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アイのユメ

「まず、僕たちはこの垣根の後ろに隠れんねん。太田先生がよそ見してる隙に、さっと。これさえできれば先生の死角になるから。今すぐやろ。」

ヤッキがちらりと10メートル先にいる先生の方を見た。幸い、先生は敷地の奥の方を見渡していて、こっちを向く気配はない。しかも、のうのうとタバコを吸ってる。…林間とはいえ、勤務中なのにね。

「よしっ、今や、俺から入るから、ついてきて。」

ヤッキは、小柄な体型を活かしてするりと垣根をくぐり抜けた。そのすぐ後に、アイちゃん、私、そしてしずかちゃんが入る。ガサガサと音が鳴って、一瞬気付かれるかなと思ったけど、太田先生の怒鳴り声は聞こえてこなかった。ひとまず成功!

「もうちょっとしたらタッキーが生島を連れてここまで来る。まあ、おそらく生島の子分の何人かは来るやろ。『いきものがかりがおる』って言ってるはずやから。で、太田先生が見張ってることも何も知らん生島らは、のこのこ境界線を越える。そしたら、太田先生が怒鳴りながら生島らを捕まえ、連れて行く。その隙に僕たちが走って敷地を出る。」

ヤッキが説明した。うん、オッケー!

「じゃあ、あとはタッキーが来るのを待つだけ、よね?」

しずかちゃんの言葉に、みんなもうなずいた。タッキー、がんばれ!

「でもちょっと遅いな…、あと休み時間20分。」

20分…!?でも、大丈夫。大丈夫だよ!そう言い聞かせるしかなかった。

「ほっ、来た来た」

ヤッキが小声でそう言った。ほんとだ。タッキーの横にリオン、その後ろにヤヨとさなちゃん…って、リオングループのメンバー全員揃ってるんじゃん…。

「ほい、あっちやで。まだ多分LIVEしてると思う。」

タッキーが、めんどくさそうに境界線の向こうを指差した。リオンたちは、「きゃーっ!」と叫びながら、走り出し…

「おい!そこ!」

やった!作戦成功っ!太田先生が、リオンたちの方に近づいていく。一番後ろにいたトッポが、「あれ、タッキーは…」と辺りをキョロキョロ見回す。

「タッキーは?」

しずかちゃんが訊いた。

「あー、多分、そこらへんの垣根の後ろに隠れてると思う。」

ヤッキがクスクス笑う。

「こっち来い!西村先生も交えてしっかり反省してもらうで!」

やった!太田先生が、しゅんとしてるリオンたちを引き連れて、合宿広場の奥の方に消えた。

「今やっ!」

ヤッキがそう言って、私たちは走り出した。境界線を軽々超える。

「タッキー!」

どこかの垣根に隠れていたタッキーも合流した。よし!

風が、びゅうびゅう吹いている。あいにく向かい風だけど…、その風も気持ちいい気がした。

「暁月、夕陽、霧谷、いける?」

ちょっと前を走るヤッキが私たちの方を振り返った。意外と優しいじゃん、ヤッキ。

「大丈夫でーす!」

アイちゃんがキラキラの笑顔でそう言う。

「おっけー!」

しずかちゃんも、楽しそうにそう言う。

「うん!」

私も、楽しくなってきちゃったな。スピード上げちゃお!

「ユ、ユメ、速いよぉ!」

楽しい!楽しい!この林間で一番楽しい!

「もうすぐ着くで!」

合宿所から伸びるあぜ道は、ホテルの玄関とつながっている。そのホテルの隣に音楽館はあるから…

「みんな、右よーっ!」

アイちゃんが叫んだ。一番前を走っているタッキーとヤッキが右に曲がる。

「あっ!」

ベルサイユの宮殿が、視界に飛び込んだ。早く、あの中に入りたい!

ラーー…ラーー…。

チューニングだ。金管楽器のチューニングをする音が、しっかり聴こえた。やっと、来たんだ。ベルサイユ音楽館に!

