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ベルサイユの音楽館

明るい朝。私は、珍しく自分で起きた。いつもなら、

「夢ー!早く起きなさい!」

っていうお母さんの声が目覚まし時計になるのに。今日は、自然と6時に目が開いたの。

理由は、はっきりわかる。ベッドの下に、パンパンに膨れ上がっているボストンバッグが置いてあって、机の横のカバン掛けには、リュックサックが掛かっているの。そう、今日は林間学習の日!2泊3日で喜島っていう島に行くのよ。楽しみだなぁー。

だって、カッターを漕いだり、テニスしたり、カレーを作ったり、ホテルの部屋で女子トークとか恋バナとか…楽しいことが盛りだくさんなんだもの。昨日から、林間のことしか考えてない。

私は、ササッとカーテンを開けた。東向きのウィンドウから、眩しい光が差し込んでくる。気持ちいい!なんか、ロマンチックすぎるかな…

自分で起きたからか、いつもの定番の食パンと目玉焼きの朝ご飯がいつもよりもっと美味しく感じた。絶好調ね!

いつもより念入りに顔を洗って、歯磨きして、玄関にリュックとボストンバッグをスタンバイさせる。

7時に篠原駅集合…ダイニングの掛け時計を見たら、6時45分。やばっ、急がなきゃっ!

「行ってきまーす!」

やっぱりいつもの平凡な出発の挨拶を言ってから、お母さんに手を振った。お母さんは、微笑みながら、

「行ってらっしゃい、気をつけてね〜」

と言って、私を見送ってくれた。

私の家は、学校には近いのだけれど、篠原駅となると、ちょっと遠い。イチョウ並木道を西に抜けたら、急な坂をずっと下っていって、そこから小さな家が建ち並ぶ複雑な細道を通り抜けて、広い繁華街をくぐり抜けて、やっと篠原駅南口バスロータリーに到着。

「あ、ユメや!」

どこに並べばいいのかがわからなくてマゴマゴしていたら、ひまちゃんが駆け寄ってきた。落ち着いて周りを見たら、もう学年のほとんどの人が集まっていた。やっぱり遅かったか…。

「あ、暁月、やっと来たか。はよ荷物バスに積んでなー。」

山登りに行くみたいな格好をした西村先生が、私に言った。ちょっと笑っちゃった。いつものイメージとなんか違うなー。

「やっぱ遅かったなぁ。ユメ。」

住田が言った。面白い顔をしたキャラクターが描かれた白の半袖Tシャツに、ちょっと擦り切れたデザインのジーパンをはいている。リュックとメガネは紫で、おそろいみたい。

「だって、駅から遠いもんなぁ〜」

ミクがフォローした。ミクは、小さなレースがついた白色の七分袖のカットソーに、デニム生地の水色っぽい短パン。リュックには白いモコモコがついている。「ボンボネット」っていうブランド品をそろえてるみたいね。ミクに似合うなぁ。

ひまちゃんは、名前の通りひまわりが好きならしくて、ひまわりがプリントされた黄色いTシャツに、ベージュのスキニーを合わせてる。リュックもちょっとピンクがかったベージュ色になっていて、おしゃれ。

で、私は…濃いピンクにハートがちょこんとついたTシャツに、サスペンダー付きのブラックの半ズボン。みんなに比べればちょっとナンセンスなんだよねぇ。…まあ、いーや。

「じゃ、全員揃ったな。」

班ごとに並んで、私たちはクラスごとにバスに乗り込んだ。いよいよ出発!

座席は班の形になっていて、私はアイちゃんの隣だった。アイちゃんの服をチェック!

うすいピンク色で、ひらひらの可愛いボディラインを描いた形のTシャツに、紅色のスカートズボン。くつ下は黒で、小さなボタンがついている。リュックは黒色の水玉模様!うん、最高!

