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【エピローグ】

【エピローグ 笑窪】


『おめーふざけんなよマジで。本免許試験ミスるとかあり得ねーだろ』

「二週間前のことをまだ愚痴愚痴言うなよ。次、受かるから」

 思い出すだけで憂鬱になる。なんて己は駄目なんだろうと鬱屈した精神に乗っ取られて、頭がおかしくなるかも知れない。だから考えないようにしているのに、長井はやたらめったら引き合いに出すから面倒だ。

『教習所の運転ノーミスクリアで、本免許取るための筆記で落とすとかあり得ねーからな、マジで。普通逆だろ、実技通過すんのに苦労するんだよ。なにお前、馬鹿なの? 本能だけで動いてんの?』

「馬鹿だから馬鹿な私大行ったんだ、この野郎」

 長井の罵倒に自虐的な罵倒で返す。

『でよー、合コンの面子足んねーんだけどお前、どうよ?』

「丁重にお断りだな」

『ん、分かった。まーしゃーないな』

「ああ、しゃーない」

『お前よー、真面目に頑張ればどっかの企業で拾ってもらえるんじゃねーの? 業界とか職種に拘らずに履歴書送りまくれよ』

 どうやら心配を掛けてしまっているらしい。以前は心配など掛けもしなかった、己を裏切った親友はどこに行ったのやらだ。

 それを許してしまった己も己であるが。

「履歴書送るにしたって免許取ってからだろ」

『働く意欲はあるのかよ』

「無い。まだバイトの方が気楽」

『ねーのかよ。お前がそれで良いなら、良いけどよ』

「俺はこんなんで良いんだ」

『そういや、沢渡には告白したのか?』

 話が急に飛んだ。こっちとしてはもう通話を切ってしまいたいところだったのに、タイミングを見失ってしまったじゃないか。

「お前にそんなことを言うつもりなんかねぇよ」

『同窓会のときに、なんか腹の立つ女連れてただろ? あー、あのときのことを話すのはこれが最後な。言わせてもらうと、俺にとっては信じられねー、って気持ちが強かったんだよ』

「イジメられている俺が女なんて作れるわけないって思ったんだろ」

『正直に言うと、マジでそう思った。でもそれ以上に、お前が沢渡以外の女と一緒なんて想像できなかった。だってお前、沢渡にゾッコンだっただろ。それで、違和感があったんだよ。沢渡以外の女と一緒の綿貫ってのが、信じられなかった』

「そんなに昔の俺は分かりやすかったか」

『お前も沢渡も分かりやすかったよ。んで、どーもその辺りがずっと引っ掛かっていた。そんなときに、お前から突然、メールが来て、癪に障ったんだが、それをないがしろにしたら、昔の俺と一緒だと思って、電話を掛けたんだ』

 だからあのとき、長井は己のメールにすぐに反応したのか。それも返信ではなく着信という形で示した。

「自分で色々決め付けて、縛り付けて、それで一人で勝手に苦しんで、惨めな思いに、今もなっていて……辛くて逃げたくて、でもそう簡単には死のうとは思えなくて……こういう、面倒な男だけど、これからもよろしく頼むよ」

『任せろ。昔の俺は信じなくて良いから、今の俺を信じろ』

「なんだその名言みたいな言葉。冗談半分で信じてやるよ。じゃぁ、またな」

『おう、またな』

 己はスマホの通話を切る。四月頭に気分を一新するべくガラケーからスマホに買い換えたのだが、未だに操作でモタつく。というより、機能の半分も理解できていない。取り敢えず、電話帳機能と通話とメール、あとはカレンダーと地図アプリを見ることができればなんとかなるので、その他の機能には手を付けられていない。流行の曲には疎いし、そもそも曲を聴いて感じ入るという感覚を持ったことがないので、一週間で投げ出した。けれど、ネットでの情報収集は快適になった。必然的にノートパソコンを開く機会も減り、父に悪い気もしている。

「暑いのを通り越して、また寒くなって来たか……?」

 春も夏も、引きこもりがちに過ごしたからよく分からない。友人との飲み会は六月にあってから連絡が無いのが寂しい。まぁ忙しいのだろうと思っておく。

「……あんにゃろ、十通は送れって言ったクセに、六通目で送って来るのやめやがったな」

 日常的に十通メールを送るというのを繰り返して来たわけだが、己は朝方に三通。十二時過ぎから一時ぐらいに二通。午後七時過ぎから午後十時までに五通送るという形式を五月に入った頃から徹底した。習慣にしなければ己は絶対に怠ける。それを避けるには、送らなければならないという義務感を意識するようにと分けたのである。少しばかりは相手のことも慮って、そう苦にならないだろう時間帯に送り付けているわけだが、今日は午後七時から始めた六通目のメールに全く反応していない。

