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誕生日?
唐突な質問だった。
真面目そうな、この目の前の学生が、一体何を言い出したのか、その真意を疑うくらい、あまりに唐突だった。
誕生日?
え?
昔、誰かが言ってたことがある。
人には、魂が入ってくるときが3回ある。
一つつめは、母親のおなかに入ってくるとき
二つめは、ものごころついたとき
そして、三つめは、いつだったっけ?
誰から聞いたかもわからない記憶だ。三つめがあったかどうかもわからない。
でも、もし三つめがあるとしたら…。
考えてしまう自分がおかしかった。
今日は、一樹が生まれた日ではない。
それを、そのまま伝えればいい。
今日は、自分の誕生日ではないのだ。
おめでたい日では決してなく、失恋を目の前に確実につきつけられた傷心の一日なのだ。
なのに、すぐに否定しなかったのは、この目の前の学生が、あまりに無邪気に聞いてきたからだろうか?
それとも、この学生の風貌が、遊史に似ているからだろうか?
一樹の心が、全く意味のない言葉に、この偶然の意味を持たせようと、しているのかもしれない。
この喫茶店に入ってからの不思議事情の一環に、この学生の存在もあるような気がして、その彼が、遊史に似てるってことで、必死にこの言葉の理由付けを考えてる自分におかしくなった。
簡単に、否定するのが、何故かもったいない。
大事なフレーズなんだって、自分自身に思わせたいのだ。きっとそうだ。
すると、背後から、声がした。
「ご馳走様でした。お誕生日おめでとうございます。」
振り返ると、カップルの二人は、既に珈琲も飲み終え、帰るために立ち上がっていた。
OLの屈託のない明るい声と対照的に、
「どうも。」
リーマンの男の方は、居心地悪げに、軽く頭をさげる。
理不尽な被害者のこの男は、ややキツそうな見た目と違って、いい奴なのだろう。
「いやね。私が悪いのよ。」
と、近所のおばさんのように、一樹が返すと、驚いたことに、
「お誕生日、おめでとうございます。」
声は小さかったが、よく通る声で、祝福の言葉を伝えてくれたのだ。
うっそ。
一樹の心が、ほわんと温かくなった。
誕生日ではない。誕生日ではないが、心の中が、こんなに温かくなることが、最近、あったかと思う。
知らない男女に、誕生日のお祝いを告げられただけだ。
しかも、間違ってるし…。
学生の方を顧みると、何故かにっこりしている。
なんで、私の誕生日だって思ったの?
と言いかけた言葉を、その笑顔を見てひっこめた。
何か、遊史とは、けた違いの破壊力を持った笑顔だった。
どぎゅーんという擬音が頭に浮かぶ。心に弾丸をくらう音だ。
そして、その破壊力を保持したまま、彼も同じセリフを吐く。
「お誕生日、おめでとうございます。」
「あ、ありがとう。」
この場をどうつくろえばいいのかわからず、とりあえず、礼を言う。
いやいや、今日、誕生日じゃないから。
と、冷静な一樹が、突っ込むが、この後に及んで、否定するなんて、あまりに、空気を読まなすぎじゃない。
かくて、誕生日じゃない一樹が、誕生日を祝福されて、一人、残された。
カップルも学生も、結果的に嘘をついたようで、複雑な一樹を置いて、笑顔のままで帰ってしまった。
呆然としていた一樹の頭上から、更にコロコロとした声が降ってきた。
「お誕生日、おめでとうございます
見上げれば、ママが、嬉しそうに、ホイップたっぷりのシフォンケーキを持ってきていた。
「これは、サービスです。珈琲、もう一杯いかが?」
さすがに、これは受け取れないと思い、
「いえ、生まれた日は違います。」
と、慌てて、妙な言い訳をする。
すると、ママは、更ににっこり笑った。
「何の、誕生日でも、いいじゃないですか。」
「え?」
何の誕生日でもって?
意味がわからないんだけど…。
優しいママの目は、それでも、有無を言わさない力があった。
「爽君が言うなら、その通りだと思いますよ。」
何だ? この矛盾だらけのセリフは…。
生まれた日じゃなくてもいい。誕生日はって、彼女は言ってる。でも、爽君が言うなら、その通りって、爽君とやらが言うなら、今日が、誕生日だってこと?
ちなみに、学生の名前は、爽君だと、今知った。
このママと爽君の関係は、わからないが、
爽君の言葉に、このママは、全幅の信頼をよせているようだ。
誕生日が、本当の誕生日であろうが、なかろうが、どっちでもいいという感じに聞こえるのに、爽君が言う誕生日というのは、絶対だと思っている節。
まあ、何となく雰囲気的にわかるけど。
誰でもなく、彼が言うことには、意味があるような気がするのだ。
母親のおなかに入るのは、自分が決めたことだ。
つまり、その誕生は、自分で決めたのだ。
今日が、もし、爽君の言うように、誕生日の方が絶対なんだとしたら、それは、私自身が何かを決めた日じゃなかろうか?
運命を決めた日? 岐路の方向を決めた日? あるいは、ここに入ろうと決めた日?
こことは、もちろん、この喫茶店だ。変なことは、この喫茶店に入ってから起こった。
勿論、それが、誕生日の決意にふさわしい事柄なのかはわからない。
遊史を忘れること。新たな恋をすること。決めると決めたら、いくらでも、出てきそうなきもする。あの夢が何かしらの、決意を示す指標なのかもしれない。そんな不思議な夢ではあったと思う。けれども、その正体も不明だ。
不思議な日…。
ママに押し付けられたシフォンケーキは、甘く、口の中に入れたとたんに、ほわりと溶け、ほんとに、美味しかった。珈琲との相性も良く、ママの腕の確かさを感じられた。爽君も、味は保障していた。
そのママは、楽しそうに、カップの片付けに入ってる。メニューは、一樹の前のテーブルに置かれたまま。開いてみると、いくつかの飲み物のメニューの隣に、朝は、モーニングプレート、昼は、ランチプレートとある。そして、夜は、ディナープレートだ。いずれもママのおまかせっぽい。多分、料理が苦手で、近くに住んでいるという爽君は、このモーニングやらランチやら、ディナーやらを、この喫茶店で、賄われてるのだと思われる。
今、決められることは何だろうと、残ったケーキの屑を、皿の端に集めて、一樹は考えてみる。
人は、見失っては見つけていく。
恋だけじゃない。失うものは、いっぱいある。見失って、どうしたらいいか途方に暮れる経験も、いくらだってある。
人は、簡単に見失う。
けど、また、何かを見つけ、何かを決断し、何かに向かって進むことができるのだ。
とにかく…。
些細なことでもいい。
どうでもいいと思うようなことでもいい。
何かを見失った自分が、妙なきっかけで、妙な出会いをした。
理由を、きちんとつける必要もない。
感覚だけでもいいはずだ。
感だけでもいいはずだ。
また、来よう。
そう、今、一樹は、決めたのだ。
今回は、爽の解説がないので、よくわからないままで終わりました。2作目の「ソウルメイト」を読んでいただける機会がありましたら、その話が、今回のものと掠っていることに気づかれるかと思います。
気が向いたらお願いします。




