日常とはとかく退屈で愛おしい日々を言う
現在砂霧達が住んでいるところは少し変わっている。
まず大地に根付いていない。プレートと呼ばれる鋼鉄の円盤の上に町が形成されていて、それが更に8つに区切られている。
分かりやすく例えるならホールケーキを8等分してみて欲しい。その一つ一つが町だと思ってくれたら想像に難くないだろう。
1番街から8番街まであり、個別の名称などはないがそれぞれの特徴に合わせた呼び名で親しまれている。砂霧と紕詠の住んでいるのは5番街。通称【ジャンク街】だ。機械屋が多く住む町で、修理専門店が軒を連ねていることからそう呼ばれている。ガラクタを売っているワケではないのであしからず。そして向かっている先は隣の4番街。【職人街】と呼ばれているその名の通り職人達が多く住む町だ。
類は友を呼ぶ、のかは定かではないが8区画共に似たような者たちが集まってそれぞれ特徴のある町を作り出していた。
そしてこの円盤の最大の特徴としては―――
「お、そろそろ時間か」
店から最短距離で屋根から屋根へと飛び移っていた砂霧は、微かに聞こえた機械音に町と町を隔てる壁まで更に加速した。一番壁まで近い高さの屋根まで駆け上がり、スピードを落とさずそのまま4番街と5番街を繋ぐ外壁へ大きく跳躍。その距離約15メートル。
「よっ………とぉ!!」
些か付き過ぎた勢いをズサァッと両足を開いて殺し落下を防ぐ。
そして響く重低音。
ガコンッ!! ギギギギギィ………
地下で町と町を繋いでいたボルトが解除され、4番街と5番街が切り離される。入れ替えの時間がやって来たのだ。
円盤の最大の特徴、それは2時間置きにランダムで町が入れ替わることだ。更に付け加えるとすれば、常に時計回りにゆっくり回転している。
「ギリギリだったなー」
4番街と5番街が切り離される一歩手前で飛び移った砂霧は、昇っていく4番街の外壁から5番街を見下ろしながら呟いた。逆なら特に問題はないが、目的地が上がる方だとジャンプ力が足りずプレートの隙間に落ちてしまう。そうなったら上がってくるのが非常に面倒臭い。今日はタイミングが良かったと砂霧は顔を綻ばせた。
リプレースの時間を砂霧は気に入っていた。焦らすように時間をかける上昇も、見渡す景色が変わっていく瞬間も、町の中にいると分からないかもしれないがこうして外壁に立っていると心がざわざわと騒ぎ立つのだ。まぁ普通の人間は外壁になんて登れないし、そもそも立ち入り禁止なのだが。
この時間のリプレースは4番街が上方、ここからは見えないが反対側の7番街か3番街辺りが下方移動を始めたようだ。1~8番街が順番に並ぶのは月初めだけ。それ以外は常に入れ替わりどこが隣町になるか分からない。
最初こそこの入れ替えには戸惑うが、慣れればどうってことはない。
移動は円盤の外側を走る地下鉄か、もしくは中央のモノレールがで望む町まで運んでくれる。どちらも通常はぐるぐる回っているのだが乗り方が変わっていて、いつリプレースに当たっても良いように町ごとに車両が決まっている。リプレースの時間に当たった時はリプレースの町行の車両だけ切り離されるのだ。
この円盤内での移動は他に徒歩、各町の中心部にワープ装置もあり(ただし行ける場所は同じ中心部のみ)何なりと手段はある。使い勝手については賛否両論あるが、面白いところだと砂霧も紕詠もここを気に入っていた。
「んじゃ、行きますか」
まだ最高到達点まで辿り着いてはいないが、それを待っていると遅刻しそうだったので、名残惜しさを残しつつも、砂霧はまた屋根伝いに今度は4番街に入ったのだった。
***
職人街は十字型のメインストリートを基準に4区画に分かれている。
明確な取り決めはないので、ざっくり食べ物関係、おもちゃ関係、建築関係、芸術家と言った形で概ね集まっている。
ここの住人は繊細な作業をしている者が殆どなことから砂霧も紕詠もなるべく下道を歩くように心がけている。屋根を駆ける雑音の所為で0.01ミクロンの世界が崩れてどうこう………とか言われても責任を持てないからだ。以前彼らの仕事場の上を猛スピードで駆け抜けた際にひと悶着あってから、98%安全なルート以外は大人しくしておこうと誓ったのだった。そして最後まで彼らが何の職人だったのかは分からないままだった。
―――閑話休題。