「アイちゃん、服可愛い!」

思わず言ってしまった。あ、ダメ…

アイちゃんがこっちを向く前に、私には周りからの視線が見えてしまった。特に、リオンたち。ごめんなさい、つい話しかけてしまって…

リオンは私に、アイちゃんと話すことを禁じた。それから私は、一回もアイちゃんと話していない。

でも、こんなの理不尽すぎるよ…。いくらアイちゃんと趣味が違ったって、無視してハブくようなことじゃないと思う。

…なんて、そんなことは口が裂けても言えない。言ったら、自分の居場所を失うようなものなのだから。

私は卑怯。自分の身が可愛いからってリオンたちの言いなりになって、何も悪くないアイちゃんをハブくなんて、最低の人間のすること。

私が、最低なの。

「ありがとう…」

返答が来た。アイちゃんは、ふくふくした頰をピンク色に染めて微笑んでいた。…やっぱり、この人無視するなんて、できない。私は、小さくかぶりを振って、

「ううん。」

と返した。アイちゃんは、にっこり笑って、リュックからバイオリン形の小さな箱を取り出した。そして、その箱を開けて、中から小さなキャラメルを出した。

「キャラメル、好き?」

「うん!…くれるの?」

「うん。よかったらもらって。」

アイちゃんは、私の手にキャラメルを一粒握らせた。「ありがとう」と受け取った。嬉しい。アイちゃんと、一歩だけ歩み寄れた気がした。

私も何かお返ししなきゃ…と思いながら、リュックの中をゴソゴソ探る。…あ、これいいかも。

「はい、これお返し。」

私は、アイちゃんに小さなチョコレートを渡した。そのチョコは、生チョコみたいになめらかな口どけで、アラザンやココナッツがトッピングされている。小さいのにちょっと贅沢気分が味わえるの。

「わぁ…おいしそう!」

アイちゃんは、目をキラキラ輝かせて、チョコレートを掌に乗せた。観察している。そして、ゆっくりと口の中に運んで、パクッ。

「おいしい!すごい、夢ちゃん!」

「いやー、私の手作りじゃないんだからー。」

「これを選ぶ夢ちゃんのセンスがすごいよー。」

「そんな…」

無邪気な笑顔が、可愛い。男子とか、こういう笑顔にやられる(・・・・)んだね。

途中休憩も兼ねながら、アイちゃんとしゃべっていたり、お菓子交換をしたり、ビデオを観たりしていたら、あっという間に時間が過ぎた。

「はい、着いたでー、荷物忘れたあかんでー!」

10時半過ぎに、歌山港に着いた。ここから、『喜島・音色島シーライン』に乗って、喜島に降り立つのよ。

「ああ、ユメ、やっと会えたー」

バスを降りて並んでいると、ひまちゃんが私の横に並んだ。

「ユメ、あかんって…。リオンたち相当怒ってんで。」

やっぱり…

「うん、でも、喋る人いなかったし…」

「まあ、リオンは優しいから許してくれるみたいやで。よかったー。ユメがハブられるとか絶対嫌やもん!」

「うん、よかった」

ひまちゃんは、リオンのことを「優しい」って言った。でも、本当にそうなのかな…人をハブるような人を、優しいっていえるのかな…?あ、ダメダメ、こんなこと考えてちゃ。

トイレ休憩を済ませて、私たちは『喜島・音色島シーライン』に乗船した。船の中では自由席だから、私はひまちゃんに連れられてリオングループの近くの席を取った。

「リオン、さっきはごめんね。」

「いや、大丈夫やで、ユメ。ウチらはユメんこと信用してるから。」

リオンが言った。笑顔だ。よかった。ハブられなくて。

よかったと思うのに、胸がチクリと痛む。アイちゃん、どこにいるんだろ…?

「それでさー、ユメ。夜、ウチらの部屋来てぇや。みんなで恋バナせぇへん?」

ヤヨが言った。ヤヨの部屋「301」は、リオン、ヤヨ、えりんぎ、ひまちゃん、蘭ちゃんの5人。ひまちゃんにも誘われているの。

ちなみに私の部屋「302」は、私、アイちゃん、しずかちゃん、ユッキー、さなちゃんなの。さなちゃんはリオングループの一人だからもちろんリオンたちがいる「301」に行くみたい。そして、ユッキーグループの蘭ちゃんは、ユッキーがいる「302」に来るだろう。