 返信されなきゃ、次の七通目も送れやしない。

 そんなものは己が己に強いたルールに過ぎない。実際のところは己から断続的にメールを送っても良いわけだが、それはそれでなんだか負けたような気になるので癪に障る。だから相手が送り返して来るまで、己は絶対に七通目を送ってやらないのだとついさっき決めた。

「母さん、今日は外で食べるよ」

「折角作ったのに」

「ハジメにも色々あるんだって。その分、私が食べるからさー、気にしない気にしない」

 楓が母さんを宥めてくれたおかげで、滞りなく外出の支度が進む。

「車の免許、ゆっくりでも良いからな」

 リビングから出ようとしたところで、父はテレビの方を向いたまま己に言った。

「うん、ありがと。焦らずに頑張る」

 教習所へのお金はバイト代で工面したが、親として言いたいこともあるんだろう。本心ではきっと「早く取りやがれ」と思っている。けれどそれを飲み込んで、己を励ますのなら己はその本心を暴くことなく、素直に感謝するべきだ。

「ちょっとは良い顔するようになったな。一番上も、もう少しマシになれば良いが」

「兄はアレで一杯一杯なんだから、見守ってあげたら?」

 そう兄のことを立てつつ、ふと思い立って己は口を動かす。

「免許取ったら、お酒……飲む?」

「飲酒運転は厳禁だぞ」

「違う違う。免許取ったら、お祝いで一緒にお酒飲もうってだけ。取れたら、だけど」

 父は己の方を見ることはなかったが、その背中は少しだけ喜びを表しているように見えた。そわそわしているし、きっとそんな感じだろう。

「行って来ます」

 己はリビングに居る家族に向かって力強く言葉を放ち、家を出た。

 白神は年明けの三が日を実家で過ごしたのち、東京へと旅立った。言っても、半年ほど社員寮で暮らし、研修を受けるだけなので己は見送りもせず、応援のメールだけを送った。

 きっと寂しさで悶えるだろうなと思ったので、直に見送りなんてできそうになかったのだ。

 メールを送って次の日からは、特になにも変わらない日々が続いた。彼女と会ったから日々が劇的に変わったかと言えばそんなことはなく、平凡で極々普通の日々である。強く堅く決意したわけでもなく、大きな誓いを立てたわけでもないのだから、漫然と過ごす日々に変化が無いのは当たり前と言えば当たり前だ。日常や平穏はちょっとやそっとじゃ崩れない。しがらみや縛りは未だ己を放してはくれないし、なかなか思い通りには行かない毎日だ。

 けれど、そんな日々も悪くはない。

 生きているか死んでいるかと訊ねられれば、なんとなく生きている。己は未だにそう答えることしかできないが――これからもそう答えるだろうが、でも以前よりは少しだけ、マシなのではないかと思っている。ほんの少しだけ、だけど。

 スマホがブルブルと震える。ガラケーから変えてから、ずっとこのバイブレーションには慣れない。

「もしもし」

『綿貫君はほんと、勿体無いことをしようとしてるって、分かってる?』

「……未練タラタラだな」

『そりゃ、五年後の約束があるから未練ありまくりに決まってるでしょ。あ、でもあと四年か』

 沢渡さんは相変わらず、電話を掛けて来る。ムキになって己も白神も電話でのやり取りをしないので、彼女はその橋渡しをしてくれている。頼み込んだわけでもないのに引き受けて、それを重みに感じていないか不安になることもあるが、彼女を通さないと己も白神も現状や心の内を明かさないので、居なければ己たちが困る。