今日の砂霧のお客様は、メインストリートから少し西に外れたところにあるおもちゃ工房だった。何をもって西とするのか………町は常に動いているのでホールケーキの先端を北と定めている。その方位基準が正しいかどうかは重要ではない。要は分かればいいのだ。
まぁとにかくその西の外れに目的地はあった。
こぢんまりとした2階建ての丸太小屋は元は廃屋だったものを町の見習い大工衆に直してもらったもので、いくつもある小さな窓の縁には、手のひらサイズのロボットやぬいぐるみがディスプレイされていた。
入口にはカフェメニューと『Welcome』の看板。1階がカフェ兼店舗で2階が工房という【Toy Atelier】―――おもちゃ工房という名の店だ。
「時間ピッタリだな」
砂霧は胸ポケットから懐中時計を取り出し時間を確かめ満足気に微笑んだ。時間はきっちり守らないとすぐ他所に顧客を取られてしまう。只でさえ数少ない顧客を手放すわけにはいかないのだ。
只今の時刻、9時59分57秒。今日はあの負けん気の強いお姫様の品物を届けるんだったよな………依頼書を思い出しながらドアに手を掛ける。
「よぉ、荷物取りに来た………って暗いぞ、お前ら」
カランカランとベルを鳴らし、10時ちょうどに店に入った砂霧は挨拶と共に店内に漂う空気に首を傾げた。
すると中にいた三人の子供が三者三様の表情で一斉に振り向いた。一人は期待に満ちた瞳で、一人は泣きそうに顔を歪ませて、一人は怒りに肩を震わせて。
「どうしたんだ?」
「砂霧ぃ………ごめん~」
「なんだぁ、喧嘩か?」
涙目で勢い良く抱きついてきた小柄な少年を両手で受け止めながら、砂霧はカフェカウンターで苦笑いを零す年長の少年に向かって尋ねた。
「実は………」
これ幸いにと期待に満ちた瞳で年長の少年―――楽慈は事情を説明し始めた。
***
「そりゃお前が悪いよ」
すっかり意気消沈している少年の頭をぽんぽんと叩きながら砂霧は言った。
ぎゅうっと砂霧のお腹に顔を埋めて沈黙を守っていた少年は、事の顛末を聞いた砂霧からの一言に顔上げた。
「………うん」
大きな瞳に涙を浮かべてごめんなさいと俯く。
どうしたもんかと砂霧は深い溜息を吐いたのだった。
このおもちゃ工房は3人の子供たちが営んでいる。
先程から瞳に涙をいっぱいに溜めて砂霧に抱きついているのが11歳の詩音=サクライ。ロボットなどの玩具職人。砂霧と同じ淡い金髪に碧色の瞳の元気いっぱいの男の子。いつもなら。
最年少の10歳、未だ怒りの治まらないエリザベス。愛称リズ。ぬいぐるみや雑貨アクセサリーなどの工芸職人。栗色の髪に抜けるような青の瞳をした可愛らしい女の子だ。いつもなら。
そして楽慈は1階のカフェのマスターでもあり、本職は飴細工職人。最年長の15歳でこの工房のまとめ役。赤銅色の髪と瞳の苦労人だ。ここはいつも通り。
楽慈から掻い摘んで話を聞いたところ、何でも詩音がいつもの調子でエリザベスのオーダー品―――即ち今日これから砂霧が運ぶはずだった商品をそれとは知らず悪戯してしまったと。
未だ怒りが治まらないリズから手渡されたブツを一目見て砂霧は何とも言えない表情を浮かべた。
(これはこれで味があるような気はするが、リズからするとたまったもんじゃねぇよな)
手のひらにちょこんと乗せられたパンダぐるみ(ぬいぐるみ型)の財布。
元はきっと可愛らしい顔をしていたんだろうが、今やサングラスにちょび髭、おまけにカラフルな帽子まで被せられていた。試しにちょび髭を引っ張ってみたところアイロンで接着していた上に、ガッチリ刺繍糸で縫い付けられているではないか。
(ガキの本気の悪戯って何でこう無駄にクオリティが高いのかね………)
得意分野は違うものの、皆それぞれ子供ながらに店を構える程の腕前を持っている。なまじ手先が器用なもんだから悪戯だからと言って侮れない。特に詩音はトラブルメーカーの異名を持っている。いや、実に子供らしい悪戯ではあるのだが。
「で、どーすんだ? そのオーダー確か13時に届けるんだったよな」
「そう、ね。今から急いで作り直さなきゃ」
時間が経つにつれて怒りは収まったようだが、今度は迫りくる現実に顔色が青くなっていた。
胸ポケットの懐中時計で時間を確認した砂霧は少しの間考えて口を開いた。
「あー………今が11時過ぎ。リズ、お前の腕なら1時間半もあればパンダの一つや二つ作れるだろ?」
「たぶん、大丈夫だと思う」
