孤独
やだ。もう学校なんかに行きたくない。
行きたくないのは眠いからでもない、体調が悪いわけでもない。
怖いから。
私は、3年生の時、ここ篠原小学校に転校してきた。お父さんの会社の都合でね。生まれ育ったK県を離れて、やってきたの。
「今日からみんなの仲間になる、夕陽しずかさんです。仲良くしてあげてね。」
高井先生という女の先生は、優しくみんなに言った。私は、ぺこりとお辞儀した。小さい頃から「礼儀正しく」ってしつけられていたんだもの。30人ほどの新しいクラスメートたちは驚いて、初っ端から私をちょっと敬遠した。
その上私は、自己紹介するときに、理科が大好きなことを話しすぎた。大好きなウーパールーパーの話、人間の細胞の話…だから、完全に私はクラスから隔離され、なじめなかった。
「なにアイツ、理科オタク~!」
「ちょっと博士ぶってるやんな、夕陽さんって。」
変な言葉遣いで、みんなが私の悪愚痴を言う。やっぱり、大阪って噂で聞いた通り、気が強いのね。みんな性格悪そうだし。でも、いいの。
(そうよ、私は理科オタクで、博士ぶってるわよ。好きなことに熱中することの何が悪いの?博士ぶってあなたたちに迷惑かけて悪影響を及ぼすことがある?)
(言ってやりたいのに、言えない。誰も私の話を聞かないもの。でも、別にいいわ。)
(私を変人扱いするあなたたちと関わる必要性なんてないんだから。)
(私は、空想科学読本を読んで、理科について学んでいればそれでいいの。)
そういう考え方だった。
なぜ、今の文が過去形になっているのかを説明するね。
転校当初の私の席は、ある女の子の横の席だった。その子は、ショートカットで、黒縁のメガネをかけ、いつもデニム生地のズボンをはいていた。名前は、住田香苗。
転校してきてから2週間が経ったある日、放課後だった。私は、帰りの準備をしていた。赤いランドセルに教科書類を詰め込む。そして、ふと横を見た。
「え、あ、あの、その本…」
驚いた。だって、住田さんが、空想科学読本を読んでいたんだもの。真剣に、紙に並んだ文字たちを読んでいる。そして、私が声を上げると、こっちに目を向けた。
「これ?空想科学読本やけど…?」
住田さんは、不思議そうにその本を私に見せた。え?私がいつもその本を読んでるってこと、知らなかったの?みんな、あんなにグチグチ言ってたのに。
「私、その本いつも読んでるんだけど…」
「ああ、そうなん。知らんかった。理科好きなん?」
「え?うん、そうだよ?」
何この子。友達いないの?
「住田さんも、理科が好きなの?」
聞いてみた。
「うん。好きや。おもろいやん。」
もしかしたら…この子、私と気があうかも?
なんでだろう。今まで、友達になんか興味なかったのに。なんで住田さんばっかり気になるんだろ?
そんな疑問は持っていた。でも、いつしか私たちは仲良くなっていった。放課後、公園で一緒に理科について語り合ったり、お互いの家に通って本を読んだり…
私にとって、彼女はかけがえのない存在だったの。友達も、住田1人。もう3年生の半ばくらいになると、「住田さん」から「香苗ちゃん」に、「香苗ちゃん」から「住田」に呼び名が変わっていっていた。
もちろん私の呼び名も「夕陽さん」から「しずか」に変わった。
3年生が終わって、4年生に進級する。と同時に、私と住田はクラスが分かれた。落ち込んだけれど、どうってことないと思ってた。たかがクラスっていう壁があるだけで、休み時間だって住田のクラスに行けば会えるんだし、家や公園に集まれば一緒にいられるって思ってた。
でも…それは違った。
4年生になったばかりの1週間は、お互いのクラスを行き来してお喋りにひたっていた。最初の1週間は、クラスで友達を作らないと居場所がなくなるって、お姉ちゃんに忠告されてたのに、サボってた。住田がいるから大丈夫って。
2週間が経ったある日、私はいつものように休み時間、住田のクラスに行った。
「住田ー!」
いつものように住田を呼ぶ。みんなの視線がこっちに向くけど、そんなの気にしない。
