名前の由来
「はぁ…?なに、頭がおかしくなったの?」
眼帯の女は履き捨てるように無下に言い放ったが、この場ではそれが当然の反応とも言えた。
100と数十年の歴史を持つ帝国に置いて、皇帝が同一人物などありえるはずがない。
人と言う生き物はそこまでの時間を生きることは出来ない…いや、不可能とは言い切れないであろうが少なくとも現代の皇帝の容姿はどう多めに見積もっても30代がいいところだ。
下手をすれば20代はおろか10代後半くらいに見えない事もない。
それほどに若々しい容姿をしている。
「そんな皇帝が100越えのババアだって言うの?はっ!嘘をつくのならまともなもっとマシな嘘をつきなさいよ小娘が」
「…余は嘘などついてはいない。それに…正確に言えば母は長生きをしているわけじゃない…正確には何度も生まれ変わっているんだ…げほっ…!」
「うまれ…?」
「母は自らの子を「器」とすることが出来る…母を親として生まれた赤子は自意識を持たず…目覚めることもなく眠り続ける。そして…母が好きなタイミングで身体を「捨てる」ことで母の意識と記憶が「器」としての赤子に宿り…新たな皇帝が産まれるんだ」
「ねぇちょっと…ねえねぇねぇ!真面目な話をしてんのよアタシは!夢見がちなガキの妄想話なんて聞きたいわけじゃないのよボケが!」
女がアリスのすっかり痛んでしまった髪を乱暴に掴む。
そのまま頭をあげさせようとしていたのだが、アリスの身体状態故かブチブチといとも簡単に髪は千切れてそれは叶わなかった。
「妄想…なぜそう言い切る?こんな魔法なんてものが存在する世界で、どうしてそんなものはありえないと吐き捨てるんだい…」
「魔法?そんなもの魔法なんて言葉で済まされるもんじゃないのくらいわかるだろうが!」
「…そうだね。その辺の意識のすり合わせがうまくできてないのも…余が未熟たるところだ…うん…。キミたちににすれば…科学というものはそれこそ余にとっての魔法のように思えるのだろうしね…うぇっ…ただ…一度考えて欲しい…この世界は思いのほか不思議な事で満ち溢れている…もし余の言葉がすべて事実なら…先に言った帝国の疑問全てに説明がつくのではないかい…?ごほっ!げほっ!」
急に表れて皇位を受け継ぐ皇帝。
そして皇位の交代と共に表舞台から姿を消す先代の皇帝。
独裁国家と言うのを抜きにしても歳若い皇帝に付き従う騎士達。
設立当時からほとんど変化していない国家の運営方針。
それらすべての理由が皇帝が「身体を乗り換えている」ている同一人物と言うのなら…?
「いや、待ちなさい。じゃあお前はなんなのよ!うまい事話しを反らしそうとしているようだけど…もし皇帝にそんなありえない力があるとしてお前と言う存在をどう説明つけるつもりなのよ!」
「…なぁ今目の前にいるこの余を見て君はどう思う」
「あぁ!質問してるのはこっち…」
「今こうして無様な姿を晒している余が…自分から見ても惨めだと思うくらいには体の弱い私が皇帝の身体に相応しいと思うかい…?」
「っ!」
皇帝には…一国の王には力が求められる。
国を民を率いていくだけの力が。
他国に一方的に飲み込まれないだけの力が。
虚弱で、いつ病に倒れるとも知れない身体で帝国の皇帝をやっていけるのかと問われればそれは…。
「私は…母の器の中に生まれた失敗品だ。「器」に自我は宿らない…だから母は私を…いいや、この不出来な身体を処分しようとした。でもその瞬間に「私」はこの身体で目覚めた。生まれるはずの無かった命…処分されるはずだった、いらないと捨てられた器に宿ったエラー…それが私。最初の質問に戻ろうか…母が私を避ける理由…それは私に合わせる顔がないからだと言っていた。どう接すればいいのか…身勝手に殺そうとしていた赤子に母親として向き合う資格があるのかと…」
そこで夥しい量の血がアリスからこぼれ落ちた。
そろそろ限界が近いようにしか見えないが、それでもアリスはしっかりと言葉を紡ぐ。
