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酒がまわってくると、遊史は、やっと離婚について、話しはじめた。
遊史が抱えこんでいたのは、元妻に対する愛情や後悔ではなく、病気になってしまった妻に愛情をなくし、問題を起こす妻と別れたことにホッとする自分自身に対する罪悪感だった。
「俺って、ひどい奴だと思うよ。」
遊史は自嘲気味に笑う。
「自分を責めるなよ。相手は病気なんだ。」
「そうだ。病気だった。」
遊史は、うつむいた。
「病気の香子に対して、俺は、内心うっとうしいと思っていた。感情が激しく変化して、泣きわめいていた時は、うんざりしていた。包丁を持って暗闇の中でじっとしている香子を見た時は、怖くて、逃げ出したかった。」
「…。」
「愛しているからなんて理由は、とっくになくなっていた。俺が、香子の傍にいたのは、夫という立場にいたための、ただの責任感。俺は、逃げたくて、逃げたくてたまらなかったんだ。」
うなだれる遊史の肩を一樹は、そっとつかむ。
「そんなの、当たり前だよ。誰だってそうだよ。」
遊史は激しく首を振った。
「いや、俺は、最低だ。病気になる前の香子は、あんなに明るかったのに。」
重度の鬱について、一樹の知識はない。
それは、遊史も同様で、最初は、体調が悪くて、風邪をひいたのかと思っていたのだそうだ。
長い風邪だと思った頃から、朝になると、頭痛をうったえ、家事が段々おろそかになっていったという。
香子から、笑顔がどんどん消え、これはおかしいと、遊史が、会社を休んで病院に連れて行った時には、鬱だと診断されてしまった。
鬱になった原因は、近所づきあいからだと香子が、医師に伝えていた。
会社を辞め、田舎に引っ越したはいいが、その地区の自治会は、ほぼ主婦会といっていい状態で、近所の主婦が、定期的に集まって、経費で茶菓子を買い、雑談をするのが、主な活動内容だった。
専業主婦という立場になった香子は、月一の掃除や冠婚葬祭のお手伝い、役員就任と、慣れない土地で、慣れないつきあいに駆り出されてしまったのだ。
元々、社交的でもない香子は、それに随分、苦労したようだ。
しかも、すぐ隣に住む年配の主婦ら数人に、子どもじみた嫌がらせを受けていたそうだ。
何度か、泣いてる香子を見て、遊史は、引っ越しを勧めたが、香子は、頑としてそれを拒んだ。実際のところ、ローンを組んだばかりで、現実問題としても、それが、かなり難しいことは、遊史も香子もわかっていた。
遊史は、不妊治療をしばらく休もうと話し合ったが、香子は納得していなかった。
そして、病院で処方された安定剤を、香子は、ほとんど飲んでいなかった。
どんな薬であれ、子どもができるまでは、身体に異物をいれたくないと、香子自身が思いつめていた為だった。
結果、病気は、どんどんひどくなる。
「そんな香子の思いに、俺は、気が付かなかった。」
遊史は、更にうつむいた。
「離婚を切り出したのは、あっちの家族だろ? お前が切り離したわけじゃない。」
一樹が、そうなぐさめると、遊史は、小さく首を振った。
「香子が、自殺未遂をおこしたんだ。」
「え?」
突然の話題に、一樹がびっくりしていると、
「たいした怪我にはならなかったが、香子の家族が駆け付けた時、香子が、俺が、浮気してるって、言い出したんだ。」
「浮気?お前、浮気してたの?」
これには、一樹が本気で驚いた。
「俺に、そんな余裕があったと思うか?」
遊史は、即座に否定する。
「会社関係の個人的な飲み会は、香子が気にしていたから、俺が、会社との往復以外に、行くとこと言えば、お前らとの桃組会くらいのもんだった。それも、電車がなくなるから、たいてい1次会で抜けてたし…。」
「そうだよな。お前が、いつも、疲れてたってのは、気づいてたよ。」
と、一樹。遊史の否定に納得する。
「じゃ、なんで、浮気だなんて。」
「わからない。」
遊史は、弱々しく、首を振った。
一樹は、不意に愛花の顔を思い出した。




