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惟広と桔梗の憂鬱

惟頼が家督を継いでしばらくは、平家の世が続いた。しかし、その平家の独占的な支配に対する不満は、確実に広がりつつあった。平家は、富と権力を独占し、平家以外の者にこれを分け与えなかった。


その不満を決定的なものにしたのは、承安4年(1174年)3月16日に平家一門の実力者である建春門院滋子(けんしゅんもんいん しげこ)が、時の最高権力者である後白河法皇を連れて行った厳島への行幸であった。


今で言えば旅行だが、天皇や権力を有する院が、都を離れて遠出するなど前代未聞の事。万が一のことがあれば取り返しがつかない。しかし滋子は、そんな事に構わず、平家一門を連れてこれを強行したのだ。滋子は、平清盛の妻の姉妹であり、後白河法皇の妻であったが、この出来事は、平家の傲慢さを象徴する出来事になった。




母と姉を城の外にだし、嫁姑の争いは、いったん終息したかに見えたが、女の執念とは深いもので、事はそう簡単には済まなかった。いや、これで解決できたと思うのは、男の浅はかさかもしれない。


桔梗には解っていた。これでは何の解決にもならない事を。城から出したって、母や姉との関係が変わるわけではない。一緒に住まなくなったというだけの話であって、家に冠婚葬祭や何らかの付き合いがあれば、事あるごとに姑や小姑と顔を合わせ無ければならないのだ。


桔梗は、2人を家から出すのではなく、出来るだけ仲良くやっていきたいと思っていた。遠回りになるだろうが、それが一番の解決策だったことを知っていたのだ。


惟頼は、学問には優れていたが、そういう事には疎かった。2人を城から出して毅然とした態度をとったつもりだったが、母も姉も、そうは思っていなかった。そんな事をすれば、「桔梗が惟頼を使ってやらせたのだ」と思われる事は、普通の感覚を持っているなら解りそうなものだし、実際に母と姉はそう思っていた。だが、惟頼だけが解っていなかった。


桔梗も解っていた。解っていたからこそ覚悟した。


(もう、修復は無理かも知れない…)


桔梗は、姑と小姑を家から出した嫁として汚名を着る事を覚悟していた。


ただ、そんな桔梗の苦渋を男でありながら、察する者がいた。惟頼の弟惟広であった。惟広は、武芸には秀でても、学問には疎かったが、場の空気を読み、人の心を察する事には、兄の惟頼の何倍も優れていた。


惟頼は、塩谷家の当主として、城を留守にする事が多かったが、留守を1人で守る心細い桔梗を支えていたのが惟広だった。


惟広「兄の行動は軽率すぎる。政治には鋭いが、こういう事には全くにぶい。」


母と姉の追放に関して、惟広は桔梗に対してはその本心を隠さなかった。今日も、1人で留守を守る桔梗のもとを訪ねていた。惟広は、兄が留守の内に、母と姉が桔梗に対して何らかの行動を起こすのではないかと心配だった。


惟広「こんな事をしても、恨まれるのは姉上だ。そんな事も解らないのか。」

桔梗「…」

惟広「姉上も解ってるだろう。はっきり言ってやれば良いのだ。」

桔梗「そんな事…出来ませぬ。私は、あの方の妻です。従うしかありません…」

惟広「じれったい!! 姉上だって辛いのであろうが、それは言わないとだめだ。」

桔梗「言えたら…言えたら、こんな話は惟広殿にはしません。言えないから… 私は惟広殿に聞いてもらっているのです…」

惟広「なぜ私なのですか?」

桔梗「私の気持ちを察してくれたのが惟広殿だったから…」

惟広「…」


桔梗も苦しかった。いっそ、夫の惟頼に全てを打ち明けようとも思った。でも、出来なかった。政務で忙しい姿を見ていると、私事で手を煩わせたくないという思いもあった。言っても解ってもらえないだろう…そんな思いもあった。妻だから、夫の事はよく解っている。夫の前では言えないが、惟頼は、やはりこういう事にはあまりにも不器用だ。


ただ、桔梗はそうではない思いにも気付くようになっていた。それは、惟頼の妻として、認めてはならない一線を超えてしまう気持ちだった。


惟広にも似たようなジレンマがあった。今回の一件では、反省すべき点があった。それは、自分から兄に桔梗の苦境を話してしまった事。あれがきっかけで、母と実姉は城から追放された。あれは、あまりにも軽率だったと惟広は反省していた。


それが結果的に、今の桔梗を苦しめている。桔梗を苦しめたのは、兄の惟頼だけでなく自分もだ。そう思うと、胸が締め付けられるのだった。今、惟広の心の中は、桔梗の事でいっぱいだった。兄の妻である事は解っていても、その思いは止められなかった。桔梗が苦しんでいるかも知れない… そう思うだけで会わずにはいられなかった。


そんな惟広を、その一件以来、桔梗もますます頼るようになっていた。苦しい胸の内を誰かに聞いてほしい… 助けて欲しい… そんな思いを抱く度、桔梗は、惟広を思うようになっていたのである。


そして…


その日は、惟頼が役目で京に上るために城を出た日の事だった。惟頼は、長く城を留守にするので、弟の惟広を堀江山城の城代として、その留守を任せたのである。


その夜、惟広は晩酌をし、その相手を桔梗がしていた。夜も遅くなると桔梗は、酒や肴の用意をしていた女中たちに、後の事は自分でするから寝るようにと伝え、女中たちは下がり、部屋には惟広と桔梗の2人だけになった。


桔梗が新しい酒を持ってくると、惟広は、桔梗にも酒を勧めた。そして、桔梗の方をそっと抱き寄せた。


桔梗「惟広殿… いけませぬ…」


桔梗は、少し抵抗するそぶりを見せたが、惟広は桔梗を離さなかった。すると桔梗は、それを振りほどこうともせず、そのまま身を任せた。


惟広「姉上… いや、桔梗。なぜ、兄上の嫁になんかなったのだ。なぜ…俺ではなかったのだ…」

桔梗「…」

惟広「俺の一生の不覚じゃ。悔やんでも悔やみきれない。俺のもとにおれば…」

桔梗「…もう後戻りは出来ません…」

惟広「いや!」


すると惟広は、ゆっくりと桔梗を畳の上に寝かせた。


桔梗「いけません…」

惟広「俺はお前が好きだ。」

桔梗「…」


桔梗は、静かに目を閉じ、惟広は、ロウソクの灯りを消した。そして、その身をゆっくりと桔梗の中に沈めていった…


それから2人は、何度か逢瀬を重ねる事になった。




やがて、桔梗に新たな子が出来た。それは男子の誕生であった。その翌年には、もう1人、年子の男子が生まれていた。すでに惟頼には、2人の男子がいたので、三男と四男になる。惟頼は、男子誕生が続くのはめでたい事として、これを大いに喜んだ。


しかし… 桔梗にだけは解っていた。これが、惟頼の子ではない事を… 惟広の子である事を。


その2人の男子は、のちに三男が義房、四男が頼房と名乗る事になった。この2人、塩谷家の本流の系図である秋田塩谷系図には名前がなく、惟広の子孫の系図である喜連川塩谷系図にのみ、その名が残っている。





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