐとリトルレッドを見つめて口を開く。
「私だって世界を救いたかったわけじゃない、キミの言う通りだよカナ。私だって感情がある人間だ…どれだけ気にしないようにしていても、聞かないふりをしていても一方的に後ろ指をさされれば傷つくし悲しむ。でもそんななかでキミだけは…キミだけは私とずっと一緒にいて、同じものを見て、同じものを食べて、同じものに触れて笑ってくれたから。だから世界を救わなくちゃと思った」
「何を言って…」
「私はたとえ私がどうなったとしても、キミが生きていてほしいと思った。世界中の人々がじゃない…ただキミが生きていけるように、キミが笑って過ごせるように…その世界が終わってはダメだと思ったから。だから救った。ほかの誰でもない…ただキミのためだけに」
世界を救った勇者なんてどこにもいなかったのだ。
そこにいたのは大切な人に生きていてほしいと願った少女がいただけ。
幸せになってほしいと願った思いがあっただけ。
勇者と魔王はただお互いのことを想って…お互いのために自分にできることをした。
だからこそ決定的なまでに嚙み合わない。
犠牲になってほしくない、ともに死にたいと願う想い。
自分のすべてを失っても、生きていてほしいと願う想い。
「なによそれ…馬鹿じゃないの…私が…アンタのいない世界で幸せに暮らせると…笑えると思ってるの…?」
「たとえ今が悲しくても、時間は誰にとっても優しいはずだから。いつか私のことなんて忘れて幸せに笑える日が来るかもしれないだろう?」
「そんな日は来ない!!!」
「来るかもしれない。生きている限り…時間が続いていく限りどんなことにだって可能性はある。だけど死んでしまえばそれまでだ。だから私は今キミが泣いたとしてもやり遂げる…そして願わくば未来で笑ってほしいと願うから…だから負けられないんだよ」
スノーホワイトの腕に真っ黒な光が宿った。
邪悪でまがまがしさを感じさせる光が。
その光に引き寄せられるように、どこからともなくキラキラと光を反射して輝く何かが飛来してスノーホワイトに吸い込まれていく。
「な、なにを…大人しくしなさいユキ!粉々にされたいの!?」
「やれるものならやってみろ。もとからその覚悟だと私は言っているんだ…なぁカナ?キミは過去に「欠片」なんてものの存在聞いたこともなかっただろう?それはキミが時間を戻したから生まれた歪みだ」
「アンタ…欠片のことを何か知ってるの…?」
リトルレッドは力を発現させ時という名の運命を巻き戻した。
何もかもが腹立たしいほどに運命通りに進んでいく過去はリトルレッドの心を打ちのめしたが、それでもたった一つだけリトルレッドの認知外のものが存在していた。
それは「欠片」と呼ばれる存在だ。
いくら秘匿されていると言っても、リトルレッドが過ごしていた時間の過去においてそんなものは聞いたこともなかった。
「ああ…知っているも何もこれは私の力だからね。キミに引きずられて運命を戻る際に砕け散った私の身体…「狼」に飲まれた私の肉体だ。どうやらその存在を知るものはかつていた「とある神」の物だと錯覚していたようだけどね。まぁもっとも私とその神様はちょっと関係があってさ…誤解されるのも無理はないのだけど。とにかくこれは私の力だ…そして今、かなり無茶をするけれどそのすべてを使って私は最後の切り札をここで切ろう」
無数の欠片が集まり、黒い光を包み込んで…一枚の大きな紙がスノーホワイトの頭上に現れて何かを形作る。
それは…狼のように見えた。
「まさか…やめてユキ!どうしてそこまで…!お願いだからもうやめてよ!」
「やめられないさ。私はキミが生きていける世界を守るためならなんだってするのだから…喰らい、憎み、世界を飲み込め…祟り紙、狂い神!」
瞬間人形兵の腕がスノーホワイトごと氷におおわれていく。
周囲の気温が下がり、吐き出された息が白く染まる。
「や、やめ…!ここで死ぬ気なの!?この後はどうするつもりなのよ!あなたが死んだら狼が…!」
「ははははは!焦りすぎて本末転倒なことを言ってるぞカナ。大丈夫だよ…運命はきっと変わらない。私が世界を救って…キミが生きていくという未来は変わらない。だからきっと何とかなるさ…ごめんねカナ。もし願うことが許されるのならば…キミがいつか来る未来で笑顔でいられますように」
周囲のすべてが氷の牢獄に包まれていく。
誰かの叫びが聞こえた。
泣き声だったかもしれない。
何もかもが狂っていく…誰もが悲劇を迎える悲しい御伽噺。
そのピリオドが打たれようとした。
その時、空から何かが落ちてきて人形兵の腕を切り落とした。
貯めこまれていた魔力が暴風となって吹き荒れて狼を吹き飛ばして氷を晴らす。
風に投げ飛ばされたリトルレッドが、スノーホワイトが何が起こったのかと顔をあげた。
暴風に巻き上げられた粉塵の中心…解体された人形兵の前に「それ」はいた。
「いやぁ~どうなるかとずっと見てたけどさ~そろそろつまんなくなってきたよね、胃もたれしちゃいそう!」
それは恐怖を抱くほどに美しい女だった。
青みの混じった艶やかで…それでいてどこまでも黒い長い髪が風に揺れる。
「今時さ、欝々しいだけの物語なんてはやらないからね~テコ入れが必要だよね。それにほら…人形兵まで掘り起こしてくるのはやりすぎだよねっ!さすがにびっくり!やっていい事と悪いことがあるよ、うん」
カタン!と女の首がおかしな角度で倒れて…そのガラス玉のような真っ赤で綺麗な瞳がリトルレッドに向けられ…そしてゆっくりと反対側のスノーホワイトのほうに流れていく。
女が動くたびに女の身体からはギ、ギ、ギ、ギ…と何かが軋むような音がして耳の奥を揺らす。
「さてさてそれでは改めましてこんにちは!久しぶり…いや初めまして?どっちなんだろう?まぁどっちでもいいよね!私のこと覚えてる?」
この場に似合わない、気安い挨拶をするその女の正体を二人は知っていた。
それはこの世界…いいや、あまねく三千世界を統べる、天の頂点に座る人形仕掛けの神。
その名は…リリ。
天の頂からすべてを見下ろしていた神が…誰かが必死に生きて泣いて泥にまみれて紡いだ御伽噺…そのすべてをつまらないとひっくり返し、茶番劇として笑い飛ばすために舞い降りた。
胸が苦しくなってきた展開に神様を一つまみ。
というわけでやってきました。