私たちは、音楽館の大きな扉の前で止まった。建物を見上げると、ギリシャ数字の時計が飾ってある。おしゃれ…。

「さ、入ろ!」

アイちゃんは、「久しぶりだなぁ」とその重い扉をガチャリと開けた…

「わぁ…」

言葉が出なかった。無数の楽器の音が、耳に飛び込んできた。そして、その音たちは、身体中を駆け巡った。そして目には、いくつものシャンデリア、ベルサイユ風のいくつもの装飾。赤いボックス席、メイン席。弦楽器の木のツヤ、管楽器の金属の光。

金管楽器のチューニングが止んだ。ヴァイオリンの、コンマスの席に座った男の人がこちらに気がついて、立ち上がった。

「…アイ?」

その人は、目を丸くしてアイちゃんを見た。アイちゃんは、にっこり笑った。

「え、嘘でしょ?アイ?」

「あんなに大きくなって…」

いろんな声が、聞こえてくる。その男の人は、こちらにやってきて、アイちゃんの背中をポンポン叩いた。

「久しぶりやなぁ!アイ!」

「久しぶりです、佐久間さん!…ちょっと、痛いですけど…」

笑いが起こった。佐久間さんというその人は、「ああ、ごめんごめん」と言いながらポンポン叩くのを止めた。

「どうしたんだ?もっとオケの近くに来いよ。そこにいるのは…、友達か?」

「はい、そうです。大阪の学校の友達です。みんな、それぞれ楽器をやっていて」

紹介されて、私たちは軽くお辞儀をした。慣れていないヤッキは、慌ててタッキーに続いた。

「そんな、堅苦しくなくていいよ。さ、こっちに来い。」

広いホールの真ん中の道を、私たちは歩いた。コツコツと、足音がいつもより大きく聞こえる。それで、音の一つ一つが、ホール全体に響き渡るのがわかった。

「アイー!久しぶりぃーっ!」

元気で、大きな声が聞こえた。茶色く日に焼けた女の子が、白い歯をにぃっと見せながら手を振っている。片手には、ヴァイオリンを持っている。

「久しぶり、ルナ!」

アイちゃんも、元気よく手を振り返した。「同い年なの」とアイちゃんが小声で言う。

「ほらほら、ルナ、弦のチューニング始めるぞ。」

コンマスの佐久間さんが、ルナちゃんをたしなめてヴァイオリンを肩に当てた。佐久間さんがラを弾き始めると、コントラバスと、チェロがチューニングを始める。低音の弦楽器で、低弦。いい響きだなぁ。

