正義の理由
次回は木曜日までに投稿します。
エンカの持つ血の剣が炎を巻き上げながらネフィリミーネに襲い掛かり、その腕を捉える。
この場所に来るまでにすでに火に炙られてうっすらと焼け焦げていた袖が切り裂かれ…当然その下の素肌にも刃が触れた。
だが薄皮を切ったところで刃はそれ以上の深さには進まず、鉄に刃をぶつけたような音がして血の剣は弾かれてしまった。
「貴様…一体何をしている。どうやって僕の斬撃を防いだ」
間違いなく剣はネフィリミーネの腕を捉えていたし、確かな手ごたえも感じた。
しかしネフィリミーネの腕はわずかな切り傷が出来ていることは確認できるがそれ以上は何もなく…目を凝らせば血がにじんでいる程度のダメージにしかなっていなかった。
エンカの目に映っているその腕は間違いなく素肌であり、鎧や防刃服のようなものを着こんでは断じていない。
ならばその異常な光景の理由は…当然その身体にあった。
「ははっ…なんてことはねぇよ。「こいつ」も小リスの発明でな」
先ほど出来た切り傷をエンカに見せつけ、ネフィリミーネが自らその傷に爪を差し込んで広げて見せる。
ぽたりと傷口に溜まっていた血が流れ落ちて…その奥には鈍い銀色の何かがあった。
皮の下には肉ではなく…金属のようなそれが存在しており、それがエンカの攻撃を防いでいたものの正体だった。
「【流体金属】…俺様の身体にはこれが血のように流れててな?任意の状況で硬くしたり、液体状にしたりできんのよ。すげぇだろ?」
「金属を身体に取り込んでいるだと…?そんなことが…」
「出来るとはおもわんよなぁ~俺様も思わんかった。でも死ぬほど痛かったけど何とかなったぜ?」
「なるほど。それが先ほどの貴様の異常な硬さの拳の理由でもあるという事か」
「んにゃ、そっちはまた別だ。まぁ流体金属も使ってはいるし片手だけだが…骨を入れ替えてんだ。原理はよう分からんが…なんかすごいやつって小リスは言ってたなぁ~」
エンカの手が止まり、その顔に明確な困惑の表情が浮かぶ。
ケタケタと笑いながら話すその姿がエンカをして異質なものに見えてしまったから。
そして何より──
「お前…僕の記憶では腕に何か問題があるわけではなかったはずだ。義手が必要だという話も聞いていない。健常だったはずなのに…そんな事をしたというのか」
「おうよ」
「…なぜだ」
「俺様がアラクネスートっていう組織の中でそういうの担当だからだよ。悪く言えば人体実験担当ってか?小リスが考案して、うちの連中が作り上げた物はとりあえず俺様が試すんだ。そんでまぁ他の奴らが使っても大丈夫ってなった奴だけ他にも回されるってわけよ。俺様に比べればかなり少量だがアトラや…カララも流体金属はいれてるしな」
熱風に煽られてネフィリミーネのシャツが少しだけ浮き上がり、その腹部があらわになる。
そこに刻まれていたのは炎のようなタトゥー…だがエンカはその並外れた動体視力で一瞬だけ見えたそのタトゥーの奥に大きな傷があるのを見逃さなかった。
「…にもか」
「あ?なんだって?」
「他にも…まだ身体を切り開いてなにかしているのかと聞いている」
「おうよ。内臓も何個か「特別製」に取り換えてるし…他にもちょいちょい…」
言い終わるよりも先にエンカが剣をネフィリミーネに叩きつけるようにして攻撃を始めた。
ガン、ガンと重たい音が炎に反射し、火花を散らしながら刃と拳の応酬が再開される。
ただ先ほどまでとは違うのは…そこに乗っている感情だ。
「ふざけるな!なぜ…何がしたいんだお前は!どうなってどうなりたいんだ!なぜ…どうして母さんが悲しむことばかりする!婆様たちだってお前のそんな姿を見てどう思うと思っている!答えろネフィリミーネ・ダークハート!」
普段は流れるような剣技で戦うエンカだが、スカーレッドが驚くほどに今のエンカは荒々しくその剣を振るっていた。
一刀一刀に激しい感情を込めて…そして大振りに剣を振り上げた。
その隙を見逃すはずもなく、空いてしまった腹部にネフィリミーネの鋭い蹴りが叩き込まれて数メートルほどエンカの身体が衝撃に運ばれていく。