いつも住田は私を待っていた。誰とも話さずに。でも、今日、住田は私を待ってはいなかった。
「それでなー」
「香苗、ウチらのグループはいりぃや。あ、そうや、メアド交換しよ!」
住田?いつの間に…
「香苗、3組の子が呼んでるで、えっと、夕陽しずかやっけ?」
後ろの扉の前で立ち尽くしている私を、2組の子が見兼ねてそう言った。
「夕陽しずか、アイツ、香苗にべったりやわ。」
「香苗も迷惑してんのになぁ。」
「3組で友達できひんかったんちゃう?かわいっそー」
そんな声が飛び交う。私は、唇を噛みしめた。何なの、こいつら。人の悪愚痴ばかり言うザコ。
「あ、しずか。」
住田がこっちに来た。ほら。住田は迷惑がってなんかない。
「ねぇ、住田。昨日の話の続きなんだけどさー」
「なぁ、しずか。あんたも自分のクラスの友達作ったほうがええんとちゃう?」
え…住田?どういうこと…
「住田?」
「あたし、今まで友達おらんかってん。ってか作る気もなかった。だけど、あんたがいてくれたから友達ってええなぁって思ってさ、他の人とも喋ってみようと思って。」
どういうこと?私がいたから他の人とも喋る…?何それ…
「何それ…私、友達なんて住田しか…」
「しずか、他の人とも喋ってみ。あんただって出来るわ、友達。」
「なんでっ…」
私は、涙がこぼれそうになるのを抑えて、住田を見つめた。住田は、困ったように眉を下げる。
「なぁ、夕陽しずか。」
えっ…住田の後ろから、派手な服を来て、髪の毛をポニーテールに束ねた女子が顔をのぞかせた。確か…去年同じクラスだった、生島莉音…?
「香苗シバるつもりなん?自分とだけおれって。そんなん香苗が可哀想や。」
そんな、私そんなつもりじゃっ!
「香苗、行こ。」
生島莉音は、住田を連れて教室の奥まで入ってしまった。そして、生島の子分の1人が、私の目の前で扉を閉めた。
悲しい。悲しい。悲しい。私は、居場所のない自分の教室に走って戻って、勢いよく席に座った。取り乱してゴチャゴチャになった私の頭を、どうにかしないと…
(住田は、いつも私に正しいことを言った。だから私も、住田を信じた。)
(その住田が、私に友達を作れって言った。)
(なら…住田を、もう一度信じてみようかな…)
信じる。私は、住田をもう一度信じるの。
友達…私は辺りを見回した。
暁月さん。去年も同じクラスだった気がする。大人しくて、みんなと平等につき合えている。そして、いつもその横にいる日下さん。明るくて、マイペース。
この2人に話しかけてみる?
うん。行ってみよう。
自分で自分に訊いてから一歩一歩足を踏み出す。あと5歩。あと3歩。あと1歩。
「あ、あの…」
かすれた声が出た。ああ、もっと明るい声出さなきゃ…
「え?どーしたん?」
日下さんが私の顔を覗き込んだ。
「あ、あの、今日の宿題って、何だったっけ…?」
とっさにそんな言葉が漏れた。どうしよう、話題を作るために宿題分からないフリしてるのバレないかな…?
「宿題?え、宿題なんてあったっけ?」
暁月さんが言った。あれ?
「今日は宿題なしだったと思うんやけど?みんなで喜んでたやん。」
日下さんもそう言った。やーん、バレバレじゃん…
「あ、そ、そうだっけ?」
ごまかすけど…バレてそう。顔が火照る。
「夕陽さんて、意外にドジなん?」
えっ?日下さんがニヤニヤ笑いながら言った。ニヤニヤっていっても微笑ましい感じで、楽しんでいるような笑いだったの。
「夕陽さん、今まで近寄りがたい雰囲気だなーと思ってて、あんまり話しかけられなかったんだけど、すっごく喋りやすいよ。なんか、今までゴメンね。無視する子だっていたし。」
暁月さんがそう言った。日下さんもうなずいている。…感激!私、喋りやすいんだ!
嬉しくて、笑いが止まらない。そしてその日から、暁月さん…じゃなくて、ユメと、ひまちゃんは、私のトモダチになったの。
トモダチっていう響きは、住田がくれたものだと思ってる。住田とはクラスが離れて喋られなくなっちゃったけど、心の中では…繋がってるよ、ね!?
