痛みと吐息
謎の男が持っていた刃物を鉈から包丁に変更しました。
私が見たことあった実物が先端も尖っているタイプだったのですが基本的には鎌のような分類で先端がないのが多いそうなのでこの回で先端が欲しいのでわかりやすい物に変更しました。
武器は包丁だった!と保管していただければと…申し訳ありません。
「…」
何もする気がおこらなくて、血の海となった寝室の壁に背を預けて座り込む。
人を殺した後はいつもこうだ。
楽しいのは殺す瞬間、殺した瞬間だけで…衝動が収まると私は想像できないほどの虚無感と虚脱感に襲われる。
とんでもない事をしてしまったという事に対する恐怖と焦燥心。
殺してしまった誰かに対する謝罪の念。
後悔と懺悔。
いろいろな感情がぐちゃぐちゃに混ざって心も体も動かなくなる。
「いつまで…」
私はいつまでこんなことを繰り返さなければいけないのだろうか…。
あと何人殺すことになるのだろうか…。
「もう疲れた…」
悪いのは私なのにまるで被害者だとでも言いたげに追い詰められる自分も狂うほどに忌々しい。
もう何もかもが…苦しい。
指先すら動かせないほど身体が重い中で、瞳だけを動かして赤黒いスープの中に沈んでいるナナシノちゃんを見る。
流れ出る血や内臓…そしてその中身。
あんなに綺麗だったのに今やその面影もない、悪臭を振りまく何かになってしまった。
「ごめん…ごめんなさい…」
届くはずのない…自分を慰めるだけの謝罪を口にして私は意識を手放した。
その夜、私は夢を見ることはなかった。
────────
何かが身体に触れたような気がして、沈んでいた意識が浮上する。
ゆっくりと目を開くと…シーツを持ったナナシノちゃんの姿が飛び込んできた。
「え…?」
どうやら私にシーツをかけてくれようとしていたらしいけれど、そんなことはどうでもよくて…流れる髪で顔や身体のほとんどが隠れている少女はやはり何度見てもナナシノちゃんだ。
「…起こして…しまいましたか?すみません」
「な、なんで…だって私が…」
あの時私は確かにナナシノちゃんの心臓を握りつぶした。
間違いない。
まだ手の中にはその時の感触が残っているのだから。
そうじゃなくても、身体をあんなにぐちゃぐちゃにされて生きていられるはずがない。
だというのにナナシノちゃんは五体満足で確かにそこにいる。
切り離されていた手足も無事だ。
「…本当に何も知らないんですね」
「知らない…?何を…」
ナナシノちゃんはシーツを置くとゆっくりと立ち上がり、見覚えのある包丁を手にして…自分の胸を貫いた。
瞬間噴き出す血は正面にいた私の身体とシーツを真っ赤に染めていく。
「何をしてるの!!!?」
「んぐぁ!…いいか、ら…うぉえ…見てて…くだ、さ、ごぼっ!
口からも大量の血が吐き出される中、ナナシノちゃんが勢いよく包丁を引きぬいた。
更に噴出した血が今度は私どころではなく、後ろの壁すらも真っ赤に塗り替えていく。
突然の出来事に私は呆気にとられ、何もできなかった。
ただナナシノちゃんの自殺を見せつけられただけで…再び血の海に倒れた彼女を見つめているだけだった。
「…え?」
それはナナシノちゃんが動かなくなって数分後の出来事だった。
壁に塗りたくられていた血が、私やシーツを汚していた血が、床に海を作り上げていた血が消えていく。
ゆっくりと血が薄くなっていって…やがて完全に見えなくなると、動かなくなっていたはずのナナシノちゃんがムクリと立ち上がったのだ。
「…この通りです。死なないのですよ私」
ナナシノちゃんは自虐的な…悲しそうな笑顔を見せた。
「死なないって…」
「言葉の通りです。私はありとあらゆる外傷、病…その他ありとあらゆる事象において死なない…身体がダメージを負うと程度によっては時間はかかりますがこのように再生されるのですよ…気持ち悪いでしょう?」
そう言うとナナシノちゃんは私から距離を取り、膝を抱えたまま座り込んだ。
私はと言うと頭の中でぐるぐるといろんな事が回っていた。
でも何より真っ先に私がやるべきことは…。
「ナナシノちゃん…」
「…なんですか?」
私はかけてもらっていたシーツが落ちるのも無視して座り込む彼女に縋り付いた。
そして真っ先に口にしないといけない事を吐き出す。
「ごめん…ごめんなさい…!」
「え…」
「痛かったよね、苦しかったよね…なのに私…あんなひどい事…ごめ、ごめんなさい!ごめんなさい…!」
ただ謝り続けた。
今まで殺してきた人たちの分も伝えるかのように…ただひたすらに…。
どれくらいそうしていただろうか。
ずっと無言で私の謝罪を聞いていたナナシノちゃんが口を開いた。
「本当に…私に対して悪いって思ったのですか」
「うん…当たり前だよ…」
「それを証明…できますか?」
「証明?」
視界の隅で何かが鈍く光を放った。
またもやあの包丁だ。
ナナシノちゃんが鉈をおぼつかない手つきで握りしめた私に向ける。
「あなたのあれが何だったのか分かりません。でも私はユキノさんに確かに殺されました…それに謝罪したいというのなら…同じように私があなたを傷つけても文句は言わないですよね?」
