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 セミの声が煩い。

 砕石から跳ね返ってくる熱さで、Tシャツから出た腕が赤く火照っている。

 工事監督の指示の声が、遠くから聞こえる。


 遠く?


 すぐ隣に居たはずなのに。

 目の前のレールがぐにゃりと曲がる。


 次の瞬間、腕に砕石の痛さが。

 頬にレールの熱さが。


 頭に親友の声が、届いた。




 里村は、岩手から上京してきた。就職のためなのだが、一般的な就職するための上京とは少し違う。季節労働者、という名目で上京しているのだ。

 そう、ただの名目。実際に季節労働者の本来の意味で来ているのではない。季節労働者は、農業や漁業に従事しているものが、本来の仕事のない間(通常は雪で覆われる冬など)に、上京して期間限定で働くのだ。

 季節労働者には、季節労働者だけに適用される雇用規定がある。半年間以上季節労働者として勤務すれば、実家に戻った際にすぐに雇用保険が下りる。そして一ヶ月休んだ後に上京して働く。半年に一度もらえる雇用保険は、割のいいボーナスのようなものだ。常用されるわけでもなく、一ヶ月休みももらえ、そして半年に一度もらえるボーナス。田舎から解放されて、都会で遊べる特典付き。宿舎がある会社に入れば、食と住の心配はない。

 実際にはその働き方は、禁止されている。季節労働者は、あくまで自分の地方に農業なり漁業の仕事を持っていて、その合間に上京するのが鉄則。しかし、その法の目を潜って働く者は結構いるのだ。

 里村もいずれは自分も季節労働者に、と思っていたのだが、上京するきっかけが見つからない。東京のどこの会社に入れば、季節労働者で働けるのか解らなかった。

 そんな折、親友の久慈道が上京するという噂を母から聞いた。部屋に戻った里村は、すぐに携帯に電話して、久慈道を問い詰めた。

「上京するんだって? 何で? お前も季節で行くのか?」

 通話が始まると、すぐにそう捲くし立てる。電話口からは、驚いたような相槌と、小さく笑うような鼻から抜ける声が聞こえた。

「ああ、季節で行くんだよ。親父の会社で人手が足りないっていうから。お前も行く?」

 電話の向こうの久慈道が軽く聞いた。里村は、小さくガッツポーズを決めて、少し顔を赤らめて頷く。

「ああ、お前の親父さんも季節で東京にいるんだったけか…。連れてってくれ。俺、バイトは明日にでも辞めるから!」

「そんなに焦らなくても。ゴールデンウィーク明けくらいに上京するんだ。もう一人連れて行っても大丈夫か、親父に聞いておくよ。それまで、バイト辞めるなよ?」

「解った。なるべく早く返事くれよ。このチャンスを待ってたんだ」

 はいはい、と軽くあしらうような久慈道の声の直後に通話は切れた。里村は、携帯電話を持ったまま、右へ左へとウロウロしている。

「やっと東京に行ける…。金も稼げて、東京でも遊べて…」

 里村は破顔して、ベッドに腰掛けた。良い事ばかりを想像して、仕事と言うよりも、修学旅行で東京に行くような気分だった。


 2日後。久慈道から電話が来た。

 里村と久慈道は、共に東京の鉄道工事会社で、季節労働者として働くことになったのだ。





 ゴールデンウィークが明けて、共に新幹線で上京した。まずは3ヶ月勤めれば、この上京に掛かった旅費も負担してくれるというのだ。

 なんて良い会社なんだろう。季節労働者を雇ってくれ、安い金額で宿舎も食事も用意してくれ、更に実家と東京の旅費まで見てくれるなんて。

 そんな里村の浮かれた気分は、上京二日目で粉々に砕け散った。


 上京初日こそ、仕事はないので東京で駅付近を見学できたものの、二日目には仕事開始。それも、昼も夜も働くのだ。寝る時間と言えば、夕方と、朝方のみ。話しに聞くと、それが連日続くという。

「久慈道、こんな仕事だって聞いてたのか?」

 里村の投げかけに、久慈道は驚いたように目を見開いた。

「知らなかったの? 軌道工事は、昼間に簡単な作業や工事の準備をして、電車が通らなくなる夜間にレールや枕木の工事をするんだよ。本気で東京で遊べると思ってたわけ?」

「だって、昼に仕事したら、夜は休みかと…。昼夜が連日だなんて思ってなかったよ。仕事がない時間は身体休める以外に何もできないじゃん」

「だから、賃金のいい仕事なんだろ。無理そうなら帰れよ。数週間で田舎へ帰る奴も珍しくないみたいだし」

 里村はため息をつきつつ、宿舎の食堂でご飯を口に運ぶ。宿舎の料理人は同じ東北の人らしく、馴染みのある味付けで、それは気に入っていた。東京に来て、気に入ったのはそれくらい。宿舎は隣の音が聞こえるような薄い壁だし、仕事以外の時間は寝るより他ない。年上の先輩たちに、ここでの楽しみは?と聞くと、「仕事のあとのビールだな」とつまらない答えが返ってくる。

 つまらない田舎の生活から逃げて、東京に来たのに。現実は、泥まみれになって昼も夜も働く。会社の駒になって、汗だくになって働いて。

 そしてその泥と汗で作り上げたレールの上を、綺麗に着飾った都会人たちが冷房の効いた箱で通り過ぎてゆく。

 本当は、自分があちらの箱に乗りたかった。

 理想と現実のギャップがあまりにも大きかった。

「大変なのは大変だけど、親父の話だと遣り甲斐があるみたいだし、短期間でいい稼ぎになるからな。頑張ってみたら?」

 二本目の缶ビールを開けながら、久慈道が微笑む。里村は、数え切れないほどの何回目かのため息の後、こくりと頷いた。

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