重房の最期
板鼻城に戻った時、重房に従っていたのは、わずか5名の家来だけであった。500騎で出陣したのが、今はその100分の1だ。
だが、板鼻城には、そんな重房を出迎える家族はいなかった。重房の妻も、失意のうちに亡くなっていた。家族をなしがしろにすれば、家族を失う。ましてや殺したのだから尚更だ。妻も子もすべて失った。因果応報、当然の報いだ。
そして重房は、城内の者にふれを出し、城を退去するように命じた。
重房「間もなく堀江の手勢がここに押し寄せてくる。お前たちは逃げるのだ。」
家来「なぜにござりまする? まだ城には、手勢は残っておりまする。籠城して、国司様の援軍を待てば、まだまだ戦えまする。」
重房「いや、もう良い。もう良いのじゃ… わしはもう戦うつもりはない。これ以上、無駄な犠牲を出す必要はない。」
家来「お館様だけを死なせるわけには参りませぬ。」
重房「いや、わしだけでよい… これ以上はいらぬ…」
重房は、説得を聞かぬものは後回しにし、城内にいた女中なども全ての者を広間に集め、全員に暇を出し、城外に出るよう命じた。その際、蔵に残っていた財産や食料などを、全て暇を出した者たちに分け与えた。
重房「皆の者、これまでわしに忠勤を尽くしてくれて、本当に感謝しておる。これより堀江の手勢が攻めてくる。わしの孫じゃ!! 立派になって攻めてくる。わしも人の親だったようじゃ。孫の成長が嬉しいし、わしは孫の願いを叶えてやりたい。そういうことじゃ。皆の者、本当にありがとう。さらばじゃ!!」
重房の言葉に、そこに集まった誰もがむせび泣いた。そして重房の意思が固いのを見ると、家来や女中たちは、1人また1人と城を去って行った。しかし、年寄りの家来が1人だけ重房の傍に残った。
重房「おぬしは残るのか。」
その言葉に、その家来は、主君であるはずの重房に対して、
「当たり前じゃ。お前だけ行かせるか!!」
…っと、おそれる事もなく笑って言った。それは、重房の幼い時からの悪友の平次郎であった。
平次郎「わしは今、おぬしより暇を出された。ならば主君でも家来でもない。また昔の悪ガキ仲間じゃ。」
重房「…そうじゃのう。あの時の仲間で残っておるのは、わしとお前だけじゃ。」
権力に溺れ、迷い、そして子供たちに殺し合いをさせた重房にも、思えばそんな時代があった。身分など気にせずに、やりたい放題のいたずらをして大人を困らせ、遊びたいだけ遊び、お互いに夢を語り合った… そんな時代があって、そんな時代を共に駆け抜けた仲間がいたのだ。
平次郎「そうじゃ。みんな死んでいった。畳の上で眠るようにな。じゃが、わしとお前は、城を枕に討死じゃ。死んだら、あの世で自慢してやろうぞ。」
重房「そうじゃのう。まさに武士の本懐。わしらの死に様の方が、あいつらよりずっと様になっとるの。」
2人は、堀江勢が迫る中、広間で酒を酌み交わした。
重房「これが末期の水ならぬ、末期の酒ぞ。」
平次郎「馬鹿言え。あの世に行ったら、また昔の仲間と飲むのじゃ。末期の水にしてたまるか。」
重房「そうか… そうじゃのう…」
そして2人は、思う存分、昔話に話を咲かせた。
やがて… 板鼻城の外が騒がしくなった。大勢の軍勢の鬨の声と馬のいななきが聞こえてきたのである。
平次郎「いよいよじゃのう。」
重房「…」
重房と平次郎は、静かに酒杯を置いて刀を取った。
しかし、城を囲んだ堀江勢は、すぐには城を攻めなかった。安藤太が止めていたのだ。安藤太は、このたびの重房の行動が不可解でならなかった。もしかしたら、板鼻城におびき寄せ、返り討ちにする策略かもしれないと警戒していたのである。
だが、誰もいなくなった板鼻城は、まるで廃墟かのように静まり返っていた。それも安藤太は敵の謀略のようにも見えた。さすがの安藤太も疑心暗鬼に陥っていた。
惟純「まだ攻めてはならぬのか。見れば、板鼻にはほとんど兵はいない様子。このまま攻めれば簡単に落ちるぞ。」
安藤太「お待ち下さい。」
安藤太は、全てを自分の目で確認せずにはいられなかった。惟純を制すると、自らが重房降伏の使者となる事を願い出た。
惟純「降伏とは… 重房を許すつもりか?」
安藤太「重房殿は、若にとって祖父に当たります。無下に殺せば、義理も情もないと思われ、のちのち親殺しのそしりを受ける事もありましょう。まずは、降伏を進めて、それでも断れば討ち取る事もやむを得ませんが、ここは、若の慈悲を見せておくべきでしょう。」
惟純「…あいわかった。」
ただ、安藤太はもっともらしい事を言ってはいたが、本心は、解らない事だらけのこの状況を理解するために、城内を見ておきたいというのが本当だった。
安藤太は、2人の家来とともに板鼻城に向かった。大手門の前、安藤太は、大声で名乗りを上げて使者としてやってきたことを伝えるも、返事が全くない。それどころか、人気すら全く感じなかった。
ためしに門を開けると、力なく門は開いた。城内は、本当に誰もなく閑散としていた。
家来「もしや、もう逃げたのでは?」
安藤太は、慌てて城内に入り、その様子を確かめたが、本当に誰もいなかった。蔵の中も空っぽだ。だが、それもおかしかった。普通、城を捨てて逃げる時は、敵に奪われてもすぐに利用されないように、城に火を放って逃げていくものだ。無傷のまま敵に手渡すことはありえない。
考えれば考えるほど、安藤太には理解出来なかった。
安藤太(いったいどういう事じゃ…)
そして安藤太は、城の広間に足を踏み入れた。するとそこには、静かに上座に座っていた重房と、その下手で控える平次郎がいた。
重房「おぬしは… たしか安藤太。」
その声掛けに、安藤太は、重房の前にひざまずいた。
重房「おぬしがわしを討ちに来たのか? 月若ではないのか?
