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冬の海、というのは少し寂しい印象を受ける。特に今日のような曇りの日はなおさらそれが強くなる。単純に空の色に合わせて変色した灰色の海面がいつもの青に比べて爽やかさに欠けるというだけなのだが。
しかしよくもまあこんな寂れた場所で眠っているものだと感心してしまう。
切り立った崖の上。遮るものの無い中で強く吹き付ける潮風のせいで草木一本すら生えていない岩石質な大地に立つ、孤独な墓石。刻まれた名は『レオンハルト・フィセル』――俺の父親だ。
随分と仰々しい名前ではあるが慣習に基づいた名付けであったし、ついでに言えば苗字はご先祖から伝わったものだ。俺から言わせてもらえば『獅子の果敢』というのはあの意味もなく偉そうで傲慢なクソ親父にとってはぴったりな名前だったろう。
「偉そうだったとか傲慢だったとか金に汚かったとかセクハラ野郎だったとかあんまり故人を悪く言うのはダメですよ」
注意のように言いながら俺の倍ぐらい悪口を言っている。いくら死人に口無しといっても墓前でそこまで言うものじゃないだろう……。
「背後から忍び寄るな人の心を読むなと何度いったらわかるんだ、クレエ」
いつも通りに気づかないうちに忍び寄られた俺は暗殺者か忍者のように近づいてきた俺の騎士に文句を言った。
俺の専属の騎士兼世話係として仕えている彼女の名はクレエ・エクエスという。貴族らしく長く透き通るような金髪を頭の後ろで括り、臣下のくせにあまり尊敬を感じられない視線を宝石のように光を反射させる青い瞳から発している。とはいえ、ある理由でもう給金は払われていない上に俺は公爵家次女である彼女の仕えるべき家柄では無くなってしまったのだから彼女が俺に仕える理由はないのだ。
「忍び寄るなとはエクエス家の騎士に酷な事を仰りますね……というか本職の暗殺者に狙われている身なのですからこのくらいは気づいていただけませんと」
「むっ……それとこれとは話が別だ! 大体、いつもいつも気づかないのをいいことに勝手に部屋に入ったり引き出しを漁ったり、いくら一つ屋根の下で暮らしているとはいえプライバシーってものがな――」
「疚しいことやいかがわしいことをしている陛下がいけないんです。そもそもいくら思春期の男の子だからって一つ屋根の下に私がいる状況でサキュバスなんか喚ぼうとしないでください」
「あれは! ……別に……そういうことをしようとしたわけではなくてだな……純粋な学術的見地から……」
「なんで魔術のこととなるとあんなに頭いいのにそんな言い訳が通用すると思うんですか……」
明らかに呆れた顔と声で俺を責める自称家臣。ていうかそんな黒歴史を持ってこないでくれ……正直聞いているのが辛い。
「うるさい! あと陛下と呼ぶな! 俺はそんな立場にはない!」
「私はあんな方法で王になったものを王とは認めたくありません。かの獅子王がお隠れになったのでしたら正当な継承者は陛下、あなたです」
クレエが給金を払われていない理由、俺の家柄がもう騎士が仕えるようなものでなくなってしまった理由、そしてクレエが今俺に仕えている理由、その全てがある一つの事柄に収束する。
それを説明するためにはまず舞台設定から話さなくてはいけないだろう。
大陸の西南の果て、南には海上の島々を纏め上げた『アイスカリア連合王国』の一部があり、東には民衆の手によって作られた『ラグー共和国』、北にはあらゆる王の王と豪語するパンチェツ帝王を元首とする『プロシュート帝国』、という場所に俺たちの国――『フィセル王国』は位置している。三方を大国に囲まれながらもこの小国が生き長らえてきたのは単にその国境にそびえ立つ高い山々のお陰であろう。特に北側、東側は夏以外は雪に閉ざされるほどの大山で、現在俺たちフィセル国民が住んでいるこの盆地は四百年前にフィセルの始祖が『開拓』するまで、魔物の巣窟になっていたと、この国の正史である『真祖伝』には書かれている。始祖とその一行が魔物を一掃することによって人が移り住んできたことがフィセル王国の始まりらしい。