コントラバスとチェロが終わると、次はヴィオラ。その次にセカンドヴァイオリン。そして、ファーストヴァイオリン。最後に他の弦をチューニングして、音が止んだ。

「あ、佐久間さん、あかねさん呼んで来ますね〜」

コントラバスの後ろに、扉があった。コントラバスの女の人が、その扉を開けて、「あかねさーん!」と呼んだ。「はーい」と返事が聞こえた。

「あかねさんっていうのは、このオケの責任者。この島の責任者でもあるの。すっごくいい人だから、絶対歓迎してくれると思う。」

姓を、本田さんというらしい。

「チューニング終わったー?ごめんね、気づかなくて…って、アイ!?」

あかねさんも、佐久間さんと同じように驚いた。アイちゃんが、ふふふと笑った。

「久しぶり!で、こちらが大阪の学校の友達。」

「久しぶりねぇ。友達引き連れて来てくれたのねぇ!嬉しいわー!」

あかねさんは、アイちゃんを抱きしめた。アイちゃんは、照れくさそうにへへへと笑った。

「全員楽器やってるらしいぞ、それでこのオケ見にきてくれたんだってよー。」

とても嬉しそうに、佐久間さんがそう言った。

「へえ!みんな楽器やってるの!?なんの楽器?」

明るい。みんな、明るい。このオケに、笑っていない人はいなかった。みんな、私たちを歓迎してくれている。

「えっと、タッキーがホルンで、ユメちゃんがピアノ、ヤッキくんがパーカッション、しずかちゃんがフルート。だったよね?」

アイちゃんが一人一人を紹介してくれた。

「すごいわね!全員が楽器やってるだなんてねぇ。」

セカンドヴァイオリンのトップ位置にいた女の人が、そう言った。

「でしょ?秋菜(あきな)さん。でね、昨日みんなでこのオケの演奏聴いたの。ラフマニノフの、ピアノ・コンチェルト。」

アイちゃんがそう言うと、あかねさんがクスリと笑った。

「ふふふ。それを聴いて感動して、ここに来たってわけね。」

「当ったりー!みんな、すごく感動したって。私も嬉しくて、連れてきたの。」

本当に、仲が良い。

「拍手ーっ!」

佐久間さんが大声でそう言って、手を叩き始めた。みんなも、それにつられて手を叩いた。私は、とっても幸せな気分になった。

なんてあったかいんだろう。この人たちは。

「ホルンと、ピアノと、パーカッションと、フルートだっけ?それなら、ちょうど楽器余ってるんじゃない?今日の合同練習はなーし!今から、自主練ターイム!ほら、みんな、楽器室へGO!」

あかねさんがそう言うと、オケ人たちは音出しを一斉に始めた。

「ええっ、いいんですか!?」

思わず声が出た。あかねさんは、にっこり笑った。

「いいわよ、そんなの。アイも、あなたたちも来てくれたことだし。オケのみんなも、自主練の量が足りてなくて困ってたと思うわ。」

「ありがとうございます!」

あかねさんって、かっこいい!

「さ、ここよ。」

コントラバスの後ろの扉を抜けると、そこは控え室になっていた。その控え室も通り過ぎて奥へ奥へと入っていくと、楽器室に到着した。

「楽器だから、結構厳重に扱っているのよね。はい、ホルンの人ー?」

タッキーが前に進み出ると、あかねさんが「はい」とホルンをタッキーに渡した。タッキーは、目を輝かせた。

「ピアノとパーカッションはもう表に出てるから…、フルートね。」

フルートを受け取ったしずかちゃんも、目をキラキラさせていた。

「で、アイは、ヴァイオリン。」

アイちゃんは、「ありがとうー!」とヴァイオリンをもらった。

「ホルンのメンバーは、面白いわよー!平川(ひらかわ)四姉妹よ。」

「四姉妹!?」

みんなの声が重なった。あかねさんは、笑いながら、楽器室の扉を閉め、鍵をかけた。

「お姉ちゃんから順に、小花(このか)ちゃん、小鳥(ことり)ちゃん、小風(こゆか)ちゃん、小月(こつき)ちゃん。みんな、すっごくおしゃべりですっごくホルンが上手いの。」

アイちゃんが言った。すごい!四姉妹全員ホルン奏者って、すごいなぁ。

「ピアノは、私の義理の妹の美奈子ちゃんよ。いつも、ハープとピアノのどちらかを弾いてるの。」

美奈子さんかぁ。どんな人なんだろう。義理の妹ってことは、あかねさんの弟さんの奥さんなんだよね。

「パーカッションは、磯山さん、ひなっち、ハルキくん。みんな個性的で、おもしろい人たちよ。春樹くんはまだ5歳なの。すっごく可愛い。」

「5歳!?僕負けてたらシャレにならへんわ。」

ヤッキの言葉に、みんな笑った。

「フルートは、 ミリヤ、アヤ、サクラ、マリカ。若くて女子力高い軍団。でもみんな高校生以上よ。」

しずかちゃんは、「私一人浮いて見えるかもね〜」と冗談を口にしていた。(だってしずかちゃん充分女子力高いもん!)

「ギャアアアアアアアアアーーーー!!!!」

えっ!?あかねさんがホールの扉を開けようとすると、小さい子のものすごい泣き声が聞こえてきた。だ、大丈夫かな!?

「あ、また小月だわ。」

「また小風が泣かせたんじゃない?ふふふ。」

あかねさんとアイちゃんは、もう慣れている様子。

「やっぱりね。」

扉を開けると、ホルンを手にした小月ちゃんが泣きわめいていた。それを、お姉ちゃんらしき女の子(小花ちゃんと小鳥ちゃんだっけ?)が、必死に泣きやませようとしている。小風ちゃんらしき女の子は、ツンとそっぽを向いている。