「さぁて…何だと思う?」
「聞いているのは…!僕、だ!肉親に背を向け、自ら身体を切り開き…ダークハート…あの爺様と婆様が積み上げた正義の名を背負いながら悪事に手を染める…そんな事をする納得できるだけの何かがあるのなら言ってみろ!」
「エンカくん…」
普段とは違う…初めて見る感情をむき出しにして声をあげるエンカの姿にスカーレッドが心配そうにつぶやいた。
剣の状態のスカーレッドは感覚という物をほとんど感じないが、柄を血がにじむほどに握りしめるその手からは抑えきれないほどの何かが伝わってきていた。
それは怒り…いや、それよりももっと深い…。
「はぁ…なぁエンカちゃんよ~…俺様はさとっくの前にダークハートなんてこっぱずかしい名前を名乗るのやめてるんだわ。お前がその名前に誇りを持つのは勝手だが…俺様には合わん。正義の味方なんて柄じゃないんだよ」
「…」
「身体を切り開くってのもさ、最低限の安全は保障されてんだ。それにほら俺様ってモテすぎるからさ?いつ女に刺されるか分かんねぇじゃん?だから保険にちょうどいいっておもってさ…言っとくが小リスにやるって言ったのは俺様の方だからな?あいつが強行したわけじゃないからそこんところよろしく…まぁ最初は自分にするって言ってたからマジでビビったんだがな」
ギャハハハハハと演技めいた大げさな身振り手振りをしながらネフィリミーネは笑い、エンカが俯いて顔に陰を落とす。
火の手が迫り、そう長い時間こうしていられないという状況の中、アルフィーユとイヴセーナはただ静かに事の成り行きを見守っていた。
ネフィリミーネは関係を持った者の話をいつだって聞いてくれるが、自分の事について多くは語らない。
だからそこそこの時間を共にしている二人でもネフィリミーネと言う人物を構成する過去という物をほとんど知らず…だがそれでもわかることはある。
それは彼女が急に悪ぶって人からの不信を買おうとするときは決まって何かを隠し、そして守ろうとしている時なのだという事を。
だから二人は口を挟まない。
好き勝手やっているように見えて、誰よりも他人に気を配っているのがネフィリミーネと言う人物なのだから。
「なら…僕はなんだ」
「…あ?なんだって?」
「お前が…僕の存在を肯定した母以外の初めての他人だった…そんなお前がダークハートをいらないと断じるのならば…お前に肯定された僕も…否定されるべきものだという事か…」
「お前何を言って…──あぁなるほど。そうか…お前…自分の産まれを知っちまったのか」
ギリッとエンカが歯を鳴らした。
エンカは望まれ、愛されて母に宿った命ではなかった。
余に蔓延る悪に母親が汚されて誕生した存在…しかしそれでもその母親はその子供を産み、愛すことを決心し、肉親たちもそれを応援した。
しかし愛されて育ったがゆえに…誰も話さない余計な事に気が向いてしまったのだ。
なぜ自分には父親がいないのか、どうして誰もかれもがそのことを聞いても話してくれないのか…そんな疑問が積み重なっていく。
何よりエンカは産まれたその瞬間から「普通」ではなかった。
女でもあり…そして男でもある身体。
何もかもがエンカに周囲との差異を感じさせ、その殻に閉じこもらせた。
当然母親はエンカを肯定し、愛を注いで育てた…だが愛してくれる親という物は無条件の味方と認識されてしまい、周囲との差異に悩む子供の曇りを晴らすには至らない。
そしてそんなエンカを最初に肯定した他人こそ…他の誰でもないネフィリミーネ・ダークハートだった。
(ギャハハハハハ!なぁに暗い顔してんだよ姪っ子ちゃんよぉ!…人との違いが気になる?ばぁかおめぇこの世界になにもかも同じ人間が二人もいてたまるかよ!むしろかっこいいじゃねぇか…ほれ見てみろうちのかーちゃんととーちゃん…お前の爺さん婆さんを。いい年していまだにガキみてぇなこと言いながら世界中飛び回ってんだからよぉ…いいんだよ人と何がどう違っても…自分に胸張れねぇブスやブサイクじゃなければな。うじうじ悩むくらいなら自分らしく生きるかっこいい大人を目指しな。そっちの方がよっぽど有意義だぜ?だろ?)