そして、5年生になる頃には学年のほとんどが友達になっていた。住田とはまた別のクラスだったけど、たまに会っていろんなことを話す。3年生の時みたいに、理科的なこともね。
私も、随分考え方も成長したと思う。独りで生きていくなんて絶対無理っていうこと、トモダチのおもみ…。
そういうこと。
そして、今。住田と同じクラスになって、また一緒に行動を共にすることになった。でも、3年生の時の2人の関係とはまた違うの。あの時は、お互いにもたれかかりあっていた。一方が、身を委ね過ぎると、その重みでもう一方が倒れてしまう。つまり、お互いを頼りすぎていたの。
でも今は、もたれるんじゃない。支えあうの。お互いが柱になって、倒れないように支えあう。
だから、私たちが一緒になっても、私と今までできた友達との関係も崩れなかったし、同じく住田も、私以外の友達ともよく話す。
このまま卒業まで、イイ感じでいくんじゃないかなぁ、と思ってた。でも、それは違った。私は、また大きな考え違いを起こしてたの。
「住田ぁ、今度そっち泊まりに行っていい?夏休み!」
「いいで!来てえや!あたしんちでクッキー作らへん?生地余ってんねん。」
「じゃあ…」
別に2人が仲良くすることが悪いわけじゃない。でも、でも…
ちょっと、やりすぎじゃない?
ミク。4、5年の時住田と同じクラスだった子。明るくて、陽気で、ちょっとおせっかい。たまに空気が読めなくて、トラブルに陥り、泣く。また、信じられない程、ぶりっ子。
ちなみに、私と同じように、住田のことを「住田」って呼ぶ。
ミクと住田は、5年生の時に仲良くなったみたいで、ミクは、3年生の時の私みたいに、住田にもたれかかっている。住田が倒れてしまうのに…
でも住田は、そんなミクを受け入れてる。大丈夫って訊きたいのに、いつもミクが邪魔するから訊けない。2人だけの時間がほとんど無いの。
「住田、20日さ、私んち来ない?この前新しい双眼鏡買った…」
私も住田を遊びに誘う。
「あ、ゴメン、その日ミクんち泊まりに行くねん。違う日は?」
あっさり断られた。…まあ、住田はミクとの約束が先だったから、ここは我慢。
「えっと、夏休み結構忙しくて…にじゅう…」
頭の中でカレンダーを開く。…と、私と住田の間に黒い陰が見えた。
ミク…
「なあ、住田。ミクんちにも来ーへん?プラネタリウムの機械があんねんっ!来るやろ?」
ちょっと、今は私が先に…
「ええー!いいなぁ、ミクんち。金持ちー!行くわ!いつ?」
「えっと、24日は?」
24日。私が言おうとしてた日。私は、あっと声を上げた。でも、その声は住田とミクの嬌声にかき消された。
「いけるで!」
「やった!住田、絶対来てなー!」
「キャー!」
私は、静かに席に着いた。もう、聞きたくもない。
せっかく住田と同じクラスになったのに。ミクがいるから…
私たちの6年2組は、39人のクラス。男子20人、女子19人。一見男女の比率が良くて、ちょうどいい人数だけれど、これは最悪の人数なの。
男子はともかく、女子。女子が19人っていうのは、2人組になったときに必ず余りが出るということ。余りになった女子は、「ああ、親友いないんだね」と見なされ、冷たい目線や、同情の目線を向けられる。プライドが許さない。
体育の時間、ペアで柔軟体操をすることになって、女子たちは必死になって自分のペアを捕まえる。余りになりたくないから。
私は当然のように住田のところに行こうとした。みんなも、暗黙の了解。「夕陽と住田はペア」っていうのは常識なんだから。だから、誰も私や住田に「ペアになろう」なんて言ったりしない。
なのに…
「住田っ!一緒にやろうやぁ!ミクなぁ、バレエやってるから体柔らかいでー」
「知ってるわ~そんなん。はよ行こー!」
ミクが、常識をくつがえした。みんな、一瞬だけ彼女を見て驚く。でも、その後は…
「あーあ。しずかちゃんが余りか。」
「かわいそーになぁ。」
私への冷笑や同情の声が聞こえる…
今までならミクちゃんが余りだったはず。それが、私に…
「じゃあ、夕陽は生島と阿部と3人で組んで。」
西村先生が、たまたま近くにいた生島莉音と、阿部弥生を、私のペアに選んだ。…よりにもよってこの人たちと。
