神を殺す執念
次回は月曜までに投稿します。
帝国皇帝フォスレルト・フォルレントは戦場に吹き上がる炎を冷静に見上げていた。
今何が起こっていて、そしてこれから何が起こるのか…それら全てを予測し、次に取るべき行動を選択する。
一国の長として…戦争を受けて立った者として取り乱すことは許されないと、肌を焦がす熱に動じることなく、堂々とそこに立っていた。
そんな静を突き破り、顔中に汗を浮かべた騎士が皇帝の元に駆けこんで膝をつく。
「陛下!戦場に突然謎の巨人が…!」
「言われんでも見えてる。うちの奴らを引かせろ、前線ラインギリギリまで下がらせていい」
「はっ…しかしそれでは…」
「いいから引かせろ。見た感じ王国側の何かってわけでもなさそうだ…なら無駄に首を突っ込んでこっちまで被害をくらう必要もねぇ。あれがそのままこっちに来るようなら我が対応する…それまではとにかく被害が出ない様にだけ努めろ」
「…かしこまりました、それでは陛下の命を他のものにも伝えてきます」
騎士が立ち上がり、その場を後にしようとしたところ、皇帝が「ああ、待て」と呼び止める。
「はっ!追加の命でしょうか!」
「おう。しばらくの間何があってここに人をよこすな…何があってもだ、いいな」
「それはどういう…」
皇帝は何も言わず、騎士を睨みつけた。
騎士は慌てて敬礼をしてそれ以上は問わず、今度こそその場を後にしたのだった。
地が焼け空が燃える…そんな光景を一人で目にしてため息をつく。
そして──
「んで、お前は何をしに来た」
皇帝以外誰もいないはずのその場所で、どこに向けたのかもわからない言葉を皇帝が放つ。
戦場を支配する熱風に運ばれ、意味のない音として流れていくだけのはずだったそれにしかし誰かが答える。
「…ああやっぱり気づかれたね。一か八かいけないものかと賭けてみたのだけど」
誰もいなかったはずの虚空からその男は突如として姿を現した。
全身をローブで覆い隠した人間味の薄い、奇妙な男…皇帝は男の方に向き直り、視線を交わす。
「関節がうるせぇんだよ。動くたびにキィキィ鳴らしやがって、我はその音が服を着るのよりも嫌いなんだよ」
「ふむ…なるほど?それは失礼をしたね、申し訳ない。ただ如何せん私の身体はそういう風にできているんだ…配慮はどうしてもできない不甲斐なさを許しておくれ」
男がローブの下から腕を露出させた。
その腕は一見は人のそれのように見えはするが、少しだけ目を凝らせばすぐに似て非なるものだと気がつくことが出来る。
関節の部分が独特な球体状になった無機質なそれは…人形のうでだったのだから。
「はぁ…許す許さないって話なら帝国では法律でてめぇらパペットは禁止なんだよ、見るだけで腹が立つし碌なことにならんからな」
パペット。
それはこの世界においてかなりの下位に位置するモンスターと呼ばれる存在の一種類だ。
普通は小さな幼子の程度のサイズであり、子供でもできるくらいの簡単な魔法で召喚することが出来、そしてそのまま子供でも倒すことのできるほどひ弱な存在だ。
そのお手軽さに貧弱さと相まって帝国以外の国では初歩的な魔法の練習や、訓練等に使われていることもあるくらいなのだが…しかし皇帝の前に立つ男はそんなパペットからは明らかに逸脱していた。
自我を持ち、人語を操りまるで一人の人間のようにふるまう…人形の域を越えた人に近づきすぎた何かだ。
「なるほど…あなたの言うそれは話に聞く世界を支配する神様の事なのかな?」
「…」
「だとすれば私にそれを投影されるのはいくら何でも荷が勝ちすぎるという物だよ。私は誰でもない…何もないただの人形なのだから」
「御託はいい、我は何をしに来たとお前に問うたはずだ」
「ははは、これはすまない。そうだね質問をされたのならちゃんと返答しないと失礼だよね。私はあなたを殺しにきたんだ」
さらっと何の感慨もなく、何でもない事のように男は朗らかに言い放った。
笑顔で柔らかくまるで友人と会話をするように…しかしどうしようもなく男には人間味がなかった…いや、薄かった。
しかし皇帝もその程度のことにいちいち動揺を見せるほどの普通の精神は持ち合わせておらず、ただただ男にただただめんどくさそうな視線を向けた。