────────
≪ナナシノside≫
それはただの思い付きだった。
今まで私はたくさん死んできた…殺されてきた。
死なないからだというのはとても有用だ…ただしそれは本人ではなく他人にとって。
どれだけ切り刻んでも、何をしても絶対に死なない…人と同じ身体の構成をしている何かがそこにいるのだ。
実験に使われないのは嘘だとすら言える。
どうして私にこんな力が備わっているのか分からない…だけど不死の身体に感謝したことなんて一回もなく、私の人生は苦痛だけに彩られている。
でもそんな私に目の前の女性は初めて「謝罪」した。
殺されて謝られたのなんて初めての経験で…戸惑うと同時にとある考えが頭をよぎった。
昨夜の出来事の中でユキノさんの様子は明らかにおかしかった。
今の性格とは明らかに違うし、なによりその右腕が異形のものに変化していた。
この人も何か事情を抱えているんだ。
だからこそ考えてしまった。
私の身体を切り刻んでいた人たちはいつだって楽しそうにしている…私はそれが死ぬほど嫌だけどもしかすれば私もやってみればその考えが理解できるのかもしれないと。
私に謝罪をして…私と同じように人から外れた何かを持つこの人を傷つけてみたいと思った。
もちろんただ思いついただけで本気にするつもりはなかったし…どちらかと言うと私に謝るこの人の化けの皮を剥いでみたかったという意識のほうが強かったかもしれない。
どうせ少し脅せば慌てて身を引くだろうと。
だけどユキノさんは…。
「うん…いいよ…」
かすれるような声でそう言うと私から少し離れて座った。
「いいって…」
「それだけ…酷いことしちゃったから…大丈夫、私ね人より怪我とかには強いから…さすがに死なないってことはないと思うけど…ナナシノちゃんには…そうする権利が…あるよ…」
涙目で震えながらユキノさんは私と私の握る包丁を見ていた。
そんなはずない、どうせ口だけで取り繕えば私が諦めると思っているんだ…その手には乗らない。
ゆっくりと立ち上がって…そしてわざとゆっくり距離を詰める。
包丁をこれでもかと見せつけながら。
「…っ」
明らかに怯えながらもユキノさんはその場から動こうとはしない。
「本当にいいのですか」
「うん…きて…大丈夫だから…」
トクントクンと私の心臓の鼓動がいつもより早くなっているのを感じる。
恐れているのだろうか…人を傷つけるという行為に。
いや違う…これはどちらかと言うと…。
私は意を決して包丁の先を少しだけユキノさんのお腹に刺した。
「っ…!いたっ…」
ユキノさんが顔をわずかに歪めた。
そしてその腹部…包丁が少しだけ刺さっているそこを中心にユキノさんが着ている服にわずかな染みが広がっていく。
もう少し…もう少し深く刺しても大丈夫だろうか。
自分がさんざんやられて、どのあたりまでが肉で、どのあたりが危ないかなどはだいたいわかる。
それならもう少しくらいいいはずだ。
包丁を握る手に力を込めてさらに数ミリ深く刃を食いこませる。
「ふっ…!!んぁ…!ぎぃ、ぃ…!!」
ユキノさんの顔がさらに歪み、汗が流れて…瞳の端から涙が落ちた。
それを見たとたんに私の心臓の鼓動はさらに速さを増した。
これ以上はまずいとゆっくりと包丁を引きぬく。
腹部は真っ赤に染まっていて…そこそこの量の出血をしているように見える。
だけど不思議な事に出血はどんどんと少なくなって行き、私ほどではないけれど傷がふさがっていっているようにも見えた。
怪我とかに強いとはどうやらそういう意味らしい。
つくづくこの人も…化け物よりの人らしい。
でもそれなら…もう少しいいですよね?
包丁を捨てて両手でユキノさんの首を掴む。
そしてゆっくり、ゆっくりと力を込めていく。
「あ…ぐ、ぁ…」
「苦しいですか?」
何を聞いているのでしょう私は。
首を絞めているのだから苦しいに決まっている。
なのにやめることが出来ない。
「私はとっても苦しかったですよ。あなたに胸を刺されて…心臓を潰されてとっても苦しかったです。不死身でも痛みも苦しみも感じるのですよ私は…あなたはどうですか。苦しいですか」
「く…くる、し…ぃ…」
ユキノさんの瞳からこぼれる涙はその量を増していき、口の端からも涎が落ちていく。
顔もどんどん苦しそうに歪んで行って…。
「はぁ…はぁ…」
誰かの荒い息づかいが聞こえる。
ユキノさんではない。
だって私が今首を絞めているのだから。
じゃあ誰の?
…私のだ。
もうごまかせない。
分からないふりは出来ない。
私は今この状況にこれまでにないほどに興奮している…苦しむユキノさんがとっても可愛らしくて…綺麗に見える。
「こ…っ…あ…」
ユキノさんの身体が震えだし、さすがにまずいと両手を離す。
首にはくっきりと私の手形が残っていて…新鮮な空気を求めてユキノさんが涙を両目に浮かべながら荒く呼吸を繰り返している。
明らかにやりすぎだ…そう思っているのに同時に私は…おそらく笑みを浮かべていた。
はい、つまりはこんな感じです。
一方的なのは良くないですので…。