「だから…だから私は…母が気に病まないでいいようにと…こんな身体でも成せることがあるんだって…他の誰でもない自分に恥じないようにと今日まで生きて来たんだ」
ボタボタと流れ落ちる血は止まらない。
アリスの血はその足元を真っ赤に彩り、水たまりを作っていく。
「ちっ!すかしたこと言ってるんじゃないわよ。その母親を今私に売ったくせにねぇ…」
女は幾分かは冷静になった頭でアリスの話を精査する。
にわかには信じられないが…しかし可能性を考慮するくらいの価値はあると。
この世界には説明できない不思議なものが溢れている。
他の誰でもない彼女が「あの方」と呼ぶ存在がそうだから。
「ふふふっ…まぁ持ち帰ってみる価値はある情報かしらね。というかまだ死なないでよ。もう少しだから」
「…死なないよ。じゃないとペラペラ話をした意味もなくなる」
「ふん、口が減らないガキだこと。というかまだ返事はないの!あのアラクネスートとか言う小さい同業は!ちんけな組織のくせに生意気しやがって!」
「アラクネスート…」
「あん?あぁやっぱ帝国にある組織だからお前も知ってるのね?そりゃあそうか…はぁ…なんだか知らないけど依頼主がそこにも協力要請を送っておけとか言い出してねぇ…めんどくさいったらありゃしない。そもそもアタシは気にくわないのよ!実態も活動内容もわけがわからなさすぎるし、新参のくせに帝国なんて「アタシら」みたいなのが潜りこめるのならうまいところしかない場所を我が物顔で牛耳りやがって…クソが!」
女が腹立たし気に地面を蹴り、砂埃が舞い上がる。
「ははは…」
「あ?今笑った?何がおかしいのよ小娘ぇ!」
「…なぁキミ…なんでアラクネスートって言うのか知っているかい」
「…あ?」
「最初に集めた四人…「ア」トラ、カラ「ラ」、「ク」イーン、「ネ」フィリミーネ…そして4だからトランプにでもちなんでみたらかっこいいかと思ってスートをつけたんだ…今思えば馬鹿みたいな名づけだとは思わないかい…?その後はアトラくんが「ラ」の部分も私ですぅ~とか言ってカララくんと喧嘩したりしてたね…うん、懐かしい」
「お前何を言って──」
その瞬間、女とアリスのいる部屋が揺れた。
いや、周囲一帯が耳を貫くかのような轟音と共に振動したのだ。
まるで近くで大爆発でも起こったかのような…。
「なんなの!何が起こって…っ!?」
女がアリスから視線を外し、音の聞こえた方を反射的に向いた瞬間に女の背中を何かがぶつかったかのような衝撃が襲い、勢い余って女が地面に倒れる。
「ようやく…背中を見せてくれたね」
「お前…どうやって…」
驚いて倒れながらも振り返った女が見た衝撃の正体は…アリスだった。
鎖で腕を縛られ、囚われていたはずのアリスが顔中の穴から血を流しながらも確かに自由になった身体でそこに立っていたのだ。
ボタボタと零れ落ちる血…それを目で追って女はようやく違和感に気がついた。
顔だけではない…他の部分からも血が零れている。
そしてそれは…アリスの両の手首からだった。
そこはもはや本来の形を保っておらず、あらぬ形にひしゃげており…ありていな言い方で言うのならぐちゃぐちゃになっていた。
「まさかお前…無理やり鎖から手を引きぬいたのか!?」
「はは、は…やらなくちゃ死んでしまうからね…両手と命…そんなもの天秤にかけるまでもないだろう…?」
「だからって…そんな馬鹿な事出来るわけが…!」
実際アリス自身も平常時で両手を犠牲にするという選択が取れたのかは定かではない。
確かに手は命には代えられない…誰もがそう思いはするが、それを実行できるかは別の話だ。
人はそれしかないと分かっていても行動できない時がある。
それも激痛を伴う行為となればなおさらだ。
しかし今のアリスは今にも倒れそうなほど意識は摩耗し、弱り切った身体は痛覚すら鈍くなっている。
故にできた選択であった。
「…生きるよ私は…まだ…この人生で…何も成せていないんだ…こんなところで諦める理由はないんだ」
今明かされる衝撃の真実。