「平川四姉妹!!」

あかねさんが大声でそう呼んだ。小月ちゃん以外のお姉ちゃんたちは、あかねさんの方を振り向いた。

「あかねさんー!ぷうがつきをまた泣かせたーっ!」

なるほど。小風ちゃん=ぷう、小月ちゃん=つき、なんだね。可愛い。

「大丈夫よ、今日は強力な助っ人がいるから。ほら、つきー!!新しいお兄ちゃんよ、真一くん!」

状況を察して、音出しをしていた人たちが、音を止めた。

「お兄ちゃん…?」

つきちゃんは、泣くのを止めた。ひっく、ひっくと言いながら、タクト(指揮台)の上にいるタッキーを見つける。タッキーは、真っ赤だ。

「何あれ、イケメーーーーン!!!!!」

叫んだのは、つきちゃんじゃなくて、お姉ちゃんふたりだった。

「こら、はな、ぴい、何あれ(・・)って…」

ホールが、大爆笑に変わる。小花ちゃん=はなちゃんと、小鳥ちゃん=ぴいちゃんは、ホルン片手に下まで降りてきた。「イケメン!イケメン!」と叫びながら、タッキーにベタ〜っとくっつく。

「ね?言ったでしょう。面白い子たちだって。うふふ。」

「いやいやいや、うふふじゃないですよぉ!」

タッキーは、完熟トマトになって、困り果てている。オケの人たちは、みんな爆笑して成り行きを見ていた。

そのうちに、ぷうちゃんとつきちゃんの機嫌もなおって、タッキーは四人の女の子に囲まれながらホルンの位置に行く羽目になった。タッキーも、困ってるようだけど、歓迎されて喜んでるみたい。