私は、やっぱり「301」に行ったほうがいいのかなぁ?でも、アイちゃんやしずかちゃんとも話してみたいなぁ。

「え、ユメ、こーへんの?」

私が考えているのを見て、凪紗ちゃんが驚いたように声をあげた。

「えー、ユメ、霧谷と喋んねんや…」

トッポが声をしおらせる。みんなの表情が冷たくなっていく。

「行く!もちろん、行くに決まってるじゃない!」

慌ててそう言った。思ったより大声だったみたいで、周りにいた他の乗客がチラリとこっちを向いた。

「やんな!じゃ、絶対来てなー!」

リオンが私の背中をポンポンと叩いた。みんなの表情が、元の明るい笑顔に戻った。

「先生にばれたらあかんでー」

「バレてもええやん。どーせ稲田(いなだ)(かわ)ちゃんやもん。」

「言えてる!」

リオンを中心に、話がはずむ。少しすると、小さな島が視界に飛び込んだ。

「あっ、あの島ちゃうん!?」

ミッキーがはしゃぎながらその島を指差した。トッポが、船から身を乗り出す。私も、トッポの横に立った。

「ほら、そこ、危ないでー!」

稲田先生が注意してきて、みんなは一瞬しゅんとしたけれど、またすぐにはしゃぎ始めた。

あそこが喜島。私は、爽やかな風を感じながら、それを見つめた。

まだ、私は知らなかった。この島で、何が起こっているのかを。


「篠原小学校のみなさん、こんにちは。初めまして、喜島記念ホテルの者です。これから2泊3日、みなさんには喜島で様々ことを学ばれるでしょう。お友達と協力すること、責任を感じること、そして、楽しむことです。是非、この島で楽しんで帰ってください…」

ホテルは、大きくて清潔!ロビーにはシャンデリアがついて、床には赤い絨毯が敷かれている。従業員の人もにこやかでとてもいい雰囲気に包まれているの。

私たちは部屋に荷物を置いて、ホテルレストランに集合し、決まった席についた。

「この中から、お好きなパスタを注文してください。」

えっ?注文するの?みんなも驚いたようだった。だって、普通、合宿とかってメニューが決まっているんでしょ?

「うわっ、うまそー!」

男子たちがメニューを見てはしゃいでいる。どんなパスタなのかなぁ?

「私、ミートソースパスタにしよう!」

「俺明太子スパゲッティー!」

やっと私の手元にメニューが回ってきた。何にしようかな?…えっ?

ミートソースパスタ、カルボナーラ、ペペロンチーノ、明太子スパゲティー、トマトとマッシュルームのスパゲティー、ナスとベーコンのパスタ、ナポリタン、和風スパゲティー、カレースパゲティー、ボンゴレビアンコ。

はぁ?どんなけあるの!?とりあえず私はペペロンチーノにしたけれど。

10分くらいすると、私のペペロンチーノが持ってこられた。おいしそう!

見た目、良し!そして味は…最高!ニンニクが効いてて、唐辛子も刺激にきて、おいしいよ〜!

「何コレ、めっちゃおいしいやん!」

「ヤバい、何なん、これ!?」

あちこちから飛び交う歓声。それを、従業員の人たちは笑って見ていた。

このホテル、最高…

昼食の時間が終わると、ホテル付属の喜島記念館の見学。ホテルと渡り廊下で繋がっていて、記念館は幻想的な雰囲気に包まれていた。喜島誕生の秘密や歴史など、あきらかに勉強の内容なのに、なぜか知りたい、学びたいっていう気持ちになるの。

他の人たちもそうみたい。いつも授業中に騒いで怒られている杉原とかヤマたちまで、真剣な表情で掲示物を見ている。

「わぁ!可愛い!」

ふと横を見ると、同じ班のしずかちゃんが声をあげていた。ガラスケースに入った…

サンゴの玉!

「ねぇ、ユメ、これ、可愛いと思わない?」

しずかちゃんが興奮している。なんだか、しずかちゃんの笑ってる顔、久しぶりに見た気がするかもしれない。なんでだろ?

「ほんと!可愛いね!っていうよりきれいじゃない?」

薄紅色をした半径50センチほどもある丸い物体は、下からライトを当てられていて、すごく神秘的だった。

「ね、アイちゃん、来てよー、これ、すっごくきれいなの!」

館内では、班行動。だから、アイちゃんも一緒に行動できるの。いつもは話せない愛乃ちゃんと、話せるラッキーな機会があるのよ。

「え…、サンゴ?」

アイちゃんは、顔を曇らせた。不審がっているようだった。

「どうしたん?」

一緒に行動していたタッキーが、訊いた。アイちゃんは、そのサンゴをまじまじと見つめた。

「こんなの…おかしい…」

アイちゃんは、そのきれいなサンゴを凝視した。まるで、犯罪を見るような目で。

一体、何があったの?このサンゴに、一体どんな秘密が隠されているの?

