母御前の追放
かつて、頼純や惟純を庇護してきた宇都宮宗綱が亡くなったのは、惟頼が家督を継ぐ7年も前の応保2年(1162年)8月20日だった。その跡を継いだ宗綱の嫡男である朝綱は、専ら京にいて、勢力の拡大を図っていた。
平氏の時代となっても、朝綱は、世渡りを上手にして平氏に仕え、着実に地位を固めていた。それは、源氏の恩顧で宇都宮の地に本貫を得た宇都宮家にとっては、背信とも言える行為にも思えたが、それはすでに祖父宗円の話であって、孫の朝綱にとっては、その行動を束縛するものではなくなっていた。
離合集散は、いつの時代も世のならい。塩谷氏と宇都宮氏の関係も、惟頼の時代になると、希薄なものになっていた。敵対関係にあったわけではなかったが、平氏の時代にあって、源氏である塩谷氏との関係は、朝綱にとってはあまり好ましいものではなかった。祖父の恩顧もあるので、むげにも出来なかったが、朝綱は、出来るだけ塩谷氏には関わらないようにしていた。
ただ、それでも北の支配を安定させないと、宇都宮の領地の安泰もない。父宗綱が塩谷氏を庇護してきたのも、単に過去の恩義に応えるという事だけでなく、北の守りを安定させる意味が強かった。宗綱は、塩谷氏との友好関係に頼るだけでなく、新しい方策を考えていた。
それは、惟純が亡くなり、惟頼の代に変わったあとに実行に移された。
惟頼が支配する塩谷郡の南には氏家郷と呼ばれる一帯があった。ここを支配していたのが氏家氏という氏族であった。氏家氏は、紀氏を出自とする氏家公幹により11世紀中頃に創始された一族で、この時代、公幹から数えて4代目に当たる公広の代となっていたが、朝綱は、この公広に対して、自らの子を養子とする事を申し入れ、公広は、これを受け入れたのだった。
聡明な惟頼は、これが何を意味するのか理解していた。
宇都宮氏は、塩谷郡の直接支配に乗り出したのだ。このまま放っておけば、いずれ塩谷郡全土が宇都宮氏に飲み込まれてしまう。惟頼は、対抗策を模索し始めていた。
その一方で惟頼は、思わぬ内憂を抱えていた。
惟頼がその事に気付いたのは、恥ずかしくもつい最近の事だった。桔梗の女中が、惟頼にこっそりと訴えたのである。
女中「桔梗様が、母御前様と由布様に虐げられ苦しんでおります。」
母御前とは惟頼の母の事。つまりは惟純の妻だ。由布は、惟頼の姉。桔梗が姑と小姑のいびりにあっていたというのだ。母も姉も惟頼の前では、優しい顔を見せていた。それを信頼していただけに、惟頼はにわかにそれが信じられなかった。
桔梗に聞いても、桔梗は、それを否定した。しかし、よくよく調べてみると、女中が言ったように桔梗は、惟頼のいないところで、2人にいびられ毎日苦しんでいた事が解った。しかも、城中には、桔梗の評判を落とすような悪い噂が蔓延していた。それも、2人が流したものだった。
惟頼は愕然とした。そういう事には疎かったとは言え、妻の苦境に気付けなかった自分に愕然とした。桔梗も、夫である惟頼に心配をかけさせまいと黙っていたのだ。それをいい事に、母御前と由布は、さらにエスカレートして、桔梗を苦しめていた。
惟頼が桔梗を問いただすと、桔梗は震えながら泣き崩れた。
桔梗「申し訳ありません… 私が至らぬばかりに…」
桔梗は、誰を責めるでもなく自分の事を責めていた。自分が嫁としてもう少ししっかりしていれば、こんな事にはならなかったのだと、母御前と由布にさえ申し訳なかったとさえ言った。
だが、惟頼をもっと愕然とさせる事実があった。それは、桔梗が、その事を1人にだけ打ち明けていた事だった。桔梗は、その者にだけ自分の気持ちを打ち明けて、相談に乗ってもらっていたのだ。
その相手こそ、惟頼の弟である惟広であった。惟頼は、すぐさま惟広を館に呼び寄せた。
惟頼「どういうことだ?」
惟広「どういうこともない。兄上が、気付かなかったから、俺が支えていたのだ。」
惟頼「なんだと!?」
惟広「姉上は、自分から打ち明けたわけじゃない。俺が、姉上の変化に気づいて聞いたら、打ち明けてくれたのだ。兄上は、何も気づかなかったのか?」
惟頼「…」
普段は冷静沈着な惟頼もこの時ばかりは取り乱していた。しかし、取り乱せば乱すほど、露呈するのは自らの不甲斐なさだけだった。
確かに最近は政務が忙しかった。あまり桔梗との時間を作れなかったのは事実だ。だからと言って、弟の惟広に気付けた事を自分が気付けなかった事の言い訳にはならない。むしろどんな時でも、誰よりも解ってやらなければならない立場の自分が気付けなかったことは、一生の不覚であった。
ただ、惟頼には、惟広に対する嫉妬心もあった。なぜ、よりによって惟広なのだと。武芸に秀でた惟広は、顔立ちも凛々しく背も高く、昔から確かに女性ウケが良かった。モテた。対して惟頼は、学問ばかりしていて目立たず、色白で、そういう面では、常に惟広の陰にいた。
だからこそ、桔梗が自分の妻となった時、初めて惟頼は、惟広に対してのそうした面での劣等感を払拭できたような気がしていた。桔梗は、誰から見ても、誰と比べても美しい。
しかし、今回の件では、そんな桔梗までをも奪われてしまったような気がした。惟頼は、それが悔しかった。学問や政治の世界では器用な惟頼は、この手の事に関しては、本当に不器用であった。それでも、その嫉妬心をぶつけたところで、空しくなるだけ。今回の件で言えば、桔梗の苦しみに気付かなかった自分が一番悪い。惟頼もそれは解っていた。
全てを把握した惟頼は、すぐさま行動を起こした。母御前は、父惟純の死ぬと出家していたが、惟頼は、菩提寺である六房寺の近くに新たな屋敷を作り、母御前と由布の2人を城から出し、そちらに移したのである。
もちろん、2人はそれを拒否したが、惟頼は、強引に事を進めた。それだけ決意は固かった。何より、自分が最も大切にしている桔梗を苦しめた事が許せなかった。桔梗は、そんな惟頼に自重を求め、2人が城に留まれるように懇願したが、惟頼は聞き入れなかった。
ここは、非情でも、いさぎよく決断した方が良い。惟頼は、そう考えていた。
だが、この処置は、新たな禍根を残す事になった。