氷の作り物
人の出払っているアラクネスートの本拠地である屋敷にて赤いフードの女の手から滑り落ちた皿が地面に叩きつけられ、破片が飛び散る。
ザーと蛇口から流れ続ける冷たい水の音がやけに大きく響いていた。
「寒い…なんで…」
茫然と立ち尽くし、何かを呟く赤いフードの女の腕にナナシノが心配そうに触れる。
「あの…どうかしましたか?」
「…いえ」
フードの女はハッと顔をあげると、ナナシノの頭を軽く撫でて水を止める。
しかしその手は寒さに襲われている子供の様に細かく震えていた。
「大丈夫ですか?」
「うん…そう、だね。大丈夫…うん。でも行かなくちゃ。お菓子の作り方は覚えた?」
「え、あ、はい。たぶん?」
「そっか。…もうじき怖い狼がやってくる。だからせめてそれまでは幸せにね」
そんな言葉を言い残し、フードの女はナナシノの前から姿を消した。
一人残されたナナシノは周囲を見渡したが、フードの女の気配がしなかったので人t理で後片付けを続ける。
「怖い狼…」
その言葉を口にするだけで、何故かナナシノの背筋を凍るような何かが通るのだった。
────────
慌てた様子で屋敷の外に出たフードの女は、手ごろな岩に腰を書けて本を読んでいた人間味の無い男に声をかける。
「教主様」
「おや、リトルレッド。もう用事は終わったのかい?」
「…それよりも想定外の…いえ、起こってほしくなかった事が起こった可能性があります」
「ふむ?厄介ごとかい?」
「おそらくは…」
「キミがそんな顔をするなんてよっぽどの事なんだね。いいよ、行こうか」
人間味の無い男が本を懐にしまい立ち上がる。
周囲に人気がないためか、どんな些細な音でもハッキリと聞こえ、男が動くことでわずかな何かが軋むような異音が聞こえる。
しかしそれに疑問を持つ者などその場にはいない。
「ありがとうございます。しかし教主様はおそらく「アレ」には近づかないほうが…」
「あはは。キミがそんなに焦っているんだ。おそらく「神」に関係がある物なのだろう?なら私が行かないわけにはいかないだろう。大丈夫、自分の身は自分で守るよ」
「わかりました。では…」
「うん」
そして二人は死の鱗粉と冷気が漂う地に向かうのだった。
────────
そしてもう一人…いや、一匹。
世界に起きた異変を察知した者がいた。
図書塔にて本の整理をするレイリ…の頭に登り、ブチブチと髪を切り裂いている小さな毛玉。
髪を切られているというのにレイリは気にした様子もなく、平然と自らの仕事を進め、毛玉もとい黒猫もレイリに反応してもらおうとは思っていないのか一心不乱に髪をいじり続けている。
しかしふと黒猫の動きがピタリと止まり、そこに何かがあるのか空中を見つめた。
それは今まさにアリス関連の騒動が起こっている場所の方角であった。
「?」
レイリが突如動きを止めた黒猫をどうしたのかと言う思いを込めて軽くつつく。
普段ならレイリがちょっかいを出した途端に反撃をしてくるはずの黒猫だったが、不自然なほど反応を返さず、まるで凍り付いたかのように固まっている。
いよいよどうにかなってしまったのかとレイリは頭の上の黒猫をそっとつかみ、顔を覗き込む。
「…?」
「んにゃ…」
黒猫もしばらくレイリを見つめたが、しばらくすると肩を落とし…レイリの口をこじ開けてその中にするりと侵入し丸まった。
なんとなく機嫌が悪いらしいと、黒猫をそのままにレイリは作業に戻るのだった。
────────
そして対峙するリコリスとスノーホワイト。
見つめ合い、にらみ合う二人だったが先にリコリスが動く。
いや、実際にはリコリスは何もしていない…しかしその周囲に蠢いていた動く死体たちがスノーホワイトに一斉に群がったのだ。
スノーホワイトの身体に噛みつき、爪を立てる。
肉が引き裂かれ、血が飛び、骨が剥き出しになった。
しかしスノーホワイトは表情一つ変えることなく平然としていた。
「あぁなんか攻撃をされていたのか。悪いね、寒くて体の感覚がほとんどないんだ…私の「身体」ではないから丁寧に扱わねばならないというのに失敗した…まぁいい、ここからでもどうにでもなる」
ズタボロになった右腕をスノーホワイトがあげる。
そこにどこからともなく一枚薄い色紙のようなものがふわふわと落ちて、空中に浮かびあがる。
「折り祈り願い織れ。オリガミ、イノリガミ」
その言葉に合わせるかのように、色紙がひとりでに折れ曲がっていき…何かを形作る。
そして地祇の瞬間、折られた紙は突如として燃え上がり炎に飲まれ、さらにその炎は大きさを増していく。
燃えて燃えて燃え上がり、最後に現れたのは全身から炎を噴き出す全長二メートルほどの炎の魔神。
「【祈神ヘンゼル】我が敵を燃やし尽くせ、燃え盛りし神よ」
スノーホワイトの呼びかけに答え、炎の魔神が雄叫びをあげる。
するとスノーホワイトに群がっていた動く死体たちは全身を炎に巻かれ、まるで踊っているかのような奇妙な動きの中でその形を失っていく。
ただでさえ異臭をさせていたのにもかかわらず、腐肉が焼け焦げていくためにさらにその異臭は強まり、周囲に不快感をばらまいていく。
だがそれも数十秒…燃え尽きて炭となり風に運ばれて消えていく。
残ったのは身体を食い荒らされつつも平然としているスノーホワイトといまだ周囲を燃やし続ける魔神のみだ。
「あな【あな「た」た】…とて【も「にお」にお】う」
あなた、とてもにおう。
二重になり聞き取りにくい声でリコリスはそう言った。
「ふむ…臭いか、な?自分ではそうでもないと思うのだけど」
自分の腕を鼻に近づけてスノーホワイトは匂いを嗅いでみたが、特に妙な香りはしない。
「ちがう【とても】いいにお【におい】い。でも…あなたからしてはダメな匂い【匂い】」
「ああ…なるほど。やっぱり気がつくものなのかな?」
再びスノーホワイトが右腕をあげ、その上に紙を出現させる。
そして先ほどの光景を繰り返すかのように、紙はひとりでに折れていき…今度は魚のような形に姿を変えた。
「【祈神マーメイド】癒し祓え、治癒の神よ」
さらに現れたのは小さな人形のような魔神だ。
それはスノーホワイトの周囲をくるくると回り、魔神が通った後にはスノーホワイトの怪我は元の状態に戻っていた。
そんな様子を見てリコリスは眉を吊り上げて怒りをあらわにする。
「やっぱり【間違いない】い。その【匂い】に神を産み【落と】す力…それは【それは神産みの…】魔王の力【だ】。なんであなたが私の【ママの力】を持ってるの!!」
スノーホワイトは静かに白い息を吐きだしていた。
色々な事が起こって実はパンクしてるリコちゃん。




