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「あれからもう一年か……」
俺がそう呟くと、ずっと黙って隣にいてくれたクレエもそれに同調する。
「そうですね。あの卑怯な連中が一年も生き長らえているのですか」
訂正。微妙に同調できていなかった。
「卑怯って話でクレエの右に出るやつはいないんじゃあ……」
「私は病人を攻撃は致しません。私には私なりの美学があるんです」
彼女のように今回のクーデターの首謀者を卑怯だと非難するものは意外に多い。そもそもあの狸親父は景気の動きを読むことに関しては神がかり的な能力を持っていて、様々な品に投機するなどの経済政策行った。その結果、ここ十年ほどでこの国の経済は随分と活性化したという話だ。さすれば当然支持するものは多くなる。
それだけでは無く、クーデターを起こした現国王の彼らがおとぎ話でお馴染みの魔王に挑む勇者さながらに徒党を組んで、伝説の剣を携えて、城の兵士を倒して、乗り込んできたということはあまりにも有名だ。それに対し、父上は半年近く臥せっていたにも関わらず、信じられないことに代理を出さずに勇者御一行を相手に単身挑んだのだ。それに、それだけならまだよいのだが、なんと、国王を打ち倒して新たに国を治めようという地位に着いたのは勇者御一行の誰でもなく、彼らパーティのパトロンである侯爵閣下様だったのだ。一応代理人として派遣されたということになっていたらしいのだが、しかし、誓約書にサインする以外表に出てこないというのはいくらなんでも卑怯すぎるだろう。恐らくは負けた場合を考えた、保身の為の保険だったのだろうということは想像がついてしまう。まあ、確かにあのパーティの中には誰も政治なんてできそうな人間はいなかったから少しおかしいとは思ったのは事実だから仕方ないのかもしれない。少なくとも彼らが王になるよりはマシだろう。
そうしたことから国民の非難の声は根強い。俺としては病人が戦おうとしたことも非難してほしいのだが……。
「奴らも代理を出される前提だったろうとは思うがな。おそらくあの『加速』の剣は国一番と名高いお前のために用意したものだろうし」
「それはまた光栄な話ですね。しかし、あんなものを用意されたら決闘で勝てる人間なんかいないでしょうに」
「暗に決闘で無ければ勝てるといっている気がするな……」
「それは否定しませんけれど」
伝説の剣相手に手段を選ばなければ勝てるというとは、なんとも恐ろしい女である。
欠点というものがほとんど無く、からかい甲斐のないクレエのある種欠点とも呼べる事柄に対し、俺は少し悪戯心を出してみた。
「そんな女と暮らしているっていうのがいまさらながらに怖くなってきたぞ。別居を検討すべきか?」
しかしそんな俺の心中を知ってか知らずか、即座に反撃を仕掛けてくるクレエ。
「女性でも連れ込むんですか?」
「なっ……なぜそうなる!?」
「陛下のことですからそれを口実に追い出したいのかと思いまして」
「そんなはずあるか!」
まるで冗談のようには見えない様子でしれっと言う彼女はひょっとしたら本気で言っているんじゃないかと思わせる。こういう食えないところは昔から変わっていないなとすこし懐かしさを感じた。
エクエス家というのは始祖の妃の性質を受け継がんとする一族で、代々フィセル王室の近衛騎士になってきた歴史を持つ。 始祖の妃は伝承によると双剣を携え、数々の暗器を隠し持ったトリックスター的な開拓民だったらしい。その上近衛騎士としての能力も求められたため、蛇の道は蛇とでもいったのか、エクエス家は暗殺者を討つ為に暗殺の方法を極めていった。
元々、妃を継ごうという一族であったのでもちろん女系の一族で、そんな一族の次女として生まれた彼女――クレエ・エクエスは女性ながらも俺の、つまりは王室の世話係兼護衛の騎士となることが生まれる前から決まっていたらしい。クレエは俺の三つ年上なので、小さいころから本当の姉のように過ごしていた。
そんな彼女だから、もう俺が王子でなくなって仕える必要がなくなったのにも拘らず、一緒についてきてくれたのだろう。小さいころも俺が困ったときは「しょうがないわね」なんて言って、助けてくれたものだ。
それにしたってもう俺も十八になったというのにどうにも弟扱いは抜けていない気がする。言葉遣いこそ丁寧なものに変わったが敬意は微塵も感じられないし(畏まられても困るが)、なにかといえばさっきのような話題を振ってくるし、さらには野に下った際に同居することを決めたのも彼女だった覚えがある。
