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結局、生活は何も変わらないということで話がまとまった夕食も終わり、クレエが節目の日だからと出してきたワインで乾杯することとなった。元王族と貴族で暮らしているからといって下野している以上あんまり贅沢な生活ができるわけではない。こういった嗜好品を楽しむことができるのはせいぜい月に一度くらいである。
「って、このワインどこで買ってきたんだ!?」
ワイングラスに注ぎ終えて机の上に置かれた瓶に被せられたラベルを見ると、とてもそこらの市場で売られている代物ではなくそれこそ貴族御用達の逸品であった。そもそも安物のワインにはラベルなんて上等なものはない。
目の前の女を軽く睨むと、ペロッと一瞬舌を出して、悪びれる様子もなく言った
「家を出てくる時にくすねて来ちゃってたんですよ」
なるほどな。確かにエクエス家のセラーには大陸中の無駄に高いワインが揃っていた覚えがある。
城にも国中のワインがあったがあれは献上品だし、そもそも父上は酒を接待の時以外飲まなかったからな。
「俺はワインの味の違いなんてわからんし、そんなことなら地方領主やらにでもこれを売ってたくさん安いのを買えばよかったな」
「ダメですよ。私が飲みたかったんですから」
さいですか。蛙の子は蛙というが、きちんとエクエス公爵の酒道楽の血が流れていたわけだ。
「それにこのワインは潰れることなく気持ちよくなれるって評判なんですよ?」
蕩けるような目付きで彼女はこちらに流し目を送ってくる。まだ二、三口しか飲んでいないのにもう酔いが回ってきたのだろうか。決して彼女は酒に弱くはなかったと思うが……。
「高い酒は悪酔いすると聞くがな」
その目付きに少し鼓動が早くなった俺は軽く目をそらして言った。その反応が気に入らなかったのかちょっと口をヘの字にして杯を煽った。
「しかしもう酔ったのなら困るな。少し大事な話をしようと思っていたのだが」
「え……大事な話、ですか? 大丈夫です。酔ってはいません」
聞き返した後、姿勢を正して目付きまでキリッとさせたクレエにひょっとしてさっきまでのは演技だったのかと聞きたくなったが、どうやら頭ははっきりしているようなので気にせずに話を始めることにした。
「クレエのこれからについては話しただろう? それでお前は俺についてくるという話だから、俺がこれからどうしたいかについて話そうと思うんだ」
「なにかあるのですか?」
その直球な聞き方にそこまではっきりとした計画があるわけではなかった俺は少し言いづらくなってしまって少し口を濁す。
「そんなはっきりしたものがある訳じゃないんだが……」
「大丈夫ですよ。『なんかでっかいことがやりたい』くらいの曖昧さでもすぐさま具体案を出して差し上げましょう」
苦笑。
それについていくっていうのは滅私奉公が過ぎるな。
こうやって自分の希望を言うというのは今まで王子であった時も、バタバタと忙しなかったこの一年間もまるでなかった。ただ、状況に流されてきただけの俺がやりたいことはたったの二つしかなかった。一つはもう叶った。そしてもう一つは――
ふと気づくと自分が目を伏せて顔をしかめていることに気づいた。ゆっくりと面をあげればクレエが優しい目でこちらを見ていることにも気づく。
まったく、いつまで子供扱いなんだか。
軽く息を吐いて、切り出す。
「実は、ずっと気になっていたことがあるんだ」
「気になっていたことですか」
「ああ、実は昔北塔の爺からある伝説を聞いたことがあってな」
「北塔のって言うと『大陸の生き字引』って呼ばれる、かのメシス翁ですか。戯曲時代から生きてるって噂ですけど……いくらハイエルフだからって四百年ってことはないですよね」
「いや、戯曲時代から生きていると俺は信じている。その頃のことを知らないから確かめることはできないが、少なくとも信じる気になるくらいの話は聞かされた」
「どんな話をされたんですか?」
「……四百年前の開拓民が作った街は現代のどの国より清潔で、治安が良かったらしい」
「それは……おかしくないですか? 国ができて法が作られた後より前の方が治安がいいだなんて」
俺だって同じことを思ったさ。明らかに、どう考えてもそれはおかしい。しかもその頃の街を占めていたのは無法者で荒くれ者、弱肉強食の大地を切り開いていく開拓民だ。そんなやつらが寄り集まった街が今の整備され、統治された国より治安がいいなんてまるで理屈が通らない。
「さらにこうも言っていた。新しく国ができる度に段階的に無法者は多くなり、改めてそれを統治することによって現在の状態は成された、と」
「『国ができる度に無法者が増える』? それじゃあまるで開拓民と市民が別の人種みたいじゃないですか! 開拓民が土地を切り開いているのに!? そんなのでたらめですよ!」
明らかに筋が通らない話にクレエは混乱し始めていた。しかしこの話がでたらめである場合、また筋が通らないことが起きる。
「でも、そんな嘘をつく理由はないんだ。その時代のことを知らない人間は想像するしかない。だがこんな想像は余りにも突拍子がなすぎる、信憑性が皆無なんだ」
「…………」
俺がこの話を聞いたときにあの喰えないエルフ爺を信じる気になった根拠を言うと、クレエはたっぷり十数秒黙ってから、腑に落ちない顔をして口を開く。
「確かに、信じさせようという気があったならそんな嘘はつきませんね」
どうやらとりあえず理解はしてくれたらしい。「納得はできませんけど」と付け加えられてしまったが、まあいい。
「だから俺は知りたい。その時代のことが知りたい。どうしてそんなことが起きたのか。どうやったらそうなるのか。嘘だったならそれでもいい。とにかく納得できる答えが知りたいんだ」
俺が積年の思いを込めて言うと彼女はどこか嬉しそうな顔をして、しかし残念そうな顔をして、眉根を寄せた。
「しかし、戯曲時代のことは学者さんがどれだけ調べてもわからなかったんでしょう? それを専門違いの陛下が見つけようというのは些か無理があるのではないでしょうか」
当然思うことだ。勿論俺だって無策に、なにも考えずにこの話をしたわけではない。
「一つ、俺にしかできないことがあるんだ」 それは、王子なんていう誰にでもできることじゃなくて、始祖の血を引いた中でも俺にしかできないこと。