終わりと始まり
唐突な過去編が始まります。
次回は明日か明後日に投稿します。
その少女は生涯のほとんどを白いベッドの上で過ごした。
病に蝕まれた身体に無数の管に繋がれて、指先一つ動かすこともできない状態で時折戻る意識を必死につなぎとめて白い天井をただらだ眺めていた。
数年ほど前までは辛うじて動かすことの出来た身体で外の景色や健康な身体を夢見つつ、本のページをめくり取り込んだ知識を何度も何度も反芻し、いつ尽きるとも知れない命を噛み締めて今日も生きていると確認する日々。
ピッ…ピッ…と自分の心臓がまだ動いていることを示す無機質な機械音と、声を出すことが出来ない代わりとばかりに機械によって強制的に動かされた肺による呼吸音…それが少女の世界を彩るほとんど全てであったが、時折その世界に別の音が混じることがあった。
誰かの嗚咽する音。
鼻を鳴らし、涙を流してほとんど感覚の無い手を握って少しでも体温を感じさせようとする手…少女は首も動かすことが出来ないため、その人物があえて顔を見せてくれないと誰なのか判別することは出来ない。
しかしそれでも…それが誰なのかくらいは分かった。
自分と言う存在を世界に産み落とし、そして愛してくれていた家族と呼ばれる存在。
一日の大半意識を失っている少女が家族に遭遇することは稀ではあったが、意識を取り戻し、家族がいた時が少女の人生において最も苦しい瞬間であった。
自分に無償の愛を注いでくれて、何年何十年と同じ時間を重ねて、大人になった後で昔はあんなこともあったねと笑いあえたはずなのに、少女は家族をただただ泣かせることしかできない。
そんな自分が…それこそ死にたくなるほどに腹立たしくて悲しかった。
だからこそ諦めたくないと、ここで終わりたくないと、かならずまた起き上がって見せるんだと少女は己を奮い立たせ、宣告されていた寿命を越えて生きた。
だが死神が与えてくれた猶予もそう長くはなく…結局少女は何も成せないままその人生を終えた。
──ごめんなさい。
そんな声にもならない声すらも誰にも残せないままに。
しかし少女には「その後」不思議な事が起こった。
その生涯を確かに終えたはずなのに、少女はなんと目を覚ましたのだ。
世界全体が闇に覆われ、どこを見渡しても…世界の果てまで「黒」が広がっている闇の世界。
そこで少女は自分が小さな光の玉のようなものになっていることを自覚した。
いや正確には意識だけがその場にいるというのだろうか…手も足も、身体と言うものが存在せず認識も出来ない…しかし確かに自分と言う意識がそこにいることは分かる。
そんな不思議な感覚。
ここはどこなのだろうかと少女が周囲を見渡そうとして…「それ」と目が合った。
当然ながら今の少女には目も存在していないので正確には違うのかもしれないが他に形容できる言葉がなく…確かに「それ」は少女を見ていたし、少女も「それ」を見ていた。
それは美しい少女だった。
ガラス玉のようで真っ赤な瞳に艶やかな青みのかかった長く黒い髪、透き通るようにどこまでも白い肌。
まるで作り物のような…計算された美しさとでもいうのだろうか。
人の形をしてはいるけれど、確実に人間ではないと思わせる…そんな見た目をしていた。
「こんにちは」
それは少女に笑いかけると、見た目に違わない綺麗な声で少女に挨拶の言葉を投げかけた。
「こ、こんにちは…?あ、あれ…なんで…」
咄嗟に挨拶を返して少女は驚いた。
なぜならもう何年も発していないはずの声が出たのだから。
いいや、実は声など出てはいないが意識だけの少女が挨拶をしたと意識をしていたために声が出せたと錯覚しているだけだ。
しかし実際の音にはなっていないその言葉に「それ」は満足そうに笑いながら頷いた。
「うんうん、こんにちはこんにちは。あははっ」
「…?」
知りえない事だが、この瞬間…少女は最善にして最高の選択を取っていた。
