窮地に陥った冒険者は死に抗う
ユリアンとアルノルトが魔王の支配する領土へ進むにつれて思い知ったのは、魔族らによる途方もない影響力と人間へのその被害である。
常に危険を孕むようになった土地へは当然物流が途絶えていく。元々荒れ果てた土地の多かったかの地において物流が途絶えることは即ち衰退と死を意味している。それに追い討ちをかけるように、逃げられるほどの財力や若さを持つ人間は次々と土地を捨てていく。その中にはただでさえ少なかった医者も含まれており、魔族や魔物の襲撃を受けるなか、少しの怪我でさえ死へと至るようになった。
それは当然のように魔王領に近ければ近いほど深刻化する。未だ隊商が――傭兵を雇ってはいるものの通る土地にいる二人ですらかつて見たことのない劣悪な治安と環境に息を呑むほどだ。
ユリアンとアルノルトの目的は魔族を倒すことであるが、人を見捨ててまで優先できるほど冷酷にはなれなかった。現状に驚いた彼らは行く先々で――時には一銭も貰うことはなく――出来る限りの手助けをした。それは単なる雑用や細々としたものであったり、冒険者だからこその魔物退治や医者の真似事などでもあった。それでも出来ないことは多く、その度に二人は心を痛めた。
「ありがとう」
「あなたたちのお陰で救われたよ」
けれど、皆からかけられる声に二人の心は軽くなる。今まで居た街ではただ与えられた任務をこなすだけで、依頼人はギルドを仲介しており会うことはない。何かしら利益を齎したとしても、感謝を直接述べられる機会はなかったのだ。
「――こうしてありがたがられるとなんだか居心地悪いし、申し訳なさもあるんだけど。でも、嬉しいね、ユリアン」
「ああ、見過ごしてただ魔族だけを見ていればきっととっくに経験を積んで腕だって上がってる。それでも、もしそれを選んでいればずっと後悔する。この選択は間違っていないさ」
そう。そうなのだ。結局は二人とも根は善人であり、困っている人を見かければ助けずには居られない。もし彼らが弱者を見捨てるときが来たら、たとえ目的を達成したとしても心は死ぬのだろう。
途方もない寄り道をしている自覚はありながら、二人は楽しそうに笑いあった。
「けど、一応真っ直ぐ進んでいるからこのまま行けばあと数ヶ月もすれば魔族に占領された諸国近辺までは辿りつくよ」とアルノルトは地図を眺めながら呟く。
冒険者になってからの報酬は必要経費以外は貯蓄していたとはいえ、まだ若い二人は金銭的余裕がない。二人は隊商等の護衛を兼ねて同乗を頼み込んだりしていたが、それでも巡り合わせが悪ければ徒歩での移動も多く、それに加えての人助けの日々だ。正直に言えば、まだまだ魔王領からは離れている。彼らは未だ魔族にすら遭遇していなかった。
「……魔族とは、どんな奴等なのだろうな」
そう言ったのはユリアンだ。魔族への憎しみはあるが、ユリアン自身は魔族の残滓を村で知っているとはいえ遭遇したことは無い。それに答えるアルノルトも首を横に振る。曰く、僕も記録でしか知らない、と。
恐ろしく強力な生き物である、という情報は知っているが如何せん彼らには未知の生物であり、噂で聞く存在は尾ひれがつく為に実際に見なければ判断できないだろう。
「けど、大丈夫だよ。僕たちが二人でかかれば魔族の一人や二人!」
「いきなり不意打ち食らって死ぬのはなしだぞ、アル」
「僕ってそんなにうっかりに見える?」
「見える。何より何度もやらかしてるだろう」
死ぬほどの大怪我はまだだよ!と隣できゃんきゃんと騒ぐアルノルトにユリアンは笑みを浮かべる。何かあれば、身を挺してでも彼を守るつもりでいた。太陽の少年は居るだけで周りを明るく照らし出す。もし二人のどちらかが死なねばならないときは、影を生きる自分が堕ちるべきなのだと知っているのだ。
無論、そう容易く倒されるつもりはない。それでも冒険者になった以上、そして今の情勢を知る以上、ある程度の覚悟がなければ生きていけないのだ。
「まあ、何があってもユリアンだけは守るから大丈夫だよ」
何も知らずに微笑む少年に、ちくり、と心が痛んだ。
* * * *