住田から私を引き剥がした生島莉音。たとえそれがいい方向に向かったとしても、私は許さない。
私のことをずっと悪愚痴言ってたし。ハブいてたし。辛いのよ、私だって。
「夕陽さん、住田と仲良かったのになー」
「ちょっとベタベタしすぎじゃなーい?」
さんざん嫌味を言って、柔軟が始まる。体がガチガチに硬い私は、ダンスを習っているリオンや、新体操をしているヤヨ(ほんとはこんなニックネームで呼びたくなんかないんだけれど)にさらに文句を言われ、もう体育はこりごりだった。
初めはそんな小さなことから始まって、ミクはどんどん私から住田を盗るようになっていった。
移動教室も、私をはねのけて住田を引っ張っていく。だから私は、4年生の時に仲良くなったユメとひまちゃんのところに…ミクと住田がいた。
いつしか、ミクは1人じゃ私から住田を盗れないと思ったらしく、ユメとひまちゃんを使って住田をガードする作戦に出た。もちろん、ユメやひまちゃんは自分たちがミクの道具に使われているなんて思ってもみない。
だから、この頃はユメ、ひまちゃん、ミク、住田の4人グループになっている。
いいのよ、私はまだ入れてもらえるグループがあるのよ。
ユッキーこと高木有希乃のグループ。「ユッキーグループ」っていうけれどユッキーは女王様的な存在…なんかじゃない。みんなに優しくて、平等で、すっごい性格のいい子の集まりなの。集まりっていってもユッキー含む4人。玉野詩暢、栄田蘭、杉のぞみ。
この子たちなら私を入れてくれるわ。
「ねぇ、今日の図書の時間って、道徳の時間に代わったんだよね?」
ユッキーに声をかけてみた。
「うん、そうやで。やんな?」
ユッキーは必ず、誰かに確かめてから質問に答える。よほど確信していない限り。私、そういうユッキーの性格が大好きなの。
「うん。道徳教室やろ?」
詩暢ちゃんが言った。道徳教室。この言葉を聞いて、みんなの表情が一気に曇った。私もよ。
原因は、道徳教室の場所にある。この学校は、4階建ての校舎なんだけれど、4階はほとんど使われていない。だから、ホコリがかぶってて、クモの巣だらけで、おまけに蛍光灯が切れていて暗いの。すっごく不気味。きもだめしに最適の場所だけどね。
「そういえば、図書委員は明日の朝の会終了後に道徳教室集合やろ?ほんま面倒くさくない?」
のぞみちゃんが言った。のぞみちゃんと蘭ちゃんは図書委員。あ、実は私もなの。
「うーん。不気味やし。怖いからしずかちゃんも一緒に行こなぁ。」
「うん!」
ホラ、みんな私を避けたりなんかしないわ。
これからはユッキーグループにいようかな…でも、ユッキーたちは、私を同じグループの仲間として見てくれるのかな…
信じても、いいのかな…?
私は、いつも家に帰って自分の部屋に入ると、その日に起こった出来事を回想するの。今日も住田と喋られなかったなぁ。もう、ユッキーたちに受け入れてもらおうかなぁ。
なんて考えながら、ココアをすする。
でも、本音を言えば住田と一緒にいたい。でも、怖い。ミクに邪魔されるのが怖い。嫌な思いをするのも怖い!
私は、そばにあったクッションをベッドに投げつけた。クッションに八つ当たりしたところで、何かが始まるわけでもないのに。でも、なぜか私はクッションを投げ続ける。
何がしたいのかわからない。住田と一緒にいたいのか、傷つきたくないから一緒にいたくないのか、わからない。わからないよ!
なんとしてでもこの生活を変えなければならない。なんとしてでも住田を手に入れたい。
だから、まだ我慢しなければならない。
明日も。
次の日、私は学校に行った。朝の会が終わって、急いで道徳教室に向かう。
「住田」
そういえば、住田も図書委員だっけ。ミクは…確か放送委員。ということは、今なら住田と2人で話せる!
住田は、振り返って私を見た。
「ね、ねぇ住田、最近喋ってなくない?久しぶりに私んち来てよ。ほら、この前新しい双眼鏡…」
「無理。ゴメンやけど、ミクとあたしのこと、邪魔せんとってくれへん?あんた、ベタベタしすぎで、前からほんまいらんかってんけど。」
住田は、一気に喋った。なに、それ…どういうこと…?