「立場上一応言っとくぞ。投降する気はあるか?ここでおとなしく両手を挙げてむせび泣くなら情状酌量の余地がないこともないぞ」
「あるよ、ただし君を殺した後でだ…私にとって彼女の願いこそが今の私を定義するものだからね、叶えてやらねばならないだろうから…悪いけれど死んでおくれ皇帝よ」
その言葉と共に男の姿が掻き消え…気が付いた時にはその人形の腕が皇帝の顔をつかもうと迫っていた。
人知を超えた速度…人には認識できない人外の動きだ。
完全に不意を突かれたその動きに対応できず、次の瞬間に狙われた頭部は柔らかい果実のようにつぶされるはずだった。
もしその光景を見物できた者がいたのなら…こう言い残すだろう。
──何も見えなかったと。
攻撃を仕掛けて皇帝に迫っていたはずの男は皇帝に頭を踏みつけられて地面に押さえつけられていたのだから。
「舐めんじゃねぇよ、体の性能だけにたよっただけの経験のないガキが、我に触れるとでも思ったか。体を鍛えて出直してこい」
「…いやはや、当然このくらいはするとは思っていたけれど…いいや、まだ足りなかったみたいだ。私はあなたという存在を少し軽く見ていたよ。これは勝てないね、圧倒的な力の差をこの一瞬でまざまざと見せつけられたよ…うん。素晴らしい、拍手を送りたいから足をどけてはくれないだろうか」
「べらべらと余計なことを喋るんじゃねぇ。今からお前は我が聞いたことを答えるだけのガラクタだ。壊されたくなかったら素直にしてろ」
皇帝が脅すように少しだけ足に力を入れると男の顔がミシ…と歪な音を立てた。
男は抵抗するつもりはないようで、その屈辱的な状態も平然と受け入れて四肢を投げ出した。
「…まずお前はなんだ。誰が使役している?てめぇみてえなもんがまさか自然発生したとはほざかんだろうな?誰がお前みたいな悪趣味なものを作った?あのリトルレッドとかいう女か」
「…私の出生か…悪いのだけれどそれは私にもわからないんだ…誰かが何かの目的で私というパペットを作り出した、それは間違いない。だけどその「誰か」は誰なのかわからないし、私がなんの目的で作られたのかも当然わからない。ただ気が付くと私の目の前には彼女が…リトルレッドがいたんだ」
「つまりお前を使役しているのはあの顔を隠した女ということでいいんだな?」
「使役…それは少し違うね。私は私の意志で彼女に協力しているんだ…それが今の私を定義する事柄だから。一つ…訪ねていいだろうか帝国皇帝よ…あなたはどうやって自分を自分だと定義している?」
押さえつけている足の隙間から男の目が皇帝の瞳を覗き見る。
作り物めいたその瞳からは…感情が読み取れなかった。
「我が我だと我自身が知っている。ただひたすらに我を通し、長年生きて今の我はここにいる。定義もくそもあるものか」
「…そう…しかし私にはその貫き通す我もないのだよ。誰かに作られたはずなのに…その誰かはすでにいない。何か目的が与えられたはずなのに…それすらも失われている。そんななかで彼女は私に手伝ってほしいと、私にできることがあると言ってくれた。なら私は「私」という我の存在意義を獲得するために彼女の願いを叶えたやりたい…だから協力しているんだ。使役とは違う」
「何が違うんだよ、そんなもん利用されてるだけだ。なんも知らないお坊ちゃんが悪い女に騙されていいようにされているだけだと理解できないのか?」
「知っているよ、彼女はただ私を利用されているだけ…でも私だって彼女を利用しているんだ。私という存在に存在理由を与えてくれる彼女は私にとってすべてだ。だから利用されているとしても、それは本望なんだ」
話にならないと皇帝は大きなため息を吐き出す。
もとよりまともな会話が通じる相手ではないと想像していたが、それで気苦労がなくなるかといえば否だ。
ならば早く終わらせてしまおうと、その手の中に光の剣を作り出して投げ出された男の腕に刃を充てる。
「とりあえず四肢をもいで動けなくする。痛覚はあるのか?まぁここに来た時点でそのくらいは覚悟はできてんだろ、文句はないな?」
「…どうだろう?私としては別に文句はないけれど、でもあなたにどうしても死んでほしいと彼女が言うんだ」
「あ?あのリトルレッドとかいう女か?」
