入国
船に揺られて海を進む。
あれからとりあえず帝国を目指そうと私は旅を始めた。
不思議なもので、やっていること自体はあまり変わらないのに目的があると無いとでは心情的に大きく変わる。
村を追放されたばかりの時はただひたすら足が重かったのだけど、今ではむしろ見たことの無い景色を楽しめるほどだ。
幸いと言っていいのか私は意外とお金持ちだ。
母が驚くほどのお金を私に残してくれており、それで今まで食いつないでいたのだけれどそれでもまだ全然余裕がある。
女神様に貰った金貨は返さないとと思うので手を付けていない。
「女神様か…」
目を閉じればあの異常に整った容姿がすぐに思い出せる。
それほどに強烈な人だった。
あの人の事をもっと知りたいような…知りたくないような。
安心するような…恐ろしいような。
とにかくあの人の事を考えるだけで心がぐちゃぐちゃになる。
「やめやめ」
頭を数度振って女神様の事を考えるのを止めて、別の事を考えることにする。
現在私は大きな客船に乗っているわけだけど、その船が進んでいるこの海は以前は陸地だったらしい。
────100年と少し前、世界中を未曽有の災害が襲ったそうだ。
ある日、空を割いて黒い流れ星が降り注ぎ大地を抉り、国を割った。
更にあくる日には空が白と黒に染まり、大勢の命が原因不明の死を迎えた。
それにより人口は全盛期の半分以下になり、国もかなりの数が維持できずに滅びた。
そして当時をして大国だった帝国が苦しむ人々のために立ち上がり世界統一に乗り出し、現在まで帝国による統治が続いているという事らしい。
御伽噺の様に伝えられているそれだが、正直荒唐無稽すぎてどこまでが真実なのか怪しいものだ。
一部では帝国が起こした侵略戦争の事実を隠匿するために流したプロパガンダと主張する者もいるくらいだけど…そういう人が出てくること自体が御伽噺が真実だとわずかに信じる要因になっていることに本人たちは気がついていないのだろう。
「帝国かぁ…」
私がいた村とは比べ物にならないほどの大都会。
たぶん私の常識なんか通じなくて、生活そのものが全くの別世界なのだろう…なによりおそらく帝国には人がたくさんいるはずで…それが何よりも怖い。
だって私は…。
「やめやめ。まだ住むとは決まってないんだし…そもそも本当に入国できるのか…」
女神様に渡されたプレートを取り出して眺める。
何度見てもそこには帝国の名前と…私の名前が刻まれている。
どうして私の名前を知っているのか、私の存在をあの人はどこで知ったのか…分からないことだらけだ。
帝国に行けば少しはすっきりするのだろうか…?
「はぁ…」
そうやって海を眺めながら一人で黄昏ているとにわかに周囲が騒がしくなっていることに気がついた。
なんだろうとそちらの方を見ると大勢のメイド服や燕尾服を着た人物に囲まれて、豪華なドレスを身に纏った美しい少女の姿が見えた。
どこかの貴族様だろうか?…そんなに高い船ではないはずだけど貴族様も利用するんだな~と呑気に考えながらも私は面倒な事に巻き込まれないようにひっそりと距離を取った。
話しかけられでもしたら困る。
田舎暮らしの私は貴族のマナーなんて何も知らないのだから。
だけどなんとなく視線を感じる。
どこからだろうかと見渡すと貴族様の隣…その人に寄り添うようにしている少女と目が合った。
とても小柄で…10代前半くらいの子供の様に見えた。
紫色の髪に…頭部からはえた大きな獣の耳が特徴的だ。
「初めて見た…「魔族還り」っていうのかな?」
たまにああやって本来は人にはない…魔物や動物のような特徴を持って産まれてくる人がいるのだという。
それらは魔族還りとよばれていて、名前の由来はかつてこの世界に存在していた魔族という種族からとったのだという。
私の村には魔族還りはいなかったけれど…外の世界には珍しくもないのかな?
地域によっては迫害の対象となることもあるらしいけど、少なくともあの子は貴族様の隣にいることからそんな目にはあっていないらしい。
だけど…どうしてあの女の子は私を見ているのだろうか?
