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輝石と不知火

作者: 椎名枇杷

もともとかなり長かったものを短く再編したものです。

現代文の問題くらいの感覚で読めると思います。

やる気の無い上体を押し上げた。寝違えた首に掌を当てながら、ため息をつく。

煩わしい蝉の声に埋もれて、車の騒音に揉まれて、このまま消えてしまいそうだ。

ベタついた髪の毛をかきあげ、足にかかった黄ばんだ布団を剥いだ。



ひどく喉が渇いている。立ち上がって、冷蔵庫を開けるのさえ億劫であるが、喉の渇きに耐えかねて、ゆっくりと立ち上がった。



冷蔵庫の中で、小さな羽虫が一匹、動かなくなっていた。いつの間に入り込んだのだろうかと疑問を抱きながら、手で払って畳に落とした。外の世界を精神的に遮断している現在の私は、この羽虫のように、人知れず死んで、何の関わりもない他人によって、作業的に処理されるのだろう。飲み干して空になった安い緑茶のペットボトルは、捨てるのが面倒で、冷蔵庫の中に放った。



何もかも無くなってしまった。友達も、夢も、妻と娘さえも。

唯一手に残った仕事は、行う意味をなくしたので捨てようとしたのだが、上司に気を遣われて、精神的な病による休職中となっている。どうやら、私は他人から見ると精神を病んでいるように見えるらしい。死ぬ勇気もないので、惰性でのうのうと生き続けてしまっている。



壁の時計は、十時を指している。

ドライヤーの音をもってしても、あの煩わしい蝉の声は搔き消すことができない。

私がこうして、風呂なんか入り、髪なんか乾かしているのには理由がある。

友達が死んだのだ。

と言っても、名前を聞くまで記憶の片隅にも置いてすらいなかった中学の同級生である。

どうして、葬式の連絡が疎遠な私の元に来たのか不思議でならなかったが、彼が私を、この薄暗い部屋から連れ出してくれる気がして、葬式に行くことを決心した。




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東京から西へ、新幹線で数時間運ばれて、更に普通電車に乗り換えて1時間ほど。

新幹線の窓の景色は大して面白くもなかったけれど、普通電車の、学生時代に毎日眺めた車窓と、懐かしいような縦揺れは、私を閉じ込めていた厚い殻を少しずつ融解させていった。

穏やかになる内心のように、車窓の景色はコンクリートが減り、清々しい新緑に占められていく。

なだらかな斜面に連なった広い茶畑が風を映して揺れる。このまま、この景色のなかに溶けてしまいたい。



音質の悪いスピーカーの声に促されて電車を降りる。相変わらず寂れたホームの、夜の闇の中でひとり置いていかれた自販機は、昨日冷蔵庫の中のにいたものよりも数倍はあるような大粒の羽虫に集られていた。



葬式は翌日なので、夜を明かすのに、駅前の、駅より背の高いビジネスホテルに泊まった。この町は、過去に囚われている私と違って変わろうとしているらしい。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



アラームの音が鳴って、うだうだと体を起こした。昨日寝違えた首がまだ痛むのは歳のせいだろう。そして歳をとったなどと思ったのは地元の空気のせいだろう。東京から持ってきた黒いスーツに袖を通した後、仕事で使っていた紺のネクタイを締めようとしたが、なんだか身に付けたくなかったので、ホテルに備え付けられていたコンビニで新しいものを買った。



斎場に着くと、私がここに呼ばれた理由が分かった。40手前の男性の、若すぎる死に対して、参列者は20数人程度。あまりにも少な過ぎるのである。要するに、彼も私と同じように孤独だった。

画家になる夢を反対した両親と縁を切り、20代の時に先立たれた恋人を忘れられずに結婚はしていなかった。2年前に病気で利き手の自由が奪われ、全て失ったのだ。最期、森の中の、まだ緑色の桜の木で首を吊って死んだ。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



葬式の帰り、式場のある丘の中腹にある、小さな公園に立ち寄った。ちょうど彼が人生に絶望した2年前、私は膵臓癌で父を失った時に、当時4歳の娘を連れてこの公園を訪れたのを覚えている。



オレンジ色の西日に照らされる町を眺めながら、泣いた。嗚咽しながら、泣き崩れた。

死んだ旧友への弔いでも、無邪気に遊ぶ娘の残像が見ているわけでもない。


夕陽に染まる町を見下ろして、この町が幸せで溢れているような気がして、消えてしまいそうだった。


目の前に広がる幸せが、ただただ、羨ましかった。逃げて逃げて、悲しみを、下唇を噛んで堪えて、耳の下の方に涙を貯め続けていた。

西日のオレンジが私の心を決壊させて、下唇が痛むのを、貯めた涙がとうに許容量を超えているのを思い出させた。



きっと、涙が枯れた時、私は空っぽになってしまってるだろうと、空っぽになった私を慰めてくれる人はいないのだと解っている。


しかし、一度悲しみに体を任せると、棒のようになった私の足ではもう自力で立つことはできず、倒れ崩れるしかなかった。


泣いて、泣いて、何も考えられなくなった頃、呼吸が落ち着いた頃、去り際の太陽が、私を心配そうに眺めていた。




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