「そうだとも。彼女の中にあるあなたへの憎悪はとても深く暗い…ある種のうらやましさすら感じるほどに。誰かに恨みを向けられるということは、それだけの何かをなせたということだからね」
そこで皇帝は疑問を覚えた。
アリスとネフィリミーネに聞いた話では戦争を起こしたのは皇帝である自分の殺害を達成するための前振りである可能性が高いと。
そしてその予想通り、男はこうして戦争のさなか、皇帝を殺しにやってきた。
だが皇帝は敵の目的は自分を殺した先にある何かだと思っていた…しかし男の口ぶりはまるで自分を殺すことが目的の最後だといわんばかりだ。
「…我を殺してお前たちは何がしたい?我を殺してその先に何を見ている?」
「リトルレッドは先なんて見ていないよ。当然あなたを殺すことで得られるものを得ようとしているのは間違いない…けれど彼女がここであなたを殺したい理由の大半は恨みだ。ここに私がいるのは彼女があなたの死を強烈なほどに望んでいるからに他ならない」
「我に恨みを持つものなどそれこそ掃いて捨てるほどいるだろう。だがあんな女、我の記憶のどこにもいない。なにをもって恨まれているかもわからん相手に、はいそうですかと殺されてたまるものかよ。文句があるならてめぇでこいと機会があったら伝えておけ」
「ははは、そう…あなたはまだ知らないだろうね、なぜ彼女はそれほどまでにあなたを恨むのかを。たしかに知らないのに殺意をもつほど恨まれるというのは理不尽だろう。だがそれでも彼女は君が憎いんだ。憎くて憎くて殺したくて殺したくて仕方がないんだよ…そしてその執念が、妄執がついにあなたに…人をつかさどる神に届く刃を作り上げた」
瞬間、ぞくりと皇帝の背筋を冷たいものが奔り抜けた。
何かがまずいと直感的に本能で感じ、光の剣で男の腕を切り落とした。
落としたはずだった。
「なに…?」
皇帝の能力である光の剣…敵だと定めた存在に対して確実な有効打になる武器を作り出すという理不尽な能力で作り出された剣が男を傷つけることなく砕けるようにして消えていく。
ありえない事態が起こった…しかしそれで取り乱す皇帝ではなく、瞬時に思考を切り替えて全力の力を込めて男の体を蹴り上げた。
硬い何かがバラバラと砕け落ちながら男の体が宙を舞い…にやりとその顔に無機質な笑みが浮かんだ。
男が先ほどまで押さえつけられていたその場所に奇妙な形の刃が転がっていた。
刀身の部分が不規則にねじ曲がった奇妙で異様な刃…。
「狂いし摂理を、あるがままに…ゴッドブレイカー・レクイエム…起動」
「…っ!?」
男が言葉を唱えると同時にナイフを中心にドーム状の光の壁が広がった。
周囲の世界を飲み込みながらドームは広がっていき…50メートルほどの範囲を包み込んでしまった。
壁は謎の力で質量を持ち、内部と外部を遮断する。
何者も内部から外に出ることはできず、逆もまたしかりだ。
そして影響はそれだけではなかった。
皇帝が突如として膝をついた。
まるで全身をとんでもない圧力で押さえつけられているように体が重く、立ち上がることができない。
それどころか今にも完全に倒れてしまいそうなほどだ。
何かがまずいとほとんど無意識で光の剣を作り出そうとするも、何度やっても光がその手に宿ることはなく、そんなものは最初から存在しないとあざ笑われているように感じられた。
「どうだいすごいだろう?彼女の恨みは。理不尽に捻じ曲げられた世界を拒絶し…神を殺す刃。効果のほどは経験してもらっている通りだ」
立ち上がった男が体についた汚れを払いながら皇帝にゆっくりと近づき…歪んだナイフをその頬にあてがう。
今まさに命に手をかけられている状態だというのに皇帝は指の一本すら動かすことができない。
「なん…っ!なにを…なにをした…ぁ!」
「何かするのはこれからだよ。あなたはここで死ぬ。彼女の怨みを、執念を手に私が代行者としてね。あなたを殺すのはここにいる私であり、リトルレッドだ。それを知っておいておくれ…ではさようならだ…私のために、彼女のためにここで死んでおくれ皇帝よ」
すっと持ち上げられた刃が光を反射して鈍く輝き…風を切りながら振り下ろされた。
理不尽な恨みが皇帝を襲う!




