第四話 鉄の香り
桜が一際高く悲鳴を上げ、背中を反らせた。
首からは大量の血が吹き出ている。
志帆は自分につく血を全く気にせず、桜にこれでもかと噛みつく。
「ぁっ……あぁ…」
桜は体を硬直させ、涙でいっぱいの目で私を見つめる。
「さっ、桜…!」
焦点を揺らしながら、私に震える手を伸ばす。
「翡翠…ちゃ、ん…た、け…て」
この言葉に私は、後頭部を金属バットで思いっきり打たれたような気持ちになった。
本当なら、今すぐにでも手を取り、大丈夫、今助けるからと言いたい。
だけど、考えている事と裏腹に、足が全く動かない。
足が震えて力が入らない。
大丈夫、助けるの一言すら、口から出てこない。
私が硬直しているのを見て、桜は苦痛の色から更に、悲痛の色に染まった。
「どうし、て…どうして…だずけでぐれないのおおおお!!!!?」
いつもの可愛らしい声から想像できない、憎悪に満ち、絞り出すようにして、ガラガラな声を私に…隣にいる姫璃、海斗、クラスのみんなにぶちまけた。
「どうじて…ぅあああああ!!!!」
志帆は首から口を離し、桜の腹に噛み付いた。
肉を噛み千切るいやな音が教室を包んだ。
叫び声を最後に、桜が音を立てて崩れ落ちた。
目に光はなく、さっきまで上がっていた腕も力無く、転がっている。
くちゃくちゃ ぴちゃ ぴちゃ
時折聞こえる志帆の呻き声。
時が止まったように思えた。
頭の奥がガンガンする。
耳鳴りが、うるさい。
カーテンが揺れ、広く開け放たれた窓から、生暖かい風が流れ込んできた。
そして、その風と一緒に血の臭いが私の頬を撫でた。
鉄っぽい独特の香りが鼻孔をくすぐる。
刹那、時間が動き始めた。
それも猛スピードで。
「さ、さく…桜?」
震えるか細い声が、私の喉から漏れた。
返事がないのでもう一度呼ぶ。
「桜?」
友人の名前を口に出した直後、突如目の前が歪んだ。
力が抜け、その場に膝をついた。
「…ひぃいい!!キャアアアアア!!!!」
女子が我に返り、悲鳴を上げる。
それから火がついたように、悲鳴、泣き声、吐く音などで教室がいっぱいになった。
突如、桜を咀嚼していた志帆がゆらりと立ち上がる。
それに合わして教室も静まり返る。
なぜだか分からないが、声を出すなと本能が騒いでいる。
もはや志帆ではない、他の“なにか”がゆっくりと振り返る。
そのなにかに、志帆の面影はなかった。
真っ白なワイシャツに、赤黒い血がベットリと付き、所々小さな肉片がついている。
口の周りも血がつき、獣のようだ。
「ひぃいい…」
後ろで声が漏れた。
その声にそれは反応した。
パッと顔を上げ、目玉をギョロギョロと動かす。
「ぅあああ!…」
その様子にまたもや声を漏らしてしまう。
それは、次のターゲットを決めようだ。
声を漏らした子へ足を一歩出す。
その子は一歩下がる。
一歩出す。
一歩下がる。
出す。
下がる。
「ヴゥゥウウガ…アアアア!!」
ついにそれは、狩りを始めた。
「ひぃいい!!!!」
突然の出来事に反応が遅れ、それに押し倒される。
「だっだだだ…助け…アアアアア!!」
喉笛を噛み千切られ、ひゅーひゅーと音がする。
瞬く間に床は二人の血で染められた。
「ィヤアアアア!どいてぇ!」
「ぅあああ!邪魔だあっ」
「痛い!痛い!押さないで!」
これをきっかけに、扉へ人が殺到する。
そしてその騒音に、またそれが反応し、次の獲物を追いかける。
一人、また一人とそれに喰われ、倒れてく。
いつの間にか、教室には私と姫璃と海斗しか残っていない。
かつて志帆だった化け物は、新たな獲物を求め、廊下へ出て行った。
クラスメイトもそれから逃れるために、廊下へ出て行った。
教室が静かになり、自分の手を見てみる。
流れてきた血で真っ赤に染まり、まるで…
「私が…殺したみたい…。」
無意識にこぼれた言葉だった。
私が殺したみたい…。
「違う!私はっ、私は殺していない!」
思いのほか大きな声だったみたいで、しゃがみ込んでいる二人がビクッとする。
「私は…私はっ!」
でも、頭の中でお前が殺したのだと誰がか呟く。
「違う、私は…」
必死に首を振り、否定する。
お前はあいつを見殺しにした。
「してない。してない。してない!」
頭を押さえ、顔を天井へ向ける。
天井がぐるぐる回り、志帆が出てきて手を伸ばす。
「なんで…だすげてぐれないのおおお!?」
それは、私に向けて放った言葉。
「キャアアアアア!!!!」
「おいっ、おい!しっかりしろ!」
「アアアアア!!……あれ…?」
海斗に肩を揺さぶられ、私は目を覚ました。
どうやら、気を失っていたらしい。
「大丈夫かよ?いきなり倒れて、いきなり叫び始めて…。」
海斗は顔を青くし、私の顔を覗いてきた。
大丈夫な訳ないけど、とりあえず頷いておく。
「大丈夫な訳ないでしょう!もう少し横になりなさい。」
姫璃が私の言いたかったことをズバリと指摘し、無理やり私を横に倒した。
そして、その私の視線の先には…
「桜ぁ…」
呼んで生き返る訳じゃないけど、名前を呼ばずにはいられなかった。
「河野…そこまで背負い込むな。」
海斗なりの気遣いだろう。
ぎこちなくポンポンと私の頭を撫でる。
本当にぎこちない。
「そうよ、翡翠。あたしに全部ぶちまけなさい。」
姫璃は優しく手を握ってくれた。
「ぅん…ごめん。」
本当は二人だってとても辛い。
なのにそれを表に出さず、私を気にかけてくれている。
私って、本当子ども。
情けないなぁ。
二人の顔を見るとにこりと笑ってきた。
「ごめん、もう大丈夫!心配掛けちゃった。」
少しでもいい、二人の力になりたい。
だから私も笑い返す。
次は…私が二人を守る番だ。
私の様子に安心し、二人はホッと息をついた。
もう、親子みたい。
ガタッ
「!?」
突然の物音に三人とも飛び上がり、身構えた。
「…ぅう…」
桜が呻いた。
「嘘でしょう?桜!」
信じられない気持ちでいっぱいになって、思わず駆け寄る。
「大丈夫?私だよ、翡翠だよ!分かる?」
「ゥグゥ…」
苦しそうに桜は呻く。
「待ってて、今救急車呼ぶから!」
そういい、ポケットから携帯を取り出し、慣れない番号を打ち込む。
「…なんで?なんで繋がらないの?」
もう一度掛けてみたが、結果は同じだった。
「回線が込み合っているって…」
携帯から顔を上げると、二人は口をパクパクし、指を指している。
「なに?なんかついてる?」
首をぷるぷる振る。
「なに、後ろがどうかしたの?」
私が後ろを向くと、目の前に血だらけの、桜が立っていた。