下手をすれば意識を取り戻した少女の存在はここで本当に終わり…そうなってもおかしくはなかったがたった一言、とっさに発した挨拶の言葉が彼女に新たな選択の道を開いたのだ。
「さてさて、ここがどこか分かるかな?」
美しい女性がいつの間にかそこにあった真っ白で大きな椅子に腰を掛けて少女にそう聞いた。
少女は身体が動いていた時に必至に読み込んだ無数の本による知識をかき集め、少しだけ考えて、おそらく最も可能性が高いであろう答えを口にする。
「…あの世」
「わぁ正解。すごいすごい~」
パチパチと美しい女性が軽い拍手を送り、そこでようやく少女は気がついた。
この女性に感じていた違和感…目の前のこの存在が人ではないと言い切れる要因。
それはその手だ。
一見は人のそれだが明らかに違う…本来は皮膚に覆われてなだらかなはずの手だが女性のそれは関節部が丸く、さらには関節のつなぎ目に境目が存在していた。
…人形の球体関節だ。
ひとりでに喋り、動く人形…いよいよをもって自分がとんでもない場所にいるのだと少女は自覚した。
「ここは…地獄ですか」
どこまでも続く闇に塗りつぶされた世界はどう見ても天国には見えない。
誰かに迷惑だけをかけて死んだ自分がたどり着いた場所なのだ、地獄に違いないと半ば自嘲気味に少女は思った。
「ん~…まぁ感じ様によっては地獄だね~。結局は運だからね、うん」
「…?」
女性は聞いておいてあまり説明するつもりもないのか、綺麗な顔でへらへらと笑うばかりだ。
だがしかし、少なくとも悪意を持って少女を排斥しようとは考えていないらしく、場所や女性から受ける異様な雰囲気の割には恐怖を感じない。
「ま、あんまり難しく考えないでよ。ここはね人が死んだ後に訪れる場所。世界の果て」
「世界の果て…」
「そうそう。たくさんある世界に芽吹く命達…それらが終わりを迎えた後に等しく訪れる場所なんだ。そして…おめでとうございます~」
パチパチと再び女性が笑顔で拍手をした。
おめでとう…死を迎えた少女に対し贈る言葉なのかと思わなくもなかったが少女は素直にお礼を言う事にした。
「あ、ありがとう…ございます?」
「うんうん。いや実はね?普段は私ってここに居ないんだ~。一応はこの場所でやってくる命達に新しい次の生を与えなくちゃいけないんだけど…めんどくさいじゃん?」
「え…?あ、はぁ…?」
少女は女性の言葉の意味を理解できてはないないが、なんとなくとても重要な仕事そうなそれをめんどくさいで済ませていいのだろうか…と疑問を覚えるが口にはしない。
「だからいつもは勝手にして~って命が流れるままほったらかしにしてるんだ~。それでもなんやかんや命はひとりでに新しい生を始めるからね。でも今回はさ~ちょ~っと用事があってここに来てた時にキミが来ちゃった。そうなるとさすがに私もお仕事をしないといけないわけですよ、うん」
「それはその…お手数をおかけします…?」
「あははっ、気にしなくていいよ。でもまぁ本当に私がここに居る事なんて稀でさ、そんなタイミングで来るなんてほんとにすごいよ。たぶん数字に現すことなんてできないくらいの確率。だから私もたまには「らしい」ことをしてみようと思ってね!まぁ一回やってみたかったんだ~!」
「な、なにをでしょう…」
もしや自分は今とんでもないことに巻き込まれかけているのではないだろうか。
漠然とした恐怖がそこでようやく鎌首をあげ始める。
「あーあー、身構えなくてもいいよ。言ったでしょう?おめでとうございますって!私にとってはとてもめんどくさい事だけど、キミにとってはいい事だよ」
「いい事…」
そこで女性は身を正し、ごほん!と喉を整えると気取ったかのような声で少女に告げる。
「この瞬間、この場所で出会ったあなたに「チート異世界転生」の権利を授けましょう。ねね、あなたは次の人生でどんな自分になりたい?それを私に聞かせて?」
微笑んだ女性の顔はどこまでも楽しそうで…どこまでも優しかった。




