第八話 純粋な願い
「殺して」
おばあちゃんが、微笑みながら言う。
「は?」
何言ってんだよ…おばちゃん。
そう言おうとするが、俺よりも先におばちゃんが口を開いた。
「私ね…あいつ等…にだけは、絶対…なりたく、ないのよ」
さっきよりも、息切れ切れに言葉を繋げる。
俺も笠江も、口を開けることしかできない。
それを良いことに、おばちゃんは更に理由を付ける。
「私…ここで、死ななかったら…あいつ等に…なっちゃうでしょう?そしたら、あの子を襲って…しまうかも…しれない。それだけはっ!…それだけは…
なんとか…避けないと…海ちゃん、泣かないで」
あれ?
頬に手をやると、生暖かく濡れていた。
「なんっで…」
それどころか、指の上を水滴がどんどん通っていく。
「なんで…!!…っ!クソッ!!」
拭いても拭いても、どんどん水滴が溢れてくる。
隣でしゃっくりが聞こえた。あいつも…泣いている。
「海…ちゃん…」
おばちゃんの声が小さくなっていく。
もう時間はない。分かってる。
だけど…だけど…!
「無理だ…」
笠江がパッと顔を上げる。
眉間にシワを寄せている。
「山下…あんた…」
笠江の言葉を無視して、続ける。
「無理だ…駄目だ…できねぇよ!!」
いくら馬鹿な俺でも、残されている道はただ一つだと言うことは分かる。分かってる。
でも、本当にこれしか方法は無いのか?
なんとかなるのではないかと、考えてしまう。
いや、これは言い訳かもしれない。
本当は、俺はただ…怖いんだ。
嫌なんだ。おばちゃんをこの手で、生きている人間を…殺すなんて。
「…海ちゃん!…お願いっ!…はぁはぁ…早くっ!殺してええええ!!」
俺の気持ちを無視して、おばちゃんは悲鳴みたいな声を上げた。
「山下!こんな、こんなにも…頼んでるんだ!もう私達に出来るのは…一つしかないでしょう!?」
笠江が俺の腕を引っ張る。
早くおばちゃんを楽にしてやれって事だろう?
それが、おばちゃんの純粋な願いなんだから。
「海…ちゃ…ん…!?ゲホッ ゲホッ ゲボッ!」
更におばちゃんが血を吐いた。
辺りが赤くなった。
もう、時間がない。
「お願い…はぁ…はぁはぁ…人間のままで…死にたい…人間として…死にたい…」
俺はまぶたを強く瞑った。
荒くなった息を、深呼吸で整える。
石になったような拳をゆっくり解く。
まぶたを開けて、震え、じっとりとした手で包丁を握った。
鉛のような足を一歩、一歩、動かす。
立ち止まり、おばちゃんの目を見る。
おばちゃんが、笑う。
俺は腕を、振り上げた。
その瞬間、微かにだけど
確かにおばちゃんは、こう言った。
ありがとう。
「ぅわぁぁああぁああああ!!!!」
何とも表現し難い音の後、おばちゃんの眉間に、
包丁が生えた。