「はーい、篠原小学校の児童は1階の集合場所に行ってー!」

タイム・リミットだった。私たちは、アイちゃんを連れて集合場所に向かった。

「アイちゃん、大丈夫?」

私が訊いた。でも、アイちゃんは首を振るばかりで何も答えてはくれない。

しずかちゃんは、そんなアイちゃんをじっと見つめていた。タッキーやヤッキも、心配そうにアイちゃんの方を見る。

「ま、とりあえず行こうや。」

暗い雰囲気を、ヤッキが打ち消した。そうよね、とりあえず、行かなきゃ。

全員が集合すると、先生が話を始めた。次のプログラムは…カッター研修!みんなは、目を輝かせて、先生の話になんてこれっぽっちも耳を傾けていなかった。私を含め、ね。

研修は、「喜島花田(きじまはなた)カッター広場」っていう地元の漁師さんたちが営んでいるところで行う。私たちは、バスに乗って喜島花田に向かった。15分ほどして、バスは倉庫のような施設の前で停まった。

カッターの漕ぎ方については、漁師さんが見本も見せながら丁寧に説明してくれた。櫂の向き、持ち方、カッターへの乗り込み方、座り方…などなど。あと、カッターは思ったより大きくて、20人は乗り込めるサイズだった。クラスの半分は乗れる。私は、ひまちゃんの隣の位置に座ることになっている。がんばって漕ごう!

「しゅっぱーつ!」

タッキーが雄叫びをあげて、ボートフック係のヤマがフックを外し、6年2組Aチームのカッターは動き出した。トラーシーバーで漁師さんたちからの指示を受けて、「1、2、3!」と掛け声をかけながら櫂を操る。櫂は、思ったよりずっしり重くて、持ち上げるのが大変。でも、その重さは漕ぐ係の責任の重さだってわかった。1人でも投げやりにしたらカッターは傾いてしまう。だから私は懸命に漕いだの。

「1、2、3!」

みんなの息が合ってきた。カッターが思うように動く。

「わぁ!きれい!」

ひまちゃんが目を見開いた。ひまちゃんの目には、夕日が映っていた。はっと後ろを振り返る。

まだ午後4時頃なのに、オレンジ色に光った太陽が、太平洋の水平線に向かっていた。夕日の光のベールは、私たちをカッターごと暖かく取り巻いた。きれい…

「暁月!よそ見しない!」

艇長の西村先生が言った。わー、ごめんなさいー!慌てて漕ぐ手を強めた。

カッターを降りてからまた夕日を見よう…と思っていたんだけれど、なんでかなぁ、漕ぐのに夢中になってて、夕日を見ることを忘れていたの。残念…

そして、漁師さんたちにお礼の挨拶をして、私たちはバスに乗ってホテルに帰った。

なんか、疲れた…でも、今からは自由時間。ホテルの敷地内なら、どこに行っても構わないの。ただし、他のお客さんに迷惑のかからないように、ね。

正直私はこの時間をどう使おうか迷っていた。リオングループに交じるか、ひまちゃんと2人で過ごすか、班のみんなと一緒に遊ぶか…悩みどころ。

まぁ、一旦部屋に帰って、荷物を片付けよう。そう思って、302号室に帰った。

部屋には、先にアイちゃんとしずかちゃんが帰っていた。しんと静かな空間。でも、なんだかあったかくて、落ち着く。なんでだろう?

「ねぇ、夢ちゃん、しずかちゃん。」

振り返ると、アイちゃんが、私としずかちゃんを見てにっこり笑った。

「このホテルのお隣に、音楽館があるの。行ってみない?あ、音楽館の中に入るんじゃなくて、サッカーのフィールドから聞こえるの。音が。」

音楽館っ!行きたい!ピアノの音とか聞こえるのかな?