「タッキーはぷうのもの!」

「いいや、ぴいのものだよ!」

「何よー、一番お姉ちゃんのはなとの方が年齢がつりあうもん!」

「違うもん!つきが一番かわいいもん!」

「それはつきが一番ちっちゃいからでしょー!?」

はなちゃん、ぴいちゃん、ぷうちゃん、つきちゃんは、誰もタッキーを譲ろうとしない。タッキーは、「俺の時代が来てもうたな〜」なんておちゃらけている。

「なんか、女子って怖いな…」

ヤッキが苦笑した。

「暁月、ユメちゃん?」

可愛らしい声で自分の名前を呼ばれて、私は後ろを向いた。

「あ、えと…、本田美奈子です。ここの、ピアノとハープパートやってて…」

可愛いっ!この人が、美奈子さんかあ。じゃあ、あのピアノ・コンチェルトでピアノ弾いてたのって…。

「もう、美奈子ちゃん。そんなに怖気付かなくて大丈夫よ。まだ彼女、小学生よー。」

あかねさんが、美奈子さんの背中を軽く叩いた。それで、美奈子さんも表情を緩めた。

「こんな感じの子なのにあんなにピアノが上手なのよー。聴いたでしょ?ラフマのピアノ・コンチェルト。」

あかねさんが、誇らしげにそう言った。私は、うなずいた。

「ねえ、ユメちゃんは…、なんの曲が好き?」

美奈子さんが、グランドピアノの前に座った。

私が、好きな曲。えっと…、考えたこともないな。好きなピアノの曲だなんて。

迷っている私に、美奈子さんは笑った。

「私は…、ショパンとかリストの曲が好きだなぁ。ショパンとリストは、だいたい同じ時期に活躍した人なの。」

ショパンの曲なら、小犬のワルツとか色々弾いたことがあるけど、リストの曲って…。

「中でも、一番好きな曲はね。」

美奈子さんは、ゆっくりと鍵盤に手を置いた。そして、ふっと息をして…。

メロディーが始まった。右手と左手で、交互にメロディーラインを奏でている。甘い、甘い曲。

私は、うっとりとその曲に聴き入っていた。やがて転調して、同じメロディーを弾く。さっきより、もっと華やかに、もっと甘くなる。

美奈子さんは、滝が流れているみたいな音を出した。水が、キラキラ輝きながら、勢いよく下に落ちてくる。そんなことを想像した。

曲は、クライマックスに到達した。最初のメロディーを転調させて、オクターブで力強く弾いた後、高音を急降下させて、また滝の水がバシャン…と音を立てる。綺麗…。

テーマが戻ってきて、テンポも初めと同じになる。でも、最初のテーマより1オクターブ上になっていて、左手が右手の上を超えて和音を響かせる。

だんだんと落ち着いていくメロディー。ここは、滝じゃなくて、湖だ。湖に、水滴がポチャン、ポチャンと落ちるような…。

美しくて、儚いゼクエンツ。一瞬、音が消えて時間が止まる。その音のない一瞬までもが、この曲の全て。

そして、ゆっくりと音が響きを残しながら、消えていった…。

「ブラボー!」

気がつくと、オケの人たちは音出しを止めていた。みんな、美奈子さんのピアノを聴いていたんだ。ブラボーと叫んだのは、やっぱりコンマスの佐久間さんだった。

「えっとー、その曲はなんだっけ?えっと…」

ピアノのすぐ側にいたコントラバスの女の人が、美奈子さんに曲名を訊いた。

「この曲は、リストの『愛の夢第三番』。すっごくいい曲でしょ?」

愛の夢第三番。リスト。この曲は、生涯忘れることはないと思う。私は、しっかりと美奈子さんの奏でた音色を、心に刻んだ。

「なんか、『愛の夢』って、私とユメちゃんみたい!」

アイちゃんがそう言った。ほんとだ。『愛乃、夢』で『愛の夢』ね。なんか、嬉しくなっちゃった。

「やっぱり。ユメちゃんの雰囲気にぴったりだなぁと思って。」

美奈子さんは、にっこり笑った。私の雰囲気に合わせて曲を選んでくれたんだ…。

「でも、私もこの曲が一番好きで。もちろん、ラフマのピアノ・コンチェルトも好きだけどね。」

「そうなんですか…。」

美奈子さんと、すごく近づけた気がした。

「あの…、雰囲気を断ち切るの、悪いんですけど…」

ん?しずかちゃん?

「自由時間、とっくに過ぎてる…」

「ああああああああああああっ!」

忘れてたーーーーーーーーーーーっ!!!

「もう自由時間過ぎてから1時間も経ってる…。」

タッキーが時計を見てそう言った。1時間も…。ここで私たち、1時間も過ごしてたんだ。

なんか、思ってるより短い。

「どうしよう、先生、きっと心配して探しているんじゃ…」

あかねさんも、心配してくださった。佐久間さんも、心配そうな目でこちらを見ていた。

「とりあえず、合宿所に戻ろう。多分暗くなってきてると思うし。」

冷静なしずかちゃんがそう言った。うん、そうね。太田先生にはたっぷり叱られるだろうけど…。

「なら、危ないから私と翔太が付き添うわ。いい?翔太。」

「うん、いいよ。車で行ったほうがいいかな?」

あかねさんの弟、翔太さんは、車を出しに外に出てくれた。

「ごめんね、時間のこと、気づかなくて。」

あかねさんが謝った。いやいやいや、あかねさんが謝ることじゃない。私たちが悪いんだから。(まず境界を超えたことからね。)

「まーでも、楽しかったからええやん。」

ヤッキがお気楽に言った。アイちゃんは、「帰りたくないなぁ」とこぼしている。

私も、帰りたくない。ずっと、ここにいられたらいいのに…

「大変だ!」

翔太さんが、びしょ濡れになってホールに戻ってきた。ホールが、騒然となった。

「猛烈な台風が来てて、雨風ひどい。これじゃあ暗いし、車も出せないし、歩くのも危険だよ。」

台風…、そういえば、ここに来るとき風が強いなって思ったのは、そういうことだったのね。

「じゃあ、どうしよう。合宿所のみんな、どうしてるのかな?」

アイちゃんが言った。本当だ。強風だからテントも飛ばされてる?だからみんなどこかに避難してるはず。

「もしかしたら他の子たち、ホテルに避難してるかもよ?合宿所って、ホテルについてるやつよね?一回連絡を取ってみたらいいんじゃない?」

セカンドヴァイオリンのトップの秋菜さんが、アドバイスしてくれた。早速、あかねさんがスマホを取り出してホテルに電話をかけた。

「だめだわ。ホテルには来てないって。合宿所のどこか屋根の下で雨宿りでもしてるのかしら。こんなに危ないのに…」

ホテルには来てないのか。じゃあ、このままじゃみんなとは合流できないよ…。

「あかねちゃん、今日はみんなここに泊まったら?オケの人も、家が近い人は気をつけて帰って、ちょっと遠い人はここに泊まっていったらいいじゃないか?」

佐久間さんが提案した。秋菜さんも、うんうん、とうなずいている。

「そうね、佐久間さんの言う通りにしましょう。控え室の押入れに布団と毛布が結構たくさんあったはずよ。ここ、避難場所にもなってるから。じゃあ、ここに残る組の管楽器さんで布団の準備をお願いします!」

