魔族の急襲、少女は全てを喪う
ユーリア・フォン・ホルヴィシアは記憶を封じられ、魔族として生まれもっている様々な能力、恩恵全てをも封印された。
クーデターが失敗に終わるであろう事が目に見えてくればせめて一矢を報いたいと反逆者たちは無作為転移魔法を用いてユーリアを遠く遠く、人間の住まう国へと飛ばしたのだ。
無作為転移魔法とはその名の通り無作為に強制転移を行う魔法だ。術者ですら転移先を知る方法は存在しておらず、ましてやユーリアは個体識別にも扱われる魔力を封じられてしまっていた。
本来ならば容易く見つけられるはずが生死すらも判断がつかず、記憶もない以上ユーリア側から連絡を取ることも不可能。クーデターは失敗したものの優しい心を持つ魔王への反逆としてはこれ以上ないであろう手段をとられていたのである。
分かるわけがないと知りつつ反逆者らへの尋問は繰り返され、そして結局ユーリアがどこに飛ばされてしまったのかその生死も判明することはなく。
次期魔王補佐官としての将来が期待されていた少女はこうしてあっけなく魔族の表舞台から消えていった。
* * * *
私の記憶は森の中から始まる。
質素な男物の服を身に纏った子供はまるで護られているかのように大木の根元で丸くなって眠っていたという。
「この山一帯にある集落は此処だけだし、小さな集落だからみんな顔見知り。おまけに他の集落から子供が一人で歩いてこられる場所なんかじゃない」
お前を見つけたときはそりゃもう大騒ぎだったんだよ。昔を懐かしむように、母は何度も何度も私へその話をした。
――母と言っても養母だ。本当の家族のことは何一つ知らない。気づいたら森に居てそれ以前の事は何一つ思い出せなかった。
鞄一つ持っておらず、唯一手がかりになりそうなのは真っ青な宝石のはめ込まれたネックレスだけ。それだってユーリア、と恐らく私の名前であろうものが刻まれていた程度の手がかりしかなかった。
「小さいけれどとっても綺麗な宝石だからねぇ、私たちには分からないけれど今後手がかりになると思うよ」
だから大事にしなさい、と母は得意の美しい刺繍を施したポーチを作ってくれた。
失くさないように肌身離さず持ち歩くんだよと、幼い私に何度も言い聞かせて。
幼い私は少女たちに混ざって室内で家事や裁縫を習うよりも少年たちと共に山を駆け回り、果てには木刀でちゃんばらごっこをしだすような子供だったので恐らくネックレスのままだったらすぐに木の枝に引っ掛けたりしてなくしてしまっていただろう。母の作ったポーチは腰につけていられるもので、しかもどれだけ遊びまわっても落として失くすことがないほど頑丈だった。
幼い頃は山を駆け回りある程度大きくなれば集落の男や少年たちに混じって狩りの手伝い。実を言うと何度もポーチを相当汚してしまい母に強請って作り直してもらったりもしたのだが、母は怒ることなくただ元気な私を見て嬉しそうに笑っては解れを直したり、時には一から作り直してくれた。とても、とても優しい母だと、今はよく分かる。
正確な年齢は分からないにしても拾われた当初は恐らく6,7歳だと推定された私は今までの記憶の穴を埋めるように養母と養父、そして集落の皆から様々なものを学び、まっさらな記憶が功を為したのかスポンジのようにすんなりと吸収していった。
何も知らない私は常識から叩き込まれたが、皆が家族のような小さな集落だ。皆が親切にしてくれたおかげで私は大人の心配をよそに呆気なく溶け込んでいった。
今年、私はこの集落の住民となって8年を迎える。
昔の記憶は何一つ覚えていない。それでも私――ユーリアは、毎日楽しく過ごしている。そしてこれからも平凡な人間としてこの集落で、幸せに暮らしていくのだろうと思っていた。
* * * *
悪夢を見ることなんて誰も予想できない。未来を予知するなどもってのほかだ。
外界から隔たれた山奥にある私の世界は、突如悪夢に襲われる。
偶然迷い込んだ魔族に集落の場所を知られたことからその悪夢は始まった。血に飢えていたのか、はたまた魔族の本能として人を滅ぼそうとするものなのか。魔族は同胞や魔物を引き連れ襲撃を行った。
今まで遭遇したことがない上に普段周囲で魔族どころか魔物も見かけることのな辺鄙な村。魔族は動物よりも凶悪で、さらに魔族は知性を持つという程度の知識はあるものの当然ながら対策など知る者は誰も居ない。この村では、倒すための強力な武器や戦闘の腕どころか普段狩りで使う武器ですら魔族や魔物に抗えるだけの力はなかった。
最も近い集落ですら数日がかりでたどり着けるような地で、騒ぎが外部に聞こえることは不可能。村人たちは抵抗するだけの力もない。不運は重なるもので、近くの集落へ助けを求めようとした者達はことごとく殺され戻ることどころか集落へたどり着くことも無く、なんとなくそのことを察しながらも希望を待つことしかできない残った村人たちに対して殺戮は一方的に行われていった。
不運なのか幸運なのかと聞かれれば、間違いなく私は不運に見舞われた。
このとき私は集落から遠く離れ独りで狩りに勤しんでおり、目当ての獲物を狩り終わり集落へ戻った頃には全てが終わっていたのだ。
夕日が血のように集落を赤く染めている。むせ返るような血のにおいと見渡す限り広がる見知った者らの亡骸。
泣きながら私は生存者を探したが日が完全に落ちきる頃にはもう――誰一人生き残りは居ないことと、形跡から魔族に襲われたことを把握してしまった。遭遇したことはない。それでも辺りに漂う瘴気は魔族のものだと聞いたことがあったし、何より動物が行うにしては明らかに形跡がおかしかったのだ。
私の村は、魔族に殺された。
(わたしは、)
落ちていた血まみれの剣を手に取る。一緒に狩りに混ざって時には大人以上の獲物を狩った友人のものだ。
兄のように慕っていた彼は横で事切れていたが、恐怖に染まったまま時を止めた彼を見ていられず目をそらす。
「ユーリアの髪はとても美しいから、手入れを忘れずにきれいに伸ばすのよ」
母が口癖のように言っていた言葉を思い出すが私は髪を掴むと無造作に剣で切り落とした。足元に髪が散らばっていく。それがまるで今までの私への別れの挨拶のようだと感じる。
「ごめん、お母さん。“ユーリア”は今日死にました」
男のように短く切った髪。それは覚悟の印だ。
「今日から私は――オレは、“ユリアン”。男として生きていく」
幼い頃の記憶はもとより無い。私の世界全てであった集落は私を残して皆息絶えた。そして髪を、名を棄てた。このとき確かに“わたし”は世界と共に死んだのだ。
「オレは魔物を狩り、魔族を倒し――魔王を屠る勇者になる」
ばっさりと髪を切り、男物の衣服を身に纏い、強い戦士になるために旅に出る。
何もかもなくした“ユリアン”には、彼らを滅ぼすことこそがただ一つの生きがいとなったのだ。