「行くわ!しずかちゃんも行かない?」

「うん、行ってみようかな」

しずかちゃんの広い家には、ハープがある。一回行ったことがあるのよ。

「じゃ、案内するね。」

アイちゃんは、ポシェットを肩にかけて私たちを誘導した。サッカーのフィールドまでは、結構な距離。ホテルを出て、あっちをまがったり、こっちをまがったり。複雑な道のりを、案内板を元に進んでいく。

「ついたーー!」

思わず大きな声が出た。辺り一面、緑。緑。芝生はきちんと手入れされている。そして、太陽の光を浴びて、キラキラと光っていた。寝転がりたいなぁ。

「ほら、あれが音楽館なの。」

アイちゃんの指の先には、すっごくおしゃれな建物が建っていた。まるで、ベルサイユ宮殿。喜島って、自然だけじゃなくて、建物も素敵なのね。

「観客席の方に行かない?もっと大きく見えるんじゃない?」

しずかちゃんの提案に賛成して、私たち3人は、ピッチから観客席に移動した。振り返ると、芝生がちょっと小さく見える。

「なんの曲演奏されるのかなぁ?」

「楽しみねぇ」

目を見開いて音楽館を眺める。周囲を色とりどりの花に囲まれた、絢爛たる建造物。それは、なんだか欧州に旅行に来たような気分よ。

「おーい」

ピッチの方から、聞き慣れた声が聞こえた。…タッキーとヤッキだ!

「何してるんー!?」

ヤッキが声を張り上げながら私たちの方にかけてくる。私は、観客席からピッチに降り立った。

「ハァ…、なんでこんなとこおるん?」

タッキーが、肩で息をしながら言った。

「アイちゃんによると、音楽が流れてくるらしいの。ほら、あの音楽館。」

私は、あのベルサイユ宮殿を指差した。

「ふーん。」

ヤッキが興味なさそうに相槌を打つ。

「え?霧谷、なんでそんなこと知ってるん?」

タッキーが訊く。あ、そういえばそうだよね?もしかして、前に来たことあるとか?

「え…、あ、ううん。なんか、そんな噂を聞いて…」

アイちゃんの表情が、曇っていく。…そう、あの記念館のときと同じように。

「なーんか怪しーな。」

ヤッキが探るような目でアイちゃんを見据えた。

「まあ、ヤッキ、怪しいとかいう問題じゃなくてさ。」

タッキーがなだめる。そして私は、静かに話を聞こうと思った。アイちゃんが何か隠していたとしてもね。

アイちゃんと、本当の友達になりたい。リオンたちに流されない、友情を描きたい。

この時、そう強く思った。

何があっても、アイちゃんを受け止めるのよ。

「愛乃ちゃん…、なんでも相談して?大丈夫。私たち、聞くから。」

しずかちゃんがはっきりと、力強く言った。私も、タッキーも、ヤッキも、うなずく。

「ほんと、ごめんねぇ…、みんなには言っちゃおう。私、前までここに住んでたの。」

誰もいないフィールドの芝生が、風に乗ってサラサラと揺れる。その音が、確かに、しっかりと聞こえる。

「この音楽館は、私の思い出がつまった場所なの。だから、もう一度、ここに来たくて。」

アイちゃんは、音楽館を振り返った。あれが、アイちゃんの思い出。

…と、何かが風に吹かれて、私たちの耳に飛び込んできた。

静かな、ピアノの音。小さい、小さい音なのに、響く。体全体に。

ピアノの音は、だんだん大きくなって、(はじ)けた。そして、アルペジオが4回ほど続いて、弦楽器の低いハーモニーが聞こえてきた。それは、夜に冷たく吹き抜ける風みたいだった。バイオリンとビオラが主旋律を奏でてるのかな?

テンポが揺れながら、再びピアノのメロディーになって、曲調が軽く、明るくなった。それと同時に、木管楽器が登場した。そして、ピアノの力強い和音が流れて、バイオリンの音程がが頂上に登りつめた。

すると、ピアノのソロに入った。さっきの荒ぶる風はどこかに消えて、静かな夜が来たみたい。弦楽器は、ビブラートをかけながらピアノを持ち上げる。ゆったりと穏やかな甘いメロディーが続いていく………

そのメロディーはオーボエへと継がれ、ホルンが夜明けを報せた。そこから、最初の主題が転調した形で、再び流れ、オーボエが曲をクライマックスへと導く。盛大な音で、ピアノは嵐を巻き起こすかのように震える。金管が割り込む。木管や弦楽が悲鳴を上げる。その時、私は、胸が高鳴る鼓動を感じた。