あれから一月ほどが経った。二人は何度か魔族に遭遇したが、いずれも戦闘の後の――恐らく冒険者らと戦い辛うじて逃げてきたのだろう――手負いで、二人がかりでかかれば造作もなく倒せた。いい練習台だ、となかなかれっきとした魔族と出会えずにいるユリアンは皮肉げに笑う。
尤も、余裕があるのは今のうちのはずだ。幸運にも手負いの魔族相手にある程度の経験を積むことが出来ているが、これ以上幸運が重なるとは思えない。そもそもの目的からしていずれは万全な魔族を相手に戦わなければならないのは二人とも分かっており、それは進めば進むほど覚悟を強めることになる。
「僕、意外とすぐ魔族と出くわして戦闘になるものだとばかり思っていたんだけど。もう何ヶ月も旅しているのに未だに手負いの魔族しか戦ってないね」
「油断するな、アル。もうかなり魔王領には近いし、魔族の痕跡もそこらじゅうにある。いつ襲われるかなんて分からないだろう」
「そうだけど、こうも平和だとなあ」
無論、平和などではないが魔族討伐を掲げる二人にとっては確かにこの現状は平和といえた。
――ギャッ
そんなときだ。耳障りな音が聞こえたのは。動物が己がテリトリーに敵が侵入してきた際の警告音にも、己を鼓舞するための短い咆哮にも聞こえた。確かなのは、その直後に二頭もの魔物が奇襲してきたという事実だ。
慌てて武器を構え応戦するも、手負いではない魔族は予想以上に手ごわい。
「――、――!!」
聞き取れない言語、あるいは鳴き声で騒ぐ魔族は連携を取りタイミングよく襲い掛かってくる。辛うじて一頭を二人がかりで倒したとき、アルノルトの悪い癖が出た。――ほんの少し。息を吐く程度の油断。
「ッ、このばかアル!」
「あ、え――?」
剣が、飛ぶ。ざくりと音を立てて地面に刺さったのはアルノルトの剣だ。さあ、と血の気が引くユリアンは無我夢中で魔族に切りかかるが冷静さを欠いた動きは容易くかわされてしまう。
「ギャ、ギャギャギャ!」
違う音域なのだろうか、魔族から聞き取れるのは雑音のようなもので、それでもソイツが笑っていることは分かった。事切れた片割れを踏みつけ、剣を失い呆然と立ちすくむアルノルトへ向かう。
既に二人とも傷だらけでろくに動けない。その上混乱状態に陥っているからたまったものではない。
「逃げて、ユリアン!」
「逃げろ、アル!」
二人が二人、悲痛な声をあげる。伸ばされる手は届かない。アルノルトは自身の死を覚悟し、ユリアンは己が剣がどう足掻いても魔族に届かないことを悟った。
アルノルトの腹部が魔族の爪で切り裂かれる。その頃にはようやくユリアンはアルノルトのもとへ駆け寄っていたが、既に剣を振るう気力も冷静さもない。ただ無我夢中でアルノルトを守ろうと覆いかぶさった。
(いやだ、いやだいやだいやだ!アルはオレの親友だ、守るべきひとだ!やっと手に入れた、大切な大切な、)
背中が切り裂かれ血が止まらない。痛覚は過度の攻撃によって働くことを放棄したのか、痛みはなかった。それでもこのままならば死ぬだろうことは分かっていたし、腕の中にいるアルノルトが必死にもがき初めて聞く罵声を浴びせていた。
ばか、僕なんて庇うな、死ぬんじゃない、死ぬなら僕だけで充分だ。あと少しで腕の力もなくなり彼はユリアンを庇うために腕から抜け出し、そして二人とも倒されるのだろう。
(ああ、最期なんて誰もあっけないものなんだ)
いやに眠い。重い瞼をあげているのも疲れた。もう意識を手放してもいいだろうか。
そんな事を考えていたとき、ふと。魔族の動きが止まった。ユリアンの腕の中から見えているのだろうアルノルトは状況を把握し息を呑む。見知らぬ青年が、見知らぬ魔法を使っていた。
「怖かったね、もう大丈夫だよ」
長髪を後ろへ撫で一つに纏め上げた青年が、優しく微笑んで二人に手を差し出していた。足元には何をどうしたのか、事切れた魔族の死体。
朦朧とする意識の中ユリアンは彼に対して違和感を抱く。
(なんで、だろう)
二人に治癒魔術を施す青年は、暖かくて、優しくて、初対面なのに信頼していいのだと心の奥底でダレカが言っている。
(わたしは、あなたをしっている)