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柔らかいものに刃をそわせ、そっと滑らせていく。そんな音に聞こえた。遠くではなく、ずっと近くで、丁寧にゆっくりと包丁を研ぐような間隔その音が聞こえ続けた。
機械の故障かと思った。
唯一あるはずだった妻の寝息もいつのまにかなくなっていた。きっと機械の故障なのだ。
その時だろうか、私のうなり声が聞こえ始めたのは。
唸りというより、それは呻きのようだった。助けを呼びたくとも声が出ない。自分がここにいることを懸命に伝えようとする必死さが伝わってくる。その間、刃を研ぐような音はやむこともない。
まるで動物の呻き声を聴くような感覚で私はその音を聞いていた。
気づけば夜中起きているときと同じような汗をかいていた。
息が荒くなっている。
時計を見るとすでに昼休みの時間は終わっていた。
妻に聞かなければいけない。私の不安をなくすために。
夕飯の際、私はその話を切り出した。魚の骨を取り除き、極力妻の顔を見ないようにしながら。
ボイスレコーダーの話は伏せた。単にそういう夢を見たのだと話した。隣で刃をそぐような音が聞こえたという話だ。
妻は最初、うわの空でテレビ画面を見つめていたが、音の話をすると困ったような顔をして目を伏せた。
「恥ずかしいわ」
覗くと顔を赤らめているように見えた。
「無駄毛を処理していたんです」
恥ずかしいことを言わせてしまったという罪悪感から何も考えず、ああ、とだけ曖昧に頷いた。ただ、釈然としない。歯車がかみ合っていないような、そんな歯がゆさに気分が悪くなる。
「こんな音がするのか。毛を切るだけで」
「こういうものです」
実際にやってみてくれとは言えなかった。私は曖昧に「そうか」とだけ呟いた。
「どこの毛を剃っていた」
妻はようやく顔を上げた。いつものテレビの画面に見つめている目で私を見据えているようだった。
「足の毛です」
「剃るような毛があったか」
妻は全体的に毛が薄い。足に毛が生えているのは見たことがなかった。
「あなたの足です」
私は小骨を取り除く手を止めた。皿の端に積まれていた小骨を見つめた。最初温かかった魚はすでに冷め切っている。
私は顔を上げた。
いつも過ごしているはずの部屋の中はこんなにも暗かったのかと思った。テーブルの上にある照明だけが明るい。私と妻を照らしている。遠くでテレビの笑い声が聞こえる。
「何のために」
妻はじっと私を見つめている。
「何のために足の毛を剃る。なぜ私の」
「気づいていないんですか?」
妻は首をかしげた。
「あなたのそういうところが嫌いです」
いつもの顔で、いつも言わないことを妻は言い席を立った。
テレビの声がやけにうるさかった。