そして、クライマックス!ピアノの和音がいくつも重なった旋律と、弦楽器のスラーでつながれたメロディーが溶け合い、響き渡る。全楽器フォルテシモのの音が、まるで喜島を包み込んでいるよう。

でも、嵐はすぐに止んで、曲調はピアノのソロからの、やがて嵐の後の静けさがやってくる。弦楽は、(かな)しみや、(かな)しみ、そして(かな)しみをビブラートに込める。曲調は、闇に包まれていく。

すると、ホルンのソロが始まった。儚く心に響くその一音一音。それは、誇り高く散っていく勇者のようだった。その勇者に向けられた暖かい日差しは、クラリネットだ。ホルンとクラリネットが美しく調和し、次はチェロが勇者に魔法をかける。勇者は、高く高く天に昇っていく。

ピアノの風が通り過ぎて、ヴァイオリンが静かに歌う。低音楽器も、響きを残しながらエンディングに近づいているみたい。

そこに、ピアノが軽い打鍵音を立てて、速くなるテンポとともに曲に明かりがついた。…と、急にクレッシェンドがかかって、全ての楽器が一瞬で消えていった…

サラサラと、現実の風が前を通り過ぎた。私は、その感触で、音楽の夢から覚めた。

私はため息をついた。こんな音楽、聞いたことがない。今まで、私はピアノの何を知っていたんだろう。

「ラフマニノフのピアノ・コンチェルト第2番第1楽章」

静かだけれど、はっきりとした声が聞こえた。アイちゃんは、まっすぐに私を見た。

「この曲は、喜島へのメッセージなの。」

アイちゃんはそう言った。もう一度、音楽館を振り返る。

「この曲を聴きたかったの。みんなにも、聴いてほしかったの。」

私は、アイちゃんの横顔を見つめた。アイちゃんは、自分にとって大切なものを見つめていた。

すると、タッキーが口を開いた。

「俺さ…実はホルンやってんねん。」

驚きの告白だった。タッキーが、ホルン!?

ヤッキまで、目を丸くした。親友も知らなかった、タッキーの秘密!

「ちっちゃい時からやってる。親も学生時代ホルンやってて。」

ホルンは、かたつむりみたいな可愛い形をしている金管楽器。マカロンを溶かしたような、まろやかで甘い音がするの。

「じゃあ、もしかしてみんなクラッシック的な楽器習ってる感じ?」

しずかちゃんが言った。あれ?しずかちゃんは…

「みんなにいうの初めてなんだけど、私はフルートやってるの。」

フルート!銀色をした細長い木管楽器。高い音が出て、よくソロで使われるの。

「ユメは、ピアノだよねぇ?」

しずかちゃんが言った。私は、うなずいた。

ということは、アイちゃんがバイオリン、タッキーがホルン、ヤッキがパーカッション(これは前からみんな知ってるの)、しずかちゃんがフルート、私がピアノ、ということね!

「すごいよー!5人全員が楽器やってるだなんて!」

アイちゃんが目を輝かせた。

「偶然やなぁ。」

タッキーがおもしろそうにそう言った。ほんと、偶然にもほどがあるよ…

「僕らってさぁ、運命なんかなぁ?」

ヤッキらしからぬ発言に、タッキーが吹き出した。でも、ヤッキは半分くらい本気で言ったみたい。

「わからないけど…これからも、いろいろお願いします」

アイちゃんが、頭を下げた。私たちは、しっかりとうなずいた。

「ねぇ…、敷地外に行ったらダメなのかなぁ?」

しずかちゃんが小さな声でつぶやいた。

「あかんやろ。行けたとしても、どこ行くん?」

タッキーが言った。

「あの、音楽館に行きたい。もっと聴きたい。さっきの演奏みたいな、すごい音楽、聴いてみたいの。」

私もよ、しずかちゃん。ラフマニノフのピアノ・コンチェルト第2番第1楽章。心の中で何度もその名前をつぶやく。喜島への、メッセージ。一体、このコンチェルトは何を伝えたかったんだろう。そして、ここ、喜島では、何が起こってるのだろう。私は、アイちゃんの方をそっと見た。

アイちゃんは、あの愛おしい音楽館を見つめていた。大切なものを、見つめていた。


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