八回目
目が覚めると、安全地帯のセーブポイントの前――ではなく、一番初めにいた黒虎と出会った洞窟へ戻っていた。
その場で屈伸や柔軟をして、体の調子を確かめる。
ふっ、死んで焦ることはもうない。人として死に慣れるというのは正直どうかと思うが、まだまだ死ねる身としては、慣れておいて損は無い。
セーブポイントではなく、ここで復活したのは狙い通りだ。
相手がゲーム制作者として楽しんでいるのなら、こちらはゲーマーとしての知識を総動員させて、対処するのみだ。
セーブポイントというのはかなり便利な機能なのだけれど、そこで記録をするとその前に戻ることができない。セーブを幾つも保存できれば問題は無いが、一つしかデータ保存を許さないゲームの場合、最も気を付けなければいけないことだ。
ボス前でセーブをしてしまったが最後、必須なアイテムやレベルが足りないが為にクリアーが不可能になる、厭らしい仕様のゲームを経験したことがある。そういった場合、ボス前ではセーブをせずに進むのが正解。
俺が生身で挑んでいる今の状況なんて、その最たるものだろう。悪意の塊でしかない初っ端から死ぬことが前提のゲームなら、全てを疑い、念には念を入れるべきだ。
レベルアップを選んだのも、死に戻り前提で考えていた上での消去法だ。死んだら、レベルも巻き戻るのではないかと不安はあるにはあったが、あのガラス板に書いていた一文にこうあった。
――ただし、一度に一つだけしか選べず、その効果は魂に刻まれるので死んでも消えることは無い――
これが内容を信じるのであれば、レベルアップは死んでも消えない。
一度に一つしか選べず、ということは何度も来たら、その度に一つ選ぶことが可能だと読み取ることも出来る。
だったら、セーブポイントは無視してもう一度、黒虎と戦い勝利すれば、また褒美をもらえる。そう考え実行に移したのだが正解を引き当てたようだ。
「まあ、その為には……また、戦って勝たないといけない訳だが」
顔なじみの黒虎の登場に、思わず苦笑いを浮かべてしまう。
ギリギリの戦いを繰り広げた後に、また、命を賭けて同じ相手に挑む。無謀を通り越して馬鹿と呼んで差し支えないだろう。
だけど、これは最後まで生き延びる為に必要なことなのだ。レベルアップの効果は残っている。以前とは比べ物にならないぐらい体が軽い。
油断はするべきじゃないが、前よりか上手くやれるはずだ。
スマホとボールペンという二大武器を握りしめて、全ての準備は整った。
以前と変わらぬように相手に向かって行き、飛び込んできたところにボールペンを刺す。身体能力が倍以上に跳ね上がっている今なら、前よりも楽にこなせる筈だ。
俺が距離を詰めると、黒虎は体を低くする。
よっし、あれは跳びかかる前の予備動作だ。スマホのフラッシュ準備も良し。さあ、いつでも来い!
次の一歩で前回飛び込んできた間合いに入る。よっし、こいやあああっ!
……え、なんで来ない。身をかがめたまま、「グウゥゥゥゥゥッ!」唸り声を出すなんてパターン今までになかったぞ。
あれって警戒しているって事か? 何で今更。前回と変わらない動きをしている筈だ。なのにどうして?
未経験な状況に俺も脚が止まる。今回だけ、何でこんなことになっている。前と何も変わらないだろ。俺だって死に戻っているのだから、何も、何も……いや、変わっているな。レベルアップをしている。
もしかして、褒美にあった黒虎の特殊能力にあった『気配察知』のせいじゃないか?