実際、どのように思っているのだろうか。主にしてはさっきのとおり敬意はない。かといって完全に弟扱いかというと違うだろう。明らかに昔とは態度が違うというのはやはり単純に成長したからだろうか。
そういう悶々とした気持ちを込めて顔を上げると、またもいきなり黙った俺をさびしげな表情で見つめていたクレエと目が合う。考えていたことが考えていたことだった俺は大いに戸惑い、とりあえず口を開こうとした。しかし、俺の喉が震えるより前に、遮るように、クレエは問いかけてきた。
「陛下は、私のことをどのように思っておられるのですか?」
俺が考えていたことをそのまま言い当てたような問いかけだった。しかし、決して俺の心中を言ったのではないと確信できるほど、思いつめた表情であった。しかしながら確信があったところで答えられるような質問ではなく、とっさに上手い言葉の見つからなかった俺は彼女の思いに言い淀んでしまう。
「……陛下……」
クレエは少し恥ずかしそうにしながらも視線を落とさずに、一歩、また一歩と俺に近づいてくる。もう靴の先が触れ合ってしまうくらいまで近づいたところで彼女は止まり、俺を見上げた。俺とクレエの身長差は頭半分ほどであるが、少し顔を傾けていたので、彼女は少し上目遣いになってこちらを見ることになっていた。それから、何度か二人の吐息が交じりあう程の間が空いて、彼女は俺の胸に左手を這わせてくる。
「……ぁ……」
胸をつたう感触に俺は思わずうめき声を上げる。そして、目が合っていることに気恥ずかしさを覚えた俺は思わずクレエの体に視線を逃がしてしまった。その先にあった、彼女の今までの頼もしさや大きな態度に似つかわしくない華奢な肩や小さな背中を見て、俺は全身に熱を持った血流が巡るのを感じる。
まずい。
そう思ったのもつかの間、彼女の手は胸を撫でながら、脇を通って背中にまでまわっていった。同時に、一歩彼女が近づく。
「陛下がお望みでしたら、私は……」
その声に俺は最後にかかっていた心のストッパーが外れかけているのを知る。
「クレエ……」
背中を彼女の人差し指がくすぐるのを感じながら俺は、この手であの華奢な肩を掴もうとして――
一瞬、背後でキンと澄んだ音が鳴ったと同時に、視界を火炎が彩り、轟音が全身を揺らす。
驚きに顔を上げ、後ずさった俺の目に爆発に吹き飛ばされた二人の人間が入ってきた。一人は明らかに指があったはずの場所を庇うように押さえ、また一人は赤く、炎によって焼けたようになっている顔に手をやっている。指を飛ばされてしまった者は顔を隠すように目以外を覆う布を巻いていて、よく見れば似たような布の切れ端がもう一人の男の顔の火傷以外の部分に無残にも引っかかっていた。
俺がその姿に腰の剣を抜こうと柄に手をかけたと同時に、視界の端から何かが飛び、二人の首筋に綺麗に突き刺さった。
ナイフ。
飛んできた原因を見やると、クレエが右手を振りぬき、左手をマントの中の何かにかけた姿が見えた。どうやらクレエは背後で起きた爆発に驚くことなく振り返り、俺が状況を認識している間にマントの中から二本のナイフを取り出し、投げつけたようだ。
おそらく、彼女は先の彼らの存在に気づき、それを排除するためにさっきの行動を行ったのだ。そしてまんまと誘き出された彼らに、俺の背中で隠した手で描いた魔法陣によって、【爆炎】の魔術をお見舞いしたわけだ。
二人はそのまま意識を失い、倒れた。
それを見て警戒を解いたクレエはこちらを向き直る。
「陛下、お怪我はありませんか?」
「あるわけないだろう。あいつらは爆発に巻き込まれてから近づいていないし、爆発の余波を受けないようにお前はそこにいたんだろうからな」
その声に含まれた少しの棘に気づいたようだが何も言わない彼女に、俺は続ける。
「クレエ、お前、さっきのは――」
そこまで言って、俺はそれが彼女を責める言葉であることとそれが筋違いであることに気がついて、口をつぐむ。
「では、墓参もすんだことですし家に帰りましょう」
死体に突き立ったナイフを抜き取ってもとあった場所にしまったクレエは、いつもよりも格段に優しい声で言った。それから、俺の顔を見ることなく、白馬に乗った騎士がお姫様にするように、優しく俺の手をとった。
「ごめんなさい」
そして、歩き出す。
その言葉と手のぬくもりにどこか釈然としない思いを抱えながら、俺達の家へ。