第十話 紫
三人は厨房を後にし、しばらく校内をさまよった。
空が藍色に染まる頃、さんざん歩き回った挙げ句、職員室に腰を下ろすことにした。
その理由は、ラジオもあるし、何より水と食料があるからだ。
開け放たれた職員室の扉から、少し顔を覗かせる。
自然と体育倉庫から失敬したバットに、力が入る。
姫璃の顎から水滴が床に、吸い込まれてゆく。
強張った口を何とか動かす。
「ねえ、中にあいつ等…居る?」
私は二人の背後を守っているため、職員室の中が見えない。
「わからない…見た感じだと、居なさそうだけど」
と、姫璃は口にする。
中を窺っていた海斗が、自分に言い聞かせるように
呟いた。
「…よし、入るぞ」
海斗が足を踏み入れる。
「えっ、嘘でしょう!?本気なの!?」
最初は渋っていた姫璃だが、やがて観念したようにうなだれながら、己の足を動かす。
私は二人が入ったことを確認し、辺りに警戒しながら、職員室に踏み込んだ。
職員室も酷い惨状だ。
辺りに血が飛び散り、プリントが散乱している。
窓が開いていて、カーテンがゆらゆらと風になびいている。
外を見ると空は茜色に染まっていた。
窓に近づき外に顔を出す。
刹那、街に街灯がついた。
まだライフラインは消滅していないらしい。
そのままボーと空を眺めていると、放送が響き渡った。
「夕焼け、小焼け…」
それは今まで何度も聞いてきた、思い出の曲だった。
夕焼け小焼けで日が暮れて
山のお寺の鐘が鳴る
おてて繋いで皆帰ろう
カラスも一緒に帰りましょう
「…あれ?おかしいな…」
ふと気が付くと、頬を涙が伝ったいた。
今までじっくりと、聞いた事がなかったからだろうか。
なんだか、苦しい。
でも、温かい。
心地が良い苦しいだ。
途端に家族が心配になった。
お父さん、大丈夫かな。
お母さん、家から出てなければ良いけど。
陽介…あんた一体、どこにいるのよ。
涼太兄ちゃんも…。
曲の余韻に浸りながら、家族の無事を祈っていると、視界の右端に人影が映った。
海斗か姫璃も、感傷に浸っているのかなと思っていると、声が聞こえてきた。
「そっちは誰かいた?」
これは姫璃の声。
じゃあ横にいるのは海斗か。
「いや、こっちにもいねぇ。これで安心だな!」
じゃあ横にいるのは姫璃か…ん?
さっき姫璃、海斗と喋ってたよね。
現に私の左で二人は安全を確認している。
じゃあ、今私の横にいるのは…?
涙なんか、一瞬で引っ込んだ。
心臓が激しく打ち始め、呼吸が荒くなる。
脂汗が手すりをつかむ両手を、じっとりと湿らす。
いつから隣にいた?
確認しなくては。
生存者なのか、それとも…
首を少しずつ、少しずつ、動かしていく。
後少し、後少しで正体が分かる。
私が丁度横を向いたとき、一際強い風が吹き、カーテンをまくり上げた。
これでは正体がわからない
自身の髪で視界を奪われながらも、髪を掻き上げ風が収まるのを待つ。
やがてカーテンが、ふわりと定位置に戻っていく。
カーテンが下がっていくと同時に、影の正体も明らかになっていく。
女の子だ。
紫がかった不思議な長髪をなびかせている。
見とれていると、ハッとしたように身体を上から下へ見ていく。
ホッとした。
傷はどこにもない。
体の力が抜けるのを感じながら、少女に問う。
「あなた、誰?」
我ながらとぼけた質問だと思いながら、相手の答えを待つ。
少女が私に視線を向ける。
瞳も不思議な色をしている。
夕陽に照らされ、きらきらと紫色に反射している。
「わたし…?」
静かに、だけど確かにそういった。
「そう、あなたの名前」
少女は少し考え、首を振る。
「わからない…名前、わからない」
名前がわからない。
そんなはずないと思いながら、もしかしてと、もう一つ質問する。
「あなた、どこに住んでるの?いつからそこにいたの?」
少女は少し考え、今度は動揺したように額に手を当てる。
「わからない…わからない…私、誰?ここ、どこ?」
わからない、わからないと頭を抱え込む。
まさか、この子…
記憶喪失?
「おい、どうした!?」
こっちの異変に気づいた海斗が駆け寄ってくる。
うずくまる少女を見て、体が跳ね上がったが、私が平然としているので、深く息を吐いた。
「この子…記憶喪失みたいなの」
とりあえず現状を報告する。
海斗は、はあっ!?と素っ頓狂な声を上げたが、少女の様子を見て事実だと確信する。
姫璃も何事かと駆け寄ってくる。
「ねえ、どうしたの?」
海斗に説明したことをそのまま伝える。
姫璃も一瞬目をまん丸にしたが、直ぐに真顔に戻り、少女を見る。
「うちの制服着てるわね…上履きの色は…青。私達と同学年よ」
同学年?
それにしては初めて見る顔だな。
こんなに神秘的な子がいたら、話題になる。
私の疑問に答えるように、海斗が口にする。
「ほら、あれなんじゃないか…そう、転校生!」
改めて少女を見る。
制服はしわがなく、恐らく新品。
上履きも不思議なことに、汚れ一つ無い。
この学校に居る限り、赤い染み一つは絶対付くはずなのに。
少女はまるで、今ここに空から降ってきたかのようだった。
転校生なら知らなくて当然だろう。
私達全員がこの子を初めて見たのだから。
でも得体の知れないからと言って、記憶喪失の少女を放って置くわけにもいかない。
それに、今日初めて見る生存者だ。
僅かな情報でも良いから欲しい。
「ねえあなた、私達と一緒に行かない?」
少女の前にしゃがみ、視線を合わせる。
「一緒に、行く?」
少女は首を傾げる。
「そう、私達と友達になろう!」
どうやら何もかも忘れた訳じゃなくて、日常的会話は出来るようだ。
その証拠に、今まで泣きそうだった顔が、まるで花が咲いたような笑顔になった。
「友達?…素敵!友達!」
その様子にホッとしながら、この子の名前をどうしようかと首を捻る。
シオン
「紫…紫苑でどうかしら?」
姫璃がパッと顔を上げ、少女に確認する。
「紫苑…私の名前、紫苑…」
何度か口の中で繰り返していたが、気に入ったらしく、姫璃に自己紹介を始めた。
「私紫苑、よろしくね!」
その様子に一安心し、私達も自己紹介を始める。
「俺の名前は山下海斗だ!サッカー部の部長を勤めてる」
姫璃も後に続く。
「私は…姫璃で良いわよ。特技は相手を口でひれ伏せる事」
ちょっと疑問が残った姫璃の自己紹介だが、考えるのは後にし、私も自己紹介する。
「私は翡翠。特技は運動全般かな?よろしくね!」
こうして、私達に新たな仲間ができた。