頭の中が、真っ白になった。住田が喋る言葉全ての意味がわからない。
「しずかがしつこいねんやったら、こっちにも考えがあるから。」
住田は、私に歩み寄った。
「もう一生こっちに来られへんように徹底ブロックするから。わかった?」
住田のメガネの奥には、鋭い光が宿っていた。目を痛める、レーザー光線のような…
「やだ、住田!いやだっ!やめてよ、ねぇ!嘘でしょ!?そんなの、嘘でしょっ?いやだ、変なコト言わないで!冗談でしょ?ねぇ、住田!」
「しつこい。黙って。」
住田は、私を睨み続けた。そのレーザー光線を放ちながら。私は、射すくめられて動けなくなっていた。金縛りに遭ったような気がした。
「しずかちゃーん、邪魔ぁ、どいてー!」
聞き慣れた声。この声を聞いて、いつも私は舌打ちをしたくなる気持ちになる。
ミクは、私を廊下の端に突き飛ばして、愉快そうに住田に話しかけた。
「行こー、住田」
「うん!」
ミクは、突き飛ばされてしゃがみこんだままの私の無様な姿をちらっと見て、クスリと笑った。そして、階段を下りていった。
悔しい。怖い。恐ろしい。そして、悲しい。
涙が出た。ダメ、泣いたら負け。泣いたら、すべてに負けたことになるのよ。
でも私は我慢できなくて、トイレの個室に駆け込んでむせび泣いた。誰もいないトイレに、いや、誰もいない4階に、私の泣き声は響いた。そして、静かに響き渡る自分の泣き声を聞いて、もっと悲しくなった。もっと涙が出た。
…誰かの足音が聞こえる!一体誰?
恐怖心が湧き起こる。すると、自然と涙は収まっていた。
ああ、もう1時間目が始まっちゃう。しかも、1階の理科室まで行かないといけない。どうしよう…でも、出るしかない。
私は、赤く腫れぼったい顔のまま、トイレを出た。手洗い場の鏡に映った、自分の情けない顔をまた泣きたくなる気持ちで見つめてから、恐る恐るドアを開けた。
「タ、タッキー。」
同じクラスの大樹真一、通称タッキー。学年一の人気者で、サッカーも野球もギターもこなす、おまけに顔良し、性格良し、スタイル良しのモテ男子。よりにもよってそんな人に見られてしまった…。
「おい、大丈夫か?」
タッキーには、わからない。今の私の気持ちなんて。タッキーが知る必要もない。
「う、ううん。なんでもない。」
そっけなく答えて、私はその場を立ち去った。もう、泣かない。絶対。負けない。
ミクの私への嫌味な態度は、嫌がらせに、さらにエスカレートしてイジメと呼べるようになってきた。
机の中に、「消えて」や、「きもい」などが書かれた嫌がらせの手紙が入っていることはしょっちゅうで、筆箱の中身が、少しずつ消えていっている…
おそらく、ミクは単独犯ではない。住田も関連してるし、リオングループも絡んでる。つまり…私はクラスのほとんどの女子から嫌われたの。
先生になんか相談しない。西村先生は熱血漢だからすぐにこの事実をみんなに報告し、長々とお説教を始めるだろう。そうしたら、イジメはなくなるどころか、私がチクったことについてみんなが怒って、もっと悪化する。悪循環。
親にも相談できない。私のお父さんもお母さんも共働きで、2人とも家にいることが少ない。たまにお母さんは家にいるけれど、ものすごい心配性だから、そんな話をしたら仕事に身が入らなくなるの。そんな、お母さんに迷惑かけるようなことはしたくない。
友達。相談できる友達なんていない。ユッキーグループは、あくまで居場所。いくらユッキーたちでも、本気で私をグループに入れようなんて思わないだろう。
チャイルドセンター。却下。そんなところに電話するのはただの被害妄想ばかりが激しいお子ちゃまだけ。
イコール、私は、孤独だ。
孤独という言葉が、ズンと肩にしみる。
悲しいけれど、それ以前に、何も感じないの。何をされても、何を言われても、反応しない。感じない。
青いベールが、私の周りをまとう。私は、このベールに守られている。だから、何も感じないの。
私、孤独が気に入ったみたいよ。いいじゃない。誰にも気兼ねせずに暮らせる。
住田とミクのことを考えることもない。
ユッキーたちのグループを居場所とするのも、やめた。
私の居場所は、私にあるから。