周りに大国が(当時はアイスカリアもラグーも無く、帝国も別の名前だったらしいが)あるなかで秘境に住むような人間は開拓民か亡命者くらいなもので、そんな荒くれもの、厄介者を束ね、国になるほどに大きくしたものが始祖であり、始祖の力だったそうだ。
少しずれるが始祖の話をしよう。
如何せん、『戯曲時代』と呼ばれる時代――戯曲時代の呼び名の由来は「戯曲によって現在まで歴史が伝わっているから」というものや「戯曲のような作り話に聞こえるくらいのことが日常茶飯事に起きていた時代だったから」等、諸説ある――から伝わる伝説なので定かではないが、始祖は『かの障壁は何人にも破れず、一度火球を放てば森を焼き尽す。手にはあらゆる盾を破る闇の槍と大地を抉る光の刃を携え、戦となれば異界から一騎当万の悪魔を召喚せしめる』とされ、さらに別の話では『魔王』と呼ばれる程の力を持つ人間だったそうだ。まさに『戯曲時代』である。
そんな始祖は生粋のエルフで魔法陣や魔道具を開発するのが好きだったらしく、当時はあまり盛んでなかった魔術の開発を奨励した。そのため、フィセル王国では今に至るまで魔術が盛んな国だ。毎日のように新しい魔術が開発され消えていく、魔術の最先端をいく国なのである。また、始祖も含めて歴代の王には何人かエルフを発現したものがいるため(エルフ等の亜人の遺伝子を引くものは例え何代隔てても完全な亜人形質を発現するものが出る。かくいう俺も発現した一人だ)、フィセルは亜人が多い国でもある。そして、前述の通り山に囲まれているため他国の干渉を受けづらく、亡命してくるものも多い。一部の人間から疎まれ、迫害されている亜人や禁忌指定された魔術を持ち込む研究者に他国から追われる亡命者、そういった『ワケあり』にとって住みやすい国なのだ。もちろん、そういった方針も国にとって利があるからやっているわけで、最新鋭の魔術兵器や亡命者が握っていた秘密やらを外交上の武器として大国と渡り合っているわけである。
しかし、そんな曲者ばかりの国を纏めるには力が必要だ。始祖はそれだけの力を持っていた。だが、子孫が同様の力を備えていくかどうかはわからない。だから始祖はある決まりを作ったのだ。国王すらも縛られる『憲法』という名の法を。
長々と舞台設定について話してきたがここでようやく本題に入れる。俺の家が没落し、クレエが職を失い、そして父上が死んだ理由。
『王は最強の者がなるとする』。ペラ紙一枚に一行書いてあるだけだが、これが国を治める王すらも遵守せねばならない決まりだ。正確には王の決め方についてのものだから王が守ることはないのだが。
ちなみに、これだけではあんまりだと思ったのか詳細な内容が晩年、始祖によって定められている。具体的には「王は基本的に世襲とするが、国民が国王に『決闘』を申し込み、国王がこれに負けた場合は王の座を勝者に譲り渡すものとする。国王はこの『決闘』を拒否、禁止することはできない。但し、病身である場合、3ヶ月以内に決闘が行われている場合のみ、代理人を出すことができる。この『決闘』は貴族の間で慣習的に行われてきた決闘とは別物であり、お互いの力を見せることを目的とする。また、家臣は王に仕えるのではなく国に仕えるものとする」とされる。
この決闘が行われたのはフィセル四百年の歴史の中で三度だけとされ、そのどれもが挑戦者側の勝利で終わっている。二百年程前に王家は一度倒され、その二代後に返り咲いた。そして三度目は去年の冬――一年前の今日だ。
その日、俺の父親であり、フィセル王国国王であるレオンハルト・フィセルは決闘の末に殺された。