エンカの人格形成にネフィリミーネが影響している…ということは無い。
影響されたのはもっと別…世界に有名な英雄譚として広まっている漆黒の勇者と煉獄の戦士…エンカの祖父母に当たる人物のほうが強いと言ってもいい。
しかし、それでも前を向くきっかけとなったのは叔母であるネフィリミーネの言葉だから。
だからこそ今のいたずらに悪を振りまいているようにしか見えないその姿にエンカは無性に苛立ちを覚え…そして悲しかった。
「僕はお前が嫌いだ…だがそれでも悪ではないはずだと思っていた…だがお前は犯罪組織に身を置き、人を攫い、果ては指名手配…そんなお前に…人道から外れたお前に肯定された僕は…どうすればいい…」
絞り出すようなエンカの言葉を受けて…ネフィリミーネは数秒だけ目を閉じ…深く息を吐いた。
「…そんなこと俺様が知るか。てめぇの存在意義を人様俺様に委ねるんじゃねぇボケが」
突き放すようなネフィリミーネの言葉にしかしエンカは…にやりと笑った。
「ふっ…はははは…あぁそうだお前なら…そう言うと思ったよ」
「あん?」
「お前があくまで僕の前に立ちふさがる悪であるというのなら…僕は誰の意志でもない、僕が僕自身が闇よりの使者としてお前を斬る。そしてそこにいるアルフィーユを王国に連れて行く。文句はないな」
「あるっつってんだよ。俺様の女に手ぇ出してみろ…全力で泣かすぞコラ」
「…僕に仕事を回してきた依頼人はアルフィーユを差し出せば貴様の罪は問わないと言っていた。あの女を手放せば少なくとも要人誘拐による指名手配は解けるぞ。それでも僕と戦うつもりか」
「先に仕掛けてきたのはそっちだろうがよぉ。何度も言わすな、俺様の女に手を出す奴は相手が誰でも容赦しねぇ…指名手配が何だ、んなもんより譲れねぇんだよこっちとら」
ガァンとエンカが脆くなった床を踏み抜き、剣を壁に突き立てながらネフィリミーネに迫る。
無駄な動作の多い、勢い任せな攻撃…それを見切れないはずもなく、また隙だらけの腹部に狙いを定めてネフィリミーネが拳を放ち…それはするりとエンカの身体をすり抜けた。
「なに…?」
それはすり抜けたのではない。
エンカがその身のこなしで身体の心を反らし、寸前で攻撃を避けて見せたのだ。
隙だらけの攻撃はフェイク…そのまま流れるような動きで拳を放ったネフィリミーネの懐に滑り込んで剣の頭で鳩尾を撃った。
「ぐっ…!て、てめぇ…!」
「どうした、年を取って身体の動きが鈍ったか?いいや、やはり悪を纏うお前では深淵より現れし闇よりの使者である僕には及ばないという事だ…悪風情が頭が高い、頭を下げて道を開けろ…僕が通る」
熱風で舞い上がる深紅のマフラー…その下に隠された口元には無邪気な子供のような笑みが浮かんでいた。
おばあちゃんの見た目が若いのは自前です。




