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黙々と進んだ夕食の準備が終わると、当然ながら食事の時間となった。
いつも通りの二人だけの食卓である。
清掃員を呼びに行くついでに買い物も済ませていたクレエは、どうやらあの惨状を見たあとに肉も魚も食べたくないと思ったようで、夕食のメニューはくるみパンとジャガイモだけのコロッケ、それにキャベツのスープだった。ジャガイモを蒸して潰して揚げるという工程はそれなりに時間がかかっていて、食べ始める頃には既に冬の太陽は姿を隠していた。
食事のときくらいは明るくしようとテーブルの上の天井から釣り下がっている燭台に魔力を流し込み、火を点ける。
二人とも空腹が限界に近くなっていたので、食事の挨拶を終えた後はほとんど何も話すことなく目の前の食料に集中する。しばらくして、落ち着いた頃合になったところでクレエが話しかけてきた。
「そういえば、さっきはなにを叫んでいたのですか?」
最後に、挙動不審なのはいつものことですけど、と付け加える。
こちらもいつものことながら、一言多い。
確かにそうだな。ここで話とくのがいいだろう。
「今日で正式に父上が死んだこととなったわけだから王子の重責から逃れられたことの自由を叫んでいた」
「ああ、陛下はずっと王になんかなりたくないと仰ってましたね」
王位継承者になってからずっとな。だが、それも今日で終わりだ。
そして、
「クレエ、お前が俺に仕えるのも今日で終わりだ。お前も自由の身なんだ」
彼女に解雇を告げる。正確にはもうずっと給金が払われていなかったのだから雇っているわけではなかったが、それでも彼女が俺に仕えて、奉仕してくれていたことは事実なのだ。
それも終わり。完全に終了だ。
「それは、私は解雇という意味ですか?」
「まあ平たく言ってしまえばそういうことになる。元々給料なんか払ってなかったんだが……まあそれでも今日みたいに俺を狙う暗殺者に対処したり、俺のためにご飯を作ったり、こうやってわざわざ一緒の家に住んだり、そういうことはもうしなくていいってことだ」
そういうと彼女は大きなため息をついてから、小さく「まったく」と呟き声を上げる。
「それは」
まるでテーブルの向かい側にいる人間を恫喝するかのように大きく、威嚇的な声であったがその顔は怒り半分、呆れ半分といった表情をしていた。
「もうしてはいけないってことですか?」
「いや、そういう話をしてるんじゃなくて、俺なんかにわざわざ義理立てなくていいってことで――」
その声色に少し怖くなった俺が少し控えめにした返答は、その顔を怒りに染めたクレエの罵声に遮られた。
「バカじゃないんですか!」
「なんでバカとまで言われなくちゃ――」
同じように遮られる。
「私が、義理立てなんてくだらないもので一年も仕えていたと思ってたんですか! 本気で思ってるんだったら頭おかしいですよ!」
怒鳴りながら椅子を蹴倒さんばかりに立ち上がり、更に続けていく。
「うら若き乙女が、淑女が、貴重な一年をそんな事に使うわけないでしょう!」
「それでも生まれる前から決まっていたからした――」
三度目。
本当にもう聞いてられないと言わんばかりに俺の台詞に声を重ねてくる。
「わかんない人ですね! やりたいからやってたの!
あんたを守ってたのも、あんたの飯を作ってやってたのも、あんたの部屋を掃除してやってたのも、あんたの行く場所についていってたのも、あんたと一緒に住んでたのも全部!
大体、私がそういうしがらみなんか気にする性質だって本気で思ってたわけ!?」
「…………」
とうとう口調まで素に戻ったクレエの怒鳴り声にもはや俺は言葉を失っていた。萎縮してしまっていたのではなく、その怒鳴り声とその口調に懐かしさを覚えていたのだ。優に七年越しの懐かしさだ。それこそ兄さんがいなくなってからずっと聞いていない。
そして、同時に昔の彼女がどれだけお転婆で、破天荒で、俺を振り回したかを思い出したのだ。
確かにそんな事を気にする人じゃなかった。
そう、俺が実感している間に我に返ったのか、彼女は顔を真っ赤にして立ったまま俯いていた。それから、俺が座ったまま見上げていることに気づいてすとん、と椅子に座りなおした。
ノスタルジックな思いに襲われた俺は、また、悪戯心を覗かせて懐かしい呼び方をしてみる。
「クレエ姉」
驚いた彼女は大きな碧の瞳を余すところ無く見せ付ける。それからさっきとは別種の恥ずかしさに見舞われて座ったままそっぽを向く。
「今までやりたいからやっていたということはよくわかった。じゃあこれからはどうしたい?」
クレエ(正直あの呼び方はこっちも恥ずかしい)はそっぽを向いたまま、ボソッと「生意気になっちゃって」と文句を口に上らせる。少しの間が空いて、椅子を引き、姿勢を正した彼女は俺と目を合わせて宣言した。
「貴方について行きます。例えもう王家でなくなったとしても、私は陛下に身を捧げると誓ったエクエス家の騎士なのですから」
きっぱりとそう言い放った彼女の姿に少しの間魅せられて、なんと言えばいいか分からなくなった俺はついついいつも通りの、いまさらな口上を述べる。
「だから、陛下と呼ぶなと。俺はもう王でもなんでもないんだ」
「でしたら、なんとお呼びすれば?」
その問いにだったら答えられる。彼女の姿に茹ってしまった頭でも安心して。
「名前で呼べばいい。俺の名前はレンネ・フィセルなんだから、レンネと」
「レンネ、レンネですか……」
簡単に、昔はずっとそう呼んでいたはずなのだけれど彼女は俺の名を何度か口にするとなぜか居心地の悪そうな顔をして、なんだか予想が外れたような戸惑いを見せた。
「……やっぱり、陛下にしときますね」