管楽器の人たちは、「はーい」と言いながら控え室のほうにまわった。

「弦楽器の人で、ここを片付けましょう。とりあえず、楽器をしまって、客席の安全な場所に置いてから椅子の片付けをお願いします!」

あかねさんが指示を出すと、弦楽器の人も一斉に楽器を片付け始めた。

「あとは、ティンパニの収納ね。ティンパニとその他パーカッション類は、パーカッション担当の人と、アイたちに任せるわ!パーカッションの人は指示をお願い!」

「ほーい」

ってことは、私たちはティンパニの収納ね。了解!

「せーのっ!」

次々とパーカッションを楽器室に運び入れる。パーカッションの人たちは、効率のいいしまい方を知っていたらしく、すぐに片付けは終わった。

「あかねさん!布団はオッケー!」

あかねさんにそう声をかけた清水さんは、管楽器の代表で、オーボエ奏者。チューニングの時に、管楽器、そしてコンマスのチューナーの役割を果たす人だ。

「パーカッションもオッケー!」

「椅子もオッケー!」

息ピッタリ!

「姉ちゃん、持ってきたよー!」

ホールにオケ全員が集まってからすぐ、翔太さんと美奈子さんがどこからか戻ってきた。両手に、重そうな袋を抱えている。

「全員分、あった?」

あかねさんが訊いた。

「はい、ぎりぎりですけど…」

美奈子さんが、袋から出したものは…

「カップ麺!!」

美奈子さんの一番近くにいた、私たちと同い年のルナちゃんが、叫んだ。

「ちょうど買い置きしておいたカップ麺があったので、皆さん好きなものを食べてください!お湯は、控え室にある分と、私の家の分があるので、それを使ってくださいね〜。あ、割り箸も用意してあるので!」

なんていい人なんだろう。あかねさん。やっぱり、あかねさんはこの島の代表が適任だ。

「ホラ、ユメちゃんも早くお食べ。お腹減ってるでしょ。」

美奈子さんが、カップヌードルを渡してくれた。私と美奈子さんは、控え室に行って、お湯を注いだ。

「憧れるわよね、あかねさん。」

美奈子さんが、私が座っている横のパイプ椅子に座った。割り箸を、パキンと割る。

「はい。いい人ですよね…。」

「うん。ほんと、こんな小姑さんのもとに嫁いで良かったと思うわ。」

あははははと笑っているうちに、3分が経った。さ、食べよ!

「あかねさんは、チェリストなのよ。」

美奈子さんが、そう教えてくれた。チェロかぁ。あったかくて、支えてくれるような音色がする楽器。そういえば、テニス体験の時に会ったふたばさんと同じね。

「水島ふたばさんも、チェリストなんですよね?」

「あら、どうして知ってるの?」

美奈子さんは、驚いた様子だった。

「林間のプログラムで、テニス体験っていうのがあって。そこでふたばさんと会ったんです。」

「ああ、ふたばちゃんはテニス上手だからね。あ、坂口悠真っていう人もいたでしょ?」

坂口さん。あ、ふたばさんと一緒に教えてくれたかっこいい男の人だ。

「悠真くんも、チェリストなのよ。」

「えっ、そうなんですか?びっくりです。」

坂口さんも、チェロを弾いているんだ。すごい。かっこよくて、テニスが上手で、チェロが弾けるなんて。完璧人間じゃん。

「ここの島の人間は、みんな音楽と楽器が好きなの。特に、クラッシック。何故だかわかんないけど、この島だけ日本じゃないみたい。」

美奈子さんは、そう言って笑った。

クラッシック。ずーっと昔から、愛され続けてきた音楽。島の人全員がそれを好きだなんて、素敵なことだと思った。

この島の人がみんなあったかいのも、クラッシックと、オーケストラの存在が、何か意味するんじゃないかなぁって思った。


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