安藤太「わたくしは、惟純様の使者にござりまする。」
重房「惟純… おお、月若か。そうか。わしに降伏を勧めに来たか?」
安藤太「左様にございまする。」
重房「見ての通り、城内には誰もおらぬ。城内の者には、残っていた米や金を分け与えて暇を出した。残っているのは、わしとこの平次郎だけじゃ。攻めれば、簡単に城は落ちるぞ。」
安藤太「なぜにございまする!?」
安藤太は声を荒げた。
安藤太「なぜ、あのような事を…」
重房は、安藤太が何を言いたいのか、全て悟っていた。
重房「さすがの智将安藤太も解らぬようじゃのう。いや、智将だからこそ、不合理な事になると、とんと見えなくなるのだろう。答えは至って簡単じゃ。月若は、わしの孫だからじゃ。」
安藤太「……」
重房「わしは、月若の成長を喜んでおる。じゃから、孫に花を持たせただけじゃ。」
安藤太「それでわざと負けたと。自らが命を捨てる覚悟で…」
重房「それが、最後に残されたわしの仕事じゃ… いや、この世では最期じゃが、わしにはまだ仕事が残っておる。あの世に行って、頼純と弥生に詫びねばならぬ。」
安藤太「…」
重房「安藤太よ。ここに月若を連れてこい。わしが月若に討たれて、堀江の新しき世は始まるのじゃ。」
安藤太は、ようやく全てを理解した。そして、あまりにも不器用な重房の生き様に同情すらした。
安藤太(なぜ、このようになってしまったのか… 皮肉なものだ…)
そして安藤太は、本陣に戻ると、惟純と十勇士たちを連れ、再び城内に入った。広間では、重房がどんとあぐらをかいて真ん中に座り、惟純を待ち構えていた。
重房「おぬしが月若か。ずいぶんと大きくなったものじゃ…」
惟純「黙れ重房っ。わが父と母を討っておきながら白々しい!!! わしがその首討ってくれる!!」
重房「斬れるものなら斬ってみい!!」
重房は、刀を持とうともせずに構えたままだった。若い惟純は、刀を構えると、一気に重房に斬りかかった。
惟純「覚悟!!」
惟純の刃が、重房を斜めに切り裂いた。溢れる血しぶきが惟純を襲った。しかし、重房は微動だにせず、ぐっと惟純を睨みつけていた。
重房「月若よ。その程度では、人は死なぬ。人は斬れぬ。この年寄りすら討てぬぞ。おぬしの刀は、そんななまくらか?」
惟純が斬ったのは、重房の皮と肉だけだった。惟純は、これまで一度も人を斬った事はなかった。
重房「月若…いや、堀江惟純!! おぬしは、本当に人が斬れるのか!? 本当に武将になれるか!?」
たきつけられた惟純は、我を失った。
惟純「うおおおおおお!!!!!!」
次の瞬間、惟純は、無我夢中に何度も重房を斬りつけていた。自分でも何回斬ったか解らないくらいに斬りつけていた。それを安藤太や十勇士、そして平次郎は黙って見ていた。そして…
惟純が気付いた時、重房は、血まみれになって、それでもドンと座ったまま絶命していた。
惟純「はぁ、はぁ…」
息も切れ切れの惟純に安藤太が厳しい声で言った。
安藤太「若、みしるしを!!」
その声に、惟純は、重房の後ろに回って刀を構え、すっと刀を振り下ろし、重房の首を落とした。
これを見届けた平次郎は、惟純に向かって笑顔を見せて言った。
平次郎「さすが源氏の大将でござる。しからば、わしは、主君重房の後を追いまする。御免。」
すると平次郎は、刀を自らの腹に突き刺した。安藤太は、静かに平次郎に近付き、その首を介錯した。
安藤太「若、皆の前で勝鬨を…」
惟純は、刀に重房の首を突き刺すと、それを持って自らの手勢たちの前に立った。
惟純「この堀江惟純っ、原重房を討ち取ったり!!!!」
えいっえいっおーっ!!!
えいっえいっおーっ!!!
えいっえいっおーっ!!!
板鼻の城に、堀江軍の勝鬨が響き渡った。