表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
短短編集  作者: 重カ
3/4

鬼に横道なきものを


 公園のブランコに腰かけている中肉中背の男からは、この上ない胡散臭さが漂っていた。平日の真昼間で、木枯らし一号が吹いたと、民放で報道されている最中であった。その公園は区営の小さいものであり、休日の昼間に訪れても独占できる程であった。そのような寂寞さが、男の怪しさを強調させていたのだろう。無精ヒゲや、意図せずハネる黒い襟足もその援助をしていた。

 コゲラのさえずりで、男はようやくブランコから手を放し立ち上がる。男の前頭部を蝕むアセトアルデヒドが、同時に全身の怠さをかもし出していた。帰省初日である昨日、実父の手により強い酒を酌まされたのが原因である。

 男はゆっくりと瞬きを数回、晴天へと向けた。欠伸を押さえた掌からはアルコールの香りがし、吐き気が男を容赦なく襲来した。肺から湧き出るその香りは、年老いた遊具へ溶けて染み込んでいく。

 男は、地面がひどく遠くに見えているようだった。キイとブランコが揺れる音が、男の頭に纏わりついた。キイ、キイ。古い鎖は、男の足元に伸びていく。キイ、キイ、キイ。足に絡まり、肉を食む。キイ、キイ。男の掌のさびがもの哀しささを倍増させた。男の生命線は、ブランコの鎖のせいでこんがりと狐色に焦げていた。キイ、男の側にはビールの空き缶が図々しく転がっていた。それを一瞥した男は、憎らしき苦笑いを浮かべた後、猫に似通う背中で道路へ向かう。

 懐かしき道を、ぐらつく視界に足を進める。行き先は決めていなかった。だが、家に居て置物扱いされるのも癪であり、このような体調では何も楽しめるはずがなかった。

 風にあおられ、男がふと目をやった掲示板には、訃報の紙と秋祭りのチラシが掲示してあった。その配色の温度差に逆上のぼせ、立ち振る舞いに大きな壁が見えた。チラシの方は上2カ所だけしか留められておらず、さらに開催日は一昨日であった。

 母校までの登校ルートをなぞりつつ、二日酔い男がこんな時間に校舎の近くをふらつくのならば、通報されても文句は言えないぞと、自虐を考えるほどには気が滅入っている様子であった。

 木枯らしが、男の黒いロングコートを強引に躍らせる。

 その足は自然と、世話になった商店街へと進んでいた。

 区営の公園とは裏腹に、商店街は昔と変わらず……いや、昔よりも活気づいて雑然としていたため、男の頭はまたもぐらりと揺れる。ショーウィンドウに反射した自分の顔に、うすら黒い隈が引っ付いていた。襟元の広いセーターから覗く首筋と鎖骨が痛々しくてゾッとした。

 自分の姿で我に返った男は、踏み入れたばかりの商店街をもう後にしようかと頭を絞るが、足を踏み入れた途端に踵を返すのもどうかと思い、通過するだけ通過しようと足を進める。

 牛肉コロッケの芳ばしさが鼻孔をくすぐり、焼鳥屋の煙が男の傷んだ胃を刺した。ざわざわ、がやがや。ぐわんぐわんと、眠気と吐き気が体に巻き付く。


「ね、お母さん。今日の晩御飯は何?」

「知ってる? 工藤さんちのお子さん、入院したらしいわよ」

「いらっしゃいませ~。どちらをお買い求めで」

「マジでえ? めちゃヤバいじゃん、それ」

「お前、次の訪問先で同じミスしたら容赦しないからな」

「やだなあ、嘘に決まってんじゃん」

「こんにちは……いや、今はこんばんは?」

「やあ、久しぶり。随分とやつれた顔してんなあ」


 それは、それだけは、他とは声色が明らかに違っていた。高くてバラバラに重なった声であり、男の目線を引き寄せるのは容易であった。


「鬼さんこちら、手の鳴る方へ」


 男の目た先には、カラフルなランドセルが並んでいた。ひい、ふう、みい、よお……5つのランドセル。声変わりのしていない男子小学生が2人と、やたらと足の細い女子小学生が、円になって何かを囲んでいた。