「リコ。どうかしたの?」
「ううん」
貴族様に声をかけられて女の子はそのまま私から視線を外し、船内に歩いて行った。
正直困っていたから助かったなと胸をなでおろして、私は大人しく港につくまで部屋にいることにしたのだった。
────────
一日と少しほどの海の旅を終え、港に降り立つ。
ここからはすでに帝国の領土内であり、私が乗れるような小さめの船が止まる港だというのにすでに村の何倍も賑わっている。
今まで自分がどれだけの田舎暮らしだったのかをまざまざと見せつけられている気分だ。
「えっと…ここからどう行けばいいのかな」
途中で購入した地図を広げ、道を調べる。
目的の本国まではまだかなり距離がありそうだ。
「どうしたものかな」
頭を悩ませているとわずかなざわめきを感じて、そちらを見るとあの貴族様の団体が複数の馬車に乗り込んでいくのが見えた。
いや…よく見ると何台かは馬に繋がれておらず、どうやって移動するのか少しだけ不思議に思った。
やっぱり都会ともなると馬車も一味違うらしい。
「すまない、そこの娘。少しいいだろうか」
「え?」
背後から声をかけられて振り向くと、物々しく武装した人たちがそこにいた。
騎士とかいう人たちだろうか…?私がいた村は自警団こそあったものの、所属している国からもほとんど認知されていないような村だったから騎士様が派遣されてくるなんてことはなかったから初めて見た。
「あの…その…何か御用でしょうか…?」
「見たところ旅行者のようだが一人だろうか?」
見たところというのは地図を広げているからだろうか?それとも田舎者感が出てしまっているのか…。
「あ、はい一人です…」
「ここ最近は物騒な事件も多くてね。注意喚起も兼ねて色々と周囲を周っているんだ。それと声をかけてしまった手前、申し訳ないのだけど身分証を見せてもらえないだろうか」
「み、身分証…?」
そんな物持っていない。
村にいた頃にもそんなの見たことすらない。
どうすればいいのかわたわたしてしまったけれど、そこで私は女神様から渡されたプレートの存在を思い出し慌ててカバンの中を探り、それを騎士様達に見せた。
それを受け取ると騎士様達は神妙な顔をして、私の足元から頭の先まで眺めまわすとこそこそと何かを話した後に三人いた騎士様の一人が速足でどこかに行ってしまった。
「何度もすまないね。以前にも帝国に来たことがあるのかな」
「え…いえ、村から出たのも初めてで…」
「だったらおかしいなぁ。これはそう簡単に発行されるものじゃないんだ。ここに書かれている名前は?君の名前なの?」
「えっと…間違いなく私の名前です…」
「それもおかしい。これは帝国内でしか発行されないはずだ…だというのにすでに君の名前が刻まれている。こちらに知り合いがいるのだろうか?だとすれば名前を教えてくれないか?もしくはこれを君に渡した者の名前でもいい」
「あ、あの…えっと…女神様が…」
「はぁ?」
騎士様に怪訝そうな顔をされてしまったが、そのプレートを私にくれた人…女神様の名前を私は知らない。
もしかして私は騙されてしまったのだろうか…そりゃあそうか。
どう考えてもおかしな話じゃないか。
あんな綺麗な人に騙されたというのがなんとなく悲しくはなったけれど、今はこの状況をどうにかするのが先だ。
「あの、私たぶん騙されて…」
「待って」
騎士様の背後から…何というのだろうか?鈴のなる声とはまさにこれだというようなスッと耳に入ってくる声が聞こえた。
声のしたほうを見ると、そこに可愛らしい女の人がいた。
ふわふわとしたピンク色の長い髪に黒と紫の束が一か所だけ混ぜ込んであり、丸い目や柔らかな表情が小動物を思わせるけれど…身長がとても高い。
男性である騎士様にも劣らない身長の高さだ。
「あ、あなたは…何かありましたか?」
「ちょっとね」
女の人は騎士様を手で制して私の元まで来ると、柔らかく微笑んで再び騎士様に向き直る。
「この子ね私のお客さんみたいなの」
「フランネルさんのですか?」
「うん。手間取らせてごめんね。身元の保証は私ができるからこの辺りで許してあげて」
「まぁ…フランネルさんがそう言うのなら。おい、引き上げるぞ」
「了解です」
騎士様は一礼をすると、私にプレートを返して何事もなかったかのように去っていった。
何が何だかわからない…。
「ごめんね、あなたがいつ来るか分からなかったから遅れちゃった」
「あ…いえ…あの…どちら様でしょうか…?」
騎士様に「フランネル」と呼ばれていたのでそれが名前なのだとは思うけれど、今分かっていることはそれだけだ。
間違いなく知り合いじゃないし、どうして助けてくれたのか全く分からない。
「それ」
フランネルさんが私の手にあるプレートを指差す。
「これ?」
「うん。それをあなたに渡したの私のお姉ちゃんなの。ちょっとだけだけど話は聞いてるから…」
そう言ってフランネルさんは私に手を差し出して──
「ようこそ帝国へ。ユキノ・ナツメグサさん」
私の名前を呼んでにっこりと微笑んだ。
その顔を見た瞬間、「右腕」が疼き、私の中でとある感情が持ち上がる。
それを必死に抑えつつ私は、そっとフランネルさんの手を握ったのだった。
────────
ガタガタと揺れる馬車の中でユキノとフランネルは向かい合って座っていた。
ユキノは少し居心地が悪そうにそわそわしていて、対するフランネルは何らかの書類をぺらぺらとめくっている。
「ユキノちゃん、前は王国方面の村にいたんだよね」
「あ、はい!…そうです…」
「そっか」
ユキノからはフランネルの見ている資料が何なのか伺うことが出来ないが、それはとある人物が調べたユキノの経歴がまとめられた資料だった。
だがそこに書かれている内容はあまりにも淡泊であり、幼いころに母親が失踪、父親の存在は不明。
村では目に見えた迫害は行われていなかったが腫れもの扱いされており、17歳を迎えると共に追放という情報が全てだった。
本来であればフランネルに情報を提供している人物ならばもっと多くの情報を調べてられるはずだった。
それなのにその力をもってしてもたったこれだけの事しか調べられていない。
それが逆にユキノ・ナツメグサという少女の異常性を現していると言える。
そして資料の最後に記された一文。
(ユキノ・ナツメグサ。特記事項…追放理由、村での複数名の殺害)