あの能力は相手の気配というか、強さを知ることも出来るという可能性。ただの思いつきだが間違ってない気がするぞ。
くそ、厄介なことになった。身体能力が以前の倍だとしても、ガチの格闘でこいつを倒せるとは思えない。だが、やるしかないのか。
視力を奪えるのだから、そこからどうにかするしかない。
意を決するというよりも開き直って、相手を見据える。
でかいなやっぱ。だが、もう怖くない、怖くない。もう少し、距離を詰めて……。
二歩前に進み、相手の体が揺れたと感じた瞬間にスマホのシャッターを切った。
「ギャウンッ!」
聞き慣れた悲鳴より早く、俺はボールペンから持ち替えておいた消臭スプレーを黒虎の口へと放り込んだ。
悲鳴を上げ、口を開くことも全て把握済みだ。レベルアップのおかげか、相手の口内に狙い違わず飛び込んでいく消臭スプレー。
がりっと缶を噛み砕いた音がすると、続いて、ぼんっと缶の破裂音が響く。
破裂した勢いで虎の口が開くと、その威力で口内がずたずたに引き裂かれただけでは済まなかった。
「おおおおっ!」
まるで口から火を噴くように黒虎の顔が燃え上がり、地面をのた打ち回っている。
目と口をやられ、全身に引火した炎を消したいのだろうか。体を地面にこすりつけるようにして転がっているが、その動きは次第に弱くなり……暫くすると黒煙を立ち昇らせるだけの、焼死体となった。
ここで油断をせずに、前回と同じく死んでいるかの確認を終える。
発火性が高い体毛だったのか、想像以上に良く燃えてくれた。いや、実際には燃えるとは思っていなかった。爆発とスプレーの中身を吸い込んで苦しむぐらいは考慮していたが、まさかここまで効き目が抜群だとは。
にしても燃えすぎじゃないか? まるで油を撒いたかのような燃え具合だ。俺が知らないだけでスプレー缶っていうのはここまで危険な物なのかもしれない。たまに、それが元で火事になったという話を聞いたことがあるし。
黒虎には若干悪いことをした気もするが、これも弱肉強食の掟だ。俺が生き延びる為の犠牲として諦めてくれ。
今度は黒虎の死体を放置することなく、その脚を掴んで扉の前まで引っ張っていく。
「って、やっぱり尋常じゃない重さだなっ!」
身体能力が上がっている今の状態だから、何とかギリギリ引っ張れるが、レベルアップ前なら微動だにしてないだろうなこれ。
「はぁはぁはぁ、ここに来てから一番疲れたぞ……」
俺は扉を開けるとその中に焼死体ごと入っていく。
傷は癒えるようだが、やはり死体は蘇ることは無く、黒虎は焦げたままだ。
部屋の隅にそっと置いておくと、ガラス板の確認に入る。
触れて浮かんできた文字は一部を除いて前回と全く同じで、褒美の項目も一か所以外は変化が無い。その一か所というのが『一つ、黒虎を倒した経験値を与えることによりレベルが上がり身体能力が向上する』という文章だ。
その文章が完全に消えている。一度選ぶと褒美は消滅するということだ。そこまで甘い設定ではないということか。
そこで、俺は迷うことなく『熱耐性』を選んだ。どう考えても、次のステージに必要な能力はこれ以外考えられない。
そして、隣のガラス板でステータスを確認する。
特殊能力 『根性』3 『熱耐性』1
ライフポイント 92/100
ちゃんと変化しているな。ライフポイントが1下がり、何気に根性が上がっている。
ライフポイントは死亡回数制限と見て間違いないようだ。
左のガラス板の文章をもう一度確認すると、また変更点があった。
一つ、黒虎の特殊能力を一つ、奪うことが出来る。『気配察知』『暗視』『溶解液』『咆哮』となっていて、『熱耐性』が消えている。
「よしよしよし!」
思わず顔がにやけてしまう。
死を受け入れ、黒虎との死闘を毎回行うことを覚悟すれば、こうやって相手の特殊能力を一つずつ得ることが出来る。
身体能力が上がってからの必勝パターンも今回の戦いで成立した。細かいミスをしない限り、ほぼ勝ちは確定だろう。
「ただ、脱水症状で死ぬことが前提だがな……」
当たり前だが死にたくはない。正しい攻略方法としては最低でもあと6回死んで、全ての特殊能力を得てからライフポイントの回復、そして現状の説明を聞くべきなのだろう。
その為には、あの苦しみを何度も何度も経験しなければならない。
「ふざけるなよ。本当は……死ぬのに慣れるわけないだろ……」
命が失われる瞬間の全てが闇に包まれ全身から熱が抜けていく感覚。
何度も経験して、死に慣れてきたなんて思いこむようにしてきたが、そんなわけがない。
情けない。少し余裕が出てきた途端、死の恐怖が押し寄せてきた。
もう8回も死んでいるのにな。
出来ることなら、次のステージは死なずに一発クリアーしたい。いや、既に一度死んでいるが。
セーブをしたい誘惑にかられるが、ダメだ、まだダメだ。何とか耐えると、俺は水分補給を充分にしてから、スーツを水浸しにする。
少し動きにくいが、生き抜くためには必要なことだ。
「うだうだしていても、しょうがないよな。腹を括れ!」
俺は黒虎の死体を引っ張りながら扉から出ていく。焼死体が全て扉の外に出ると、両開きの扉が勝手に閉まった。
前回よりも熱さがかなり和らいでいるように感じる。暑いのはかなり暑いのだが、これならさっきよりも確実に長時間耐えられそうだ。
持ってきた黒虎の死体を道の外に押し出すと、その体が瞬く間に炭となる。
やっぱり、生身の体で外に飛び出したら、あっという間に死ぬな。
「これ以上は時間の無駄だ、いこう!」
今度は慎重に歩くことなく、かなりの速度で走っている。体力も倍増どころか『根性』の効果も加えると三倍に跳ね上がっているので、前回とは比べ物にならないぐらい耐えられる……予定だ!
「良い調子だ、うんうん、いける、これはいける!」
スーツに含ませた水分を吸い取りながら、がむしゃらに駆けていく。
暑さのせいで体力がかなり消耗しているのがわかる。でも、まだいける。まだ、大丈夫。前回より倍以上はもっているぞ。
このまま、このまま、このステージを乗り越えてやる。
呼吸が苦しいが、肺が焼けるようだが、耐えろ。
足を止めるということは=死だ。
目が霞もうが、喉が枯れようが、皮膚がひび割れようが。
まだ、まだ、まだ、まだ、歩け……。