「鬼さんこちら、手の鳴る方へ」

 また高い声が、男の耳に届く。円の中央、高い声の矛先には俯いている1人の女の子。これは俗に言う、いじめだろうか。それにしても、やけに堂々とするものだ。ここは商店街の中央だぞ。

 鬼とは。……残念なことに、その日は節分ではなかった。また、中央の女の子が鬼であるようにも見えなかった。

 その集団は、男の進行方向を塞ぐようにたむろしていた。さらに残念なことに、その光景が目に入ったのは、その男だけのようであった。路上に転がっていた1つの赤いランドセルが、心無い通行人に蹴られていた。円を形成している4人は、ランドセルを背負ったままであった。

「やめて」

 女の子の口元が、そう動いたような気がしたらしい。男の同情気質と、悪くない視力は、この日ほど恨まれたことは無かったであろう。

 男は少しだけ、近づいてみる事にした。事件の起きているすぐ隣の、屋台式のパン屋で、わざとらしくガサガサと音を立てながら、食べる予定も特にない食パンを買ってみた。レジ打ちに、目で訴えかける。これはいつもこうなのか、と。レジ打ちバイトは何も言わなかった。男の出した千円札を、無表情で500円玉と100円玉2枚に替えるだけであった。

 横でまた、声が聞こえた。「鬼さんこちら、手の鳴る方へ」手拍子が、耳元で聞こえてきた。ああ、なんて気持ち悪い。男の吐き気は精神的に増加していた。

 男は、食パン入りのレジ袋を片手に、目を瞑った。

 深呼吸を、ひとつ、ふたつ。

 他者の目が、気になった。

 放っておいているのは、何か理由があるのではないか。

 深呼吸を、みっつ。

 男は、そこから去ろうとした。

「鬼さんこちら、手の鳴る方へ」

 声が、急に大きくなった。男の足は遠ざかろうとしていた。鼓動が速い。指先が冷たい。頭が、裂けてしまう。

「鬼は、いじめてる奴の方だろうが」

 男は口の中で呟いた。誰にも聞こえていないはずだったし、声になっていたのかもわからなかった。ロングコートの裾が、足に当たってくすぐったかった。

 男が、集団へ完全に背を向けたところで、腕に、妙な感触があったらしい。

「ねえ、鬼さん」大きな声だった。まるで、耳元に語り掛けているかのような。

 男は、小学生の1人に、腕を掴まれていた。どんどん動機が速くなる。ぐわんぐわん、男の視界は、もう何も見えない。

「鬼さんってね、あなたの事だよ」

 ぷつり。

 音が、男の耳から消えた。

「見てみぬふりをした、あなたの方が鬼でしょう?」

 頭が張り裂けそうになっていた。

「ねえ、逃げないでよ。鬼さん」

 中央の女の子と、目が合った。


 女の子は、笑っていた。


「鬼さんこちら、手の鳴る方へ。遠ざかるのは、耳なし鬼さ」


 聞こえているんでしょう?

 見えているんでしょう?


「どうして、私たちから遠ざかる必要があるの?」


 ねえ、鬼さん。



 酒は飲んでも飲まれるな。

 自分にも、他人にも酔ってはいけません。

 お酒のせいにできるのは、大人の特権ですよね。



「情けなしよと客僧たち、いつわりなしと聞きつるに、鬼神に横道なきものを」

(客僧たちよ、お前たちの言葉を信じたのに、我々は卑怯なことなどしなかったのに)


http://www.京都通.jp/Life/LegendSyutendouji.html

より引用



 皆様はご存じでしょうか。今作品は、酒呑童子のオマージュ作品です。


 今作品での鬼、あなたは誰だと思いましたか?

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