蜜月の終わり
女同士の確執やしがらみと言うのは、昔から面倒だったようだ。これは、時代が変わっても変わらないらしい。男と女の確執や男同士の確執と言うのも、それなりに面倒なところはあるが、女同士に比べればマシかも知れない。
男は、人間と言う肉体の機能を向上させ、その遺伝子を子孫と言う形で継承する事に優れ、女は、その命を守る処世術に優れている。生物学的に言えばそういう事だが、前者の男の論理の場合、「だから男は浮気をする」という根拠にされてしまう事が多いが、確かにそういう事はあるのだろう。逆に女の確執やしがらみが面倒なのは、処世術を追及する性があるからだろう。
だから、恥や情の概念よりも生きる事が優先される。恥や情の概念が無いわけではない。だが、男のように、時に「生きて虜囚の辱めを受けるなかれ」として、恥や情のために命を落とすというほどにそれを貫きはしない。貫くのは、生き残り、その子孫を守り抜く事である。生きる事が優先されるから、例え友という情があったとしても、女同士だと、それが自分の実利のために優先されない事もある。だから面倒になる。
しかし、それは倫理的にどうこうという問題ではない。そもそもの男と女の性の差なのだ。だから家庭と言う事で言えば、亭主関白の家庭がもろいのに対して、かかあ殿下の過程は円満に長持ちしたりする。男に家のかじ取りをさせると碌な事がない。男は、女に比べたら、その処世術はかなり御座なりだ。人間の肉体を鍛えるためには、時に危険を冒さなければならない。だからこそ、処世術に関する思考は、女性に比べて疎かになる。そんな男が家庭を担えば、家庭も巻き込まれる。結果、安定は生まれない。
家庭に必要なのは、まずは安定である。家庭は、住処であり、外で生きる人々にとっては、安らぎの場所である。そこが安定しなければ、どんな人間も精神的に崩壊していく。家庭とはそういう場所だ。だからこそ、生きるための概念、処世術が重要になる。だからこそ、かかあ殿下である家の方が家庭は長持ちする。そして、良妻なかかあ殿下の家は、必ず亭主関白でもある。夫を立てる処世術も知っているからだ。
全ての男がそうだとは言わない。全ての女がそうだとは言わない。ただ、オスとメスという事で言うならば、そういう事だという話だ。そして、家庭が円満ではない理由と言うのは、そこに求められるのだろうと思う…
惟頼に追放された母と姉は、次第に惟頼と桔梗の夫婦を恨むようになり、それにつれて2人は、惟広に接近するようになっていた。惟広を立てて味方にし、いっその事、惟頼を廃して塩谷家の家督をも奪ってしまおうとまで考えていた。もちろん2人は、惟広と桔梗が情を通じていた事など知る由もない。惟広も、桔梗と情を通じている事を隠して、その立場を利用して母と姉に接近し、その情報を桔梗に流していた。
惟広は、惟頼が城を留守にするたび、その城代を任され、留守を守る桔梗と密かに情を結び合っていた。その度に惟広は、母や姉の事を桔梗に話した。それは、確かに桔梗の身を守るものだった。企みがあっても、事前にそれを避ける事も出来た。
けれども、それは同時に桔梗の心を苦しめていた。惟広は、桔梗を思うからこそ、母や姉から聞いた事の全てを桔梗に話した。そうすれば桔梗の身を守れると信じていたからだ。だが、その中には、桔梗にとっては知りたくもない事実もあった。それは、母と姉の本心であった。
死ね… それは、2人の本心を象徴する一言であった。2人は、本当に惟頼と桔梗の事を恨んでいた。殺したいくらい憎んでいた。よりを戻す事など微塵もあり得ない。それが2人の本心であった。
それを知って、桔梗は絶望するくらいに悲しかった。自分だけでなく夫の惟頼まで憎しみの対象にしてしまった事。それこそ、実の母と姉なのに… よそから来た自分だけが恨みを買うならまだしも、惟頼まで… そして、無理とは解っていても、よりを戻したいと願っていた桔梗を、惟広の話を伝え聞く度、無情にも粉々に打ち砕いてしまうのだった。
桔梗(私さえいなければ…)
そう思う事もあった。いっそ、母と姉が仕掛ける罠にわざと落ちて、死んでしまおうかと思う事さえあった。しかし、それを行動に移そうとしても、それは惟広によって未然に防がれた。
2人の本心を知らなければ、今でも、無理なんて思わずに、母子姉弟の和解を夢見ていられたかも知れない。結果的に無理だったとしても、その方が幸せだったかも知れない。知らない方がいい事というのは確かにある。けれども、惟広が伝えてくれるから… 桔梗は、人間不信に陥り、誰も信じられない絶望の淵へと徐々に落とされていった。
惟広との関係も終わりにしなければ… そうすれば、母と姉の本心をこれ以上聞き続けなくて済む。そもそも夫である惟頼に対する背信であり、こんな関係を続けていく事は当然許されない。もし、夫に知られれば、自分だけでなく、惟広にも累が及ぶ。そうなれば、家族は、ますます崩壊していく。また自分のせいで…
桔梗「惟広殿… 今宵で、もう終わりにしましょう…」
桔梗が最初にそう切り出したのは、惟広との間に最初の子、系図上では惟頼にとっての三男が生まれて間もなくの事だった。この子が、惟広との子である事は、桔梗も惟広も解っていた。桔梗は、罪の意識にさいなまれ、一番苦しんでいた時期だった。
けれども、別れる事は出来なかった。守らなければならないものがある… 決して夫に不満があるわけではない… それが解っていながら、惟広を失う事も怖くなっていた。惟広がいたから… 夫に話せない悩みを打ち明け、妻として、母としての苦しみを癒す事が出来た。惟広を失ったら、精神は崩壊してしまうかも知れない。何より、桔梗は、もう心から惟広の事も必要としていた。
理由を求められても言葉に出来ない… そんな思いで惟広と結ばれてしまっていたのだ。
それでも、夫と子に対して、罪の意識が消えるわけではない。だからこそ、それ以来、桔梗にとって、惟広と情を結ぶたびに、それは口癖になっていた。
惟広「またそれか…」
桔梗「私がいる限り、全てを壊してしまう…」
惟広「母と姉がああなったのは、桔梗のせいじゃない。」
桔梗「私なんて… この世から、いなくなればいい。そうすれば、みんな幸せになれる。惟広殿も、私のようなものではない、貞女の妻を得られる… 私も苦しみから解放される…」
惟広「お前が死んだら、俺も死ぬ。俺は、もう桔梗なしでは生きられない。」
桔梗「言わないで… つらいから…」
桔梗は解っていた。いつまでもこんな関係が続くわけがない事を。こんな事を続けていれば、いつかはバレてしまう。どんなにうまく隠し通してもだ。常に、「知られる」か「知られない」かの二者択一の確率の世界。常に「知られない」で通せるわけがない。当たり前の事だ。
だからこそ、知られる前にこの関係を終わらせなければならない。でも、解っていながら、ふんぎりがつけられない。まさに泥沼の中で桔梗は苦しんでいた。
そして、ついに…
2人の関係に気付いたものが現れた。それは、惟頼の母と姉に通じた女中であった。その女中は、2人の関係を知ると、それを真っ先に2人に報告し、惟広との関係が知れるところになってしまったのである。