 メールのやり取りでは、彼女は素を見せることがほとんど無いから。

「四年も続いているとは思わなくて良いと思うよ」

『そう言いつつほぼ一年会わずに続いているのはどこのだーれだ?』

「……ははは」

『私たち、良い関係だよね』

「うん。前よりはずっと良い関係。昔、話さなかった頃よりも近くに感じる」

『だから勿体無いんだよなー。あーあ、綿貫君はほんと、損な役回りばっかり』

 沢渡さんが一番、損な役回りだと思う。彼女には幸せになってもらいたいが、幸せになるってことはつまり男性と出会うことで、そうなると結果的に己との縁もまた遠くなって行くわけで、心境は複雑だ。ただ、けれど初恋の人が別の人の手に委ねられるって気持ちは、沢渡さんがこの一年間、ずっと抱え込んでいるものだから、己だって抱え込まなきゃならないことなのだ。乗り切れるだろうから乗り切ろう。

「沢渡さんには感謝してる」

『感謝してもらわなきゃ恨んでる』

「それは分かってる。ありがとう」

 だからこそ声に出して、しっかりと「ありがとう」と伝える。感謝も謝罪も、言葉にしなければ伝わらない。己は他人に察しろと心の中で命じてばかりだった。もっと口にして、伝えなければならないのだ。

『心配だなー綿貫君』

「……俺は、そんなに心配されるタイプか?」

『違うと思ってたの?』

「ううん、そんな気はしてた」

 友人にも白神にも心配されるのだ。己はこれからも周りに心配を掛け続けるだろう。そしてそのたびに、ちゃんとありがとうと伝えて行かなければならない。

『でさ、綿貫君。あのときの質問の答えって、結局、どういう意味なの?』

「あーっと……俺が海栗って言ったやつ?」

『そうそう』

「世界は地球儀のように丸っこいけれど、決してそこに住む人々の目や言葉は地球儀のように平らではなく、海栗のように刺々しく悪辣だ……ってこと。それと、世界は突き詰めてみると手の平に乗ってしまうくらいにちっぽけで容易いものだなって」

『そっかぁ』

 納得したような声を発しつつ、沢渡さんは小さく笑い声を零した。

『でも、海栗って美味しいよね。綿貫君は刺々しい世界の中にも、ちゃんと旨味があるって分かってたのか。それは、私には考えられもしなかったことだな。さすが、綿貫君』

 海栗の食べている部分は海栗にとっての精巣であるとか、そんなありのままの事実を述べると沢渡さんにはセクハラになりそうなので、やめておいた。これが白神ならすんなりと己は喋っている。

 白神は己のこの問いに、「海月」と答えたのだ。だからきっと、恥ずかしさなんて一切無い表情で「だからなんですか?」と九割の嘘に塗れた表情で切り返すに決まっている。一割の恥ずかしがっているであろう真実の顔を見てやれたなら、それはとても楽しそうだと思って、頬が緩んでしまった。

「全部、屁理屈だけど」

『でもそれが綿貫君には必要なことだったんでしょ。だったら、これからもそんな感じで良いんじゃないかなって私は思う。それじゃ……頑張れ』

 なにを頑張れば良いのかと問う前に、沢渡さんは通話を切った。己は通話の切れたスマホの画面を眺め、少しばかり感傷に浸ったのち、ホームに画面を戻した。

 気付けばメールが届いている。

『コンドーム買いました? あと三通』

 素っ転びそうになった。己は何度も何度もメールの本文を読み返したが、彼女はやはりとんでもないことを書いている。海栗云々の話などを超越するほどに、己が思っているほど彼女には恥ずかしさというものが備わっていないのだ。

 それ、今メールすることか?

『凄く重要だと思います。それと創さん、髪型とか変えました? 太ったり痩せたりしました? あと二通』

 いや、重要じゃない。己は白神とそういうことをするために家を出たわけじゃない。己は逡巡して、思った通りの言葉を綴る。

 けれどさすがの白神も一割の素が出てしまっているためか、あからさまに話題を逸らしている。だからそこに乗っ掛かってしまおう。こういう恥ずかしい話は、面と向かってした方がずっとずっと小憎たらしい上に、楽しいから。

 変わってない。お前は?

『なんにも変わってませんよ。あと一通』

 それはつまり、出会ったときと同じくらいに迷惑で電波でネジがぶっ飛んでいて、己に責任転嫁するような負け犬ということか。

 だったら安心だ。己も変わっていないのだ。負け犬からまだ脱却できていない。臭いはまだ鼻に突く。

 けれど、この臭いのおかげで嗅ぎ分けられる。変わっていないとは言うけれど、九ヶ月も見ていなければ少しは大人びて見えるに違いない。見間違えたりしないように、雰囲気から読み取らなきゃならない。そういうとき、この負け犬の臭いは頼りになる。

 会ったらまずなにをする?

 己がそうメールを送り、駅前の書店に立ち寄ったとき、負け犬の臭いが鼻を突いた。

「はーじーめさん」

 右横から声がしたので、そちらに向いたらいきなり唇と唇が触れた。数秒、なにが起こったのか分からなかったが、動いてくれる僅かな思考で、白神にキスをされたのだと認識する。

「……そういうことじゃ、ねぇよ」

 白神が唇を離したのち、己はボソボソと呟く。

「メール、見てください」

 言われて、己はメールを開く。

『キスをします』

「だから、そういうことじゃ、ねぇよ」

 己はただ、食事をするかブラブラと歩くか、どこか落ち着ける場所で話でもするか、そういった意味合いで「なにをする?」と送ったのだ。なのに、白神は穿った視点から己の言葉を読み取り、返して来たのだ。

「お久し振りです、創さん」

「……ああ、久し振り」

「髪、少し伸びてません?」

「お前は少し短めにしたのか?」

 深く考えずに返事をする。多分、彼女の前では包み隠さずとも素のままの己で大丈夫だろう。

「創さんの好みから逸れない長さで善処しました」

「善処することか?」

「することです」

 書店でキスなどしたものだから、その場に居辛くなってしまい己たちはすぐさま店を出た。

「そうそう、ついさっき私、満たされましたよ」

「なんの話だ?」

「ほら、感情について納得の行く答えを出させてくださいって言ったじゃないですか。あと、満足できていないとか満たされていないとか」

 言われて、あのことかと思い出す。

「やっとかよ」

「はい、創さんのメールが今日のノルマを越えたときにようやく、満たされました」

「俺は満たされていないけどな」

「肝心なところで寝入っちゃう創さんですもんね」

「その辺の話はデリケートなんだけど」

 言われ続けるとまた自虐的になってしまう。あれはもう忘れてしまいたいことだ。

「でも凄いですね、創さん。全く変わらない負け犬の臭いでした」

「お前もな」

「でも、案外悪くないものですね、負け犬」

 白神はスンスンッと己の臭いを嗅いでいる。またヌメリと心の許さない距離に入られてしまった。もうキスをしているのだから、許す許さないの次元の話では無くなっているかも知れないが、この迷い無くヌメリ込んで来る白神に、己はいつもオドオドしてしまう。

「創さんの臭い、悪くないんですよね」

「臭いフェチかよ」

「創さん限定で」

 えへへ、と恥ずかしそうに――男心を擽るような恥ずかしそうな顔で言われてしまう。

「俺は嫌だけどな…………お前が良いなら、良いけど」

 素直に「可愛い」と認めてしまえば良いのだが、認めたくないから反発する。けれど、その牙城は脆い。押されれば一気に崩れてしまいそうなくらいに、脆い。

「私は頑張ってこれからも這い上がり続けますから、創さんも頑張りましょうよ。這い上がれないんだとしても、這い上がろうっていう思いだけは持っておかないと駄目だと思います」

 お願いしますよ、と添えつつ、白神は己の腕を取って、張り付くように抱き付いた。

 感触は気持ち悪い。けれど温もりは、悪くない。きっと白神もそう思っているだろう。

「まずは……免許を取ってから」

 すぐ隣に彼女が居るということが、いまいち現実味に欠けるので己は虚空に語り掛けるかのように、遠目で呟いた。

「ああ、落ちたんでしたっけ、筆記試験で。馬鹿なんですか?」

 久し振りに白神に罵倒された気がする。これを心地良いと思ってしまったのだが、マゾヒストになったのではない、決して。

「あーあ、創さんの車に乗って、旅行したりできる日はいつになるんでしょう」

「お前を乗せることなんて一生ねぇよ」

「そういうツンはいらないんですけど」

 だから己にはツンデレの概念などない。

「気が変わったら、乗せることもあるかも知れないけど」

「創さんの運転って丁寧そうで、安心して助手席に乗れそうですね」

 それについては、教習所の人にも言われた。「君の運転は丁寧で、乗っていて心地良い」と。けれど、そのあとに「ルールに縛られすぎるのが玉に瑕だけれどね」とも付け足された。法定速度を守って走れと教えているクセに、なんでそんなことを言われなきゃならないんだか。

「これからも仕事先は大阪?」

「はい」

「そうか」

「はーじーめさん」

 己の腕に掛ける圧を白神は強める。きっと己の零れ落ちた声から、ガッカリした気持ちが伝わってしまったのだろう。

「東京より近いんだから良いじゃありませんか。ほらほら、こうしてくっ付けますし。胸も少しだけ大きくなったんですよ。ほらほら、分かりませんか?」

 その慎ましい胸が成長していようとも、衣服越しですらその差を実感することができないのだから、大した成長なんてしていないに決まっている。

「やめろよ、バカップルみたいで気持ち悪い」

「恋しかったクセに」

「それは……否定しないけど」

「そうそう。そんなデレは求めています」

 もう白神の中では己はツンデレであると思われてしまっているらしい。このイメージを壊す方法を探すのは苦労しそうだ。

「お前のデレだって、俺は見てみたいけどな」

「私、創さん以外にデレとか見せたくないんで。周囲の人に分かりやすいデレは良くても、それ以上のデレは非常にプライベートなところでしか見せませんので。だから今夜は私を抱いてくださいね」

「なんだよ、それ」

 どういう理屈なんだか分からないが、白神側からの誘いを受けないわけにも行かず、己は目を背けつつ肯いた。本来なら男から誘うべき事柄なのに、誘われる側の己はやはり女々しい一面を持っている。釣り合いが取れていないみたいで、己には耐えられない。

「好きだよ、白神。多分、コンビニで再会したときから」

 だから、この言葉だけは己から発する。己がしっかりと白神を見据えて、口にする。これで先ほどの女々しさを少しは拭うこともできたはずだ。

 気持ち悪さは相変わらずで、けれどこれは人恋しさで、そしてその先で至るのは仄かな恋心だ。己はもう、白神 舞に恋に落ちている。

「私も好きですよ。多分、あの高校で見つけたときから」

「あのときかよ」

「はい。運命感じてました。でなきゃ真に受けて同じ負け犬になったり、こうして再会できたりしませんよ。私たち、多分あの頃から運命の赤い糸で結ばれていたんです」

「電波な台詞って実際に聞くと嬉しいよなー」

「え、あれ? ここは引くべきところだと思うんですけど」

 予想外の反応に白神は困り、そして自分の言ったことの恥ずかしさからか頬を紅葉色に染めた。これは九割の嘘に塗れた彼女が見せる、たった一割の本性だ。それがとても美しい。

「写真撮るぞ」

 己はこのときのためにと持って来ていたデジカメを取り出し、彼女にレンズを向ける。

「え、私だけですか? ほら、こうすれば創さんも入りますよ?」

 デジカメを奪い取り、レンズと向かい合うように己を引き寄せて、白神はシャッターを押した。その後、確認するとそこには満面の笑みを浮かべた白神と、不器用な顔をした己の姿が写っていた。顔が異常に近い写真だ。あんまり、他人には見せられそうもない。元より、白神と一緒のところなど、長井や沢渡さんにすら見せたくない。

 しかし、これで己の中で記憶の更新は終わった。セピア色に染まった想い出は、再び色を取り戻した。白神とのやり取りもこれでやっと、綺麗な色に染め上げることができたのだ。

「腹減ったなー」

 このままだと己も顔を真っ赤にしかねないので、早めに話題を切り替えることにした。

「どこ行きます? 創さんに任せますよ。あ、あと創さんの奢りで」

「お前に奢る飯は無い」

「わー、さすが創さんだーでもそういうところも大好きー」

 棒読み気味の白神は笑顔を見せつつ、腕への圧を更に強める。その温もりを、その縛られているような絞め付けを感じつつ、己たちは歩く。

 変わり映えのしない、己の育った街を歩く。これから先も歩くのかどうかは分からないが、しかし己のことだから、この道を歩き続けるのだろう。現実に縛られて、しがらみに縛られて、白神に縛られている己が、どこかへと飛び立てるわけもない。

 この先に展望などない。あったとしてもそれは冗長だ。

 己の人間関係を滅茶苦茶にした白神に、己は恋をした。纏めてしまえばそれだけのことだ。負け犬の小噺に、夢見るようなオチは無い。ただ、後ろに置いていたものを整理した分だけ、前に広がる人生は幾らかマシであるような、そんな気持ちを抱いて、坂を下って行った。

 きっとただの気のせいに過ぎないのだろうけれど。

〈了〉


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