少し不安の残る声音だったが、この職人街で店を構えられる程の腕前を持つ彼女だ。これしきの修羅場は乗り越えられるはずだ。幼くても職人。甘えは許されない。
「じゃあ頑張れ。詩音、お前も手伝ってやれ。12時半までに仕上げろよ? オレもその道のプロとして絶対に間に合わせてやる」
ニヤリと笑ってリズと詩音の頭を撫でる。
本来なら配達先までは2時間は掛かるのだが、行き方を変えれば恐らく30分で行けるはずだ。
「わかった!」
「がんばる」
「よし。いい子だ」
ぐっと拳を握り、腹を決めた二人を見てもう一度頭を撫でてやる。
元来、砂霧は子供が好きではない。特に詩音のような子供らしい子供が苦手だった。それでも砂霧なりに彼らを可愛がっているのには理由がある。
それは彼らが職人としての勤めを果たしているからだ。
見目幼かろうが、店を構え賃金が発生している以上仕事なのだ。100%のパフォーマンスを求められる。数日掛けて仕上げたものを1時間でやり直せと言っても、不安はあれど『出来ない』とは言わなかった。自分の仕事に誇りを持っている証拠だ。やはり職人街の一員として相応しい心を持った人間だと砂霧は内心感心していた。
それならばそれに応えて然るべきだ、そう砂霧は考えていた。同じプロとして、そして大人として。
「じゃ、オレは一旦帰るからまた後でな」
それから―――それからきっかり1時間半後、リズと詩音は肩で息をしながら、2階の工房から駆け下りてきた。
「砂霧っ! できたわ!! 間に合うかしら!?」
「お。出来たか。ごくろーさん」
「二人ともお疲れさま」
「間に合う? だいじょうぶ!?」
息巻く二人とは対照に砂霧と楽慈はのんびりとカフェでラテを飲んでいた。
配達指定時間まで後30分しかないのに余裕すらある妙な落ち着きにリズと詩音が砂霧の両手を掴んでがくがくと揺らす。
「ちょっ! やめろお前ら。ラテが零れる」
「急がないと!!」
「そうだよっ」
「だーいじょーぶだって。依頼主のところまでひとっ飛びで行ってやるよ」
不敵に笑う砂霧に首を傾げる二人。
「お前らに特別見せてやるよ。目ェ瞑ってな」
「え?」
「え?」
「いーから。ホラ」
文句言わずに言うとおりにしろと言われ、渋々目を瞑るリズと詩音。ちなみに楽慈はにっこり笑うだけだ。何が起こるのかさっぱり分からないまま頭に置かれた砂霧の手のひらの温もりだけを感じる。
「よーし。じゃあカウントダウンな。3!」
「二人とも続いて」
砂霧の後を次いで楽慈が言う。
「えっ! 2ーっ!」
「1っ!!」
ぶわっ………!!
カウントダウン終了と同時に巻き上げる熱を持った疾風。
服を、頬を、髪を通り抜けていく。何が起こったのか分からない二人はパッと目を見開いた。だが、そこには既に砂霧はいなかった。いるのはくすくすと笑う楽慈のみ。
「え? ええっ!?」
「ねぇ、砂霧はどこ」
「どこって、リズのお客さんのところだよ」
キョロキョロと辺りを見回す二人がおかしくて仕方ないのか、楽慈は笑みを深くする。
「そんなわけないじゃない! だってついさっきまでここにいたのよ!?」
「砂霧どこ?」
今度は楽慈の両腕をぐいぐいと引っ張る。何が起こったのか理解できない。ただ砂霧が消えてしまった事実だけ。
「オレの魔法すごいだろ? じゃ行ってくるわ。いい子にしてろよ二人とも。そしたら土産の一つや二つ買って来てやるよ」
その時唐突に聞こえたら砂霧の声。けれどどこかいつもと違う。頭上から降るような、もしくは頭の中から聞こえてくるようなそんな響きにリズと詩音は戸惑いを隠せない。
「ちょっとどうなってるのよ砂霧っ」
「どこに行っちゃったの!?」
「まーそれは追々な。でもまぁ、そう簡単に種明かしはする気はないけど」
それを最後に砂霧の声は消えた。
***
「ふっ………ガキども驚いてたなぁ」
ところ変わってとある街道。
猛スピードで砂霧は走っていた。時刻は午後12時50分。残り10分でリズのお客様の家まで着かなければならない。けれど配達先まではあと少し。工房から配達先まではゆうに100キロは離れている。何故そんな距離をものの10分程度で移動できたのか?
それこそが砂霧と紕詠が魔法宅配便と呼ばれる所以。
時代や空間、過去や未来も超えることのできる特別な魔法を使えるからだ。
望む場所の座標を捉え、自身を転移させる稀有な魔法。
「さぁ、早いトコ届けるか」
これが彼らの日常。退屈